青瓦台を眺め、国民を踏みつける
[2009.06.12第764号]
[表紙物語]集会許可制示唆・ソウル広場封鎖・弔問テント撤去など、「ブレーキのない疾走」を続ける警察
▣チョン・ジョンフィ
言語は存在の家だ。従って、ある人の言葉はその人がどこに座り、何を眺めているのかを伝えてくれる。アン・ギョンファン国家人権委員会委員長が、6月4日に出した声明を見てみよう。彼は「国民の基本権は政府の善心で保護されるものではありません」と言った。この一文でアン委員長は、集会・結社の自由を国家に乞わなければならない凄惨な大韓民国の現実を、胸を痛めながら暴露した。彼は視線の先の対象を権力ではなく、国民に設定したのだ。これと同じ日、姜熙洛(カン・ヒラク)警察庁長も、京畿地方警察庁を訪ねて一言いった。「集会を開くと政治集団化することもあるし、多くの人が集まれば道路まではみ出る不法暴力デモになる憂慮がある。ソウル広場の開放は、集会を開くデモ主催者側がどんな人物であり、どんな性格なのかによって判断する」警察の総帥が、記者たちの前で言った言葉だ。警察が集会の性格や、集まった人たちの性向を恣意的に判断した後、集会を承認するかどうかを決定するという超憲法的発言は、彼が視線を合わせようとしているのが国民ではなく、青瓦台であることを明確に示している。警察が振り回す言語の暴力だ。
»5月30日夜7時頃、ソウル徳寿宮大漢門前で開かれた汎国民大会で、ある参加者が道路を行進していた途中に連行された。右側に色素を入れた水銃を噴射しようとしている姿も見える。この日、連行された72人は暴力を振るったわけではないが、警察署で48時間近く拘束されて調査を受けた。写真=ハンギョレ/タク・キヒョン記者
カン・ヒラク警察庁長、「集会許可制」運用示唆
似たような例を見つけることは難しくはない。代表的なのは「常習デモ屋」という言葉だ。憲法に根源を置く「デモ」という言葉に、警察は前後に否定的な臭いが強い単語を付けることで、デモを国民の意識の中で米びつに押し込めようとしている。デモによく参加する人に「常習」という侮辱的な単語を付け、そのような者に「屋」という卑下的な語をつける警察は、どこに目線を合わせているのだろうか?カン庁長の話のように、集会・デモを「常習」的に禁止する警察の首脳「屋」たちが、隙さえあれば投げつける「不法暴力デモに広まる憂慮」という表現も同じことだ。「デモ」の前に「不法」と「暴力」という否定的なニュアンスの単語をつけた後、やはり良いことには使われない「広まる」という動詞で傍点を打つのだ。ところで、その「憂慮」をする本当の主体は青瓦台だろうか、国民だろうか?
警察は、その言語によって暴露された自分たちの正体を、路上で暴力的に具現化している。盧武鉉前大統領の告別式の翌日である5月30日、ソウル大漢門前にある焼香所のテント撤去事件は、警察の暴力が組織的に表出、または隠蔽されている現実を示していた。この日の早朝、警察はしばらく解除されていたソウル広場のバスの壁を再び囲む過程で、数十万人の市民が通っていた大漢門前の焼香所の黄色いテントを戦闘・義務警察を動員して破壊してしまった。チュ・サンヨン・ソウル警察庁長は「作戦地域を離れた義務警察のミス」と釈明した。責任転嫁だと非難する世論が起きると、カン・ヒラク警察庁長は観察調査を指示し、その結果、警察は当事の現場にいたファン某機動1団長とチャン某機動本部長の「偶発的ミス」があったことが明らかになったと発表した。それで終わりだ。ちゃんとした謝罪や弁償については言及されず、チュ庁長がなぜ嘘をついたのかは釈明されなかった。
警察のテント撤去は、盧前大統領が逝去した5月23日にも同じ場所で起きていた。この日の午後4時頃だった。最初のロウソク常勤職を自任しているネチズン「ダインパパ」がテントを広げようとした瞬間、大漢門前を
包囲していた戦闘・義務警察が近づいてきて、「手伝ってやろう」と言った。ダインパパが「親切にありがとう」と思った瞬間、戦闘・義務警察はテントをひったくり、光化門方面に持って行ってバラバラにしてしまった。去年のロウソク会員たちの会費30万ウォン余りで買った、大事なテントだった。暴雨が吹き荒れた8・15集会で、明洞聖堂前でロウソク参加者に韓国牛のスープをふるまったときに雨をよけてくれた、ロウソクの歴史と共にあったテントは、このように撲殺された。ダインパパは「余りにもひどい仕打ちをされ、腹が立つというよりは非常に悲しい」と語った。
警察のこのように無茶苦茶な公務執行に対して、警察内部でも批判の声が出ている。ソウルのある警察署に勤務している警部級の幹部は、「いくら警察だからと言っても、判事が発布した礼状もなく他人の財産をむやみに奪ったり、破壊することは、特殊強盗や財物損壊に該当する」として警察の措置が違法だと解釈した。
»カン・ヒラク警察庁長が3月9日、李明博大統領から任命状を受け取っている。写真/青瓦台写真記者団
手伝うフリをして奪った後、バラバラに破壊
視線を国民に合わせない警察の目に、障害物として映るのは物ばかりではない。警察は市民をむやみに連行し、丸二日拘束した後、釈放する慣行にも味をしめた。汎国民大会が開かれた5月30日夜、ソウルプラザホテル前の路上での市民連行状況と、その後の釈放過程もそうだった。この日に連行された72人の1人である大学生のキム・オクソン(仮名)さんは、警察が連行のための落とし穴を掘ったと考えた。夜の6時20分頃、大漢門前側で警察による最後の解散警告放送を聞いた7時頃、ソウル広場とプラザホテルの間の道路を数百人が通った瞬間、警察が取り押さえにきたためだ。キムさんは「当事、市民たちが組織されたものではないので、警察が警告放送を一度しただけでもみんな歩道に上がる状況だった」「シュプレヒコールを叫んだり、隊列が別途にあるわけではない状況だったのに、警察が突然捕まえにきた」と話した。
警察は「緊急逮捕の際に拘束連行を申請しなければ、48時間内に釈放しなければならない」という刑事訴訟法上の規定も悪用した。キムさんをはじめ、大部分の連行市民たちを48時間近く過ぎた6月1日の午後4、5時になってようやく釈放した。人々が警察署にいる間、実際に調査された時間は2回にわたり3、4時間に過ぎなかった。あとの時間はただ食べて寝て、ただ座っていた。「民主社会のための弁護士の会」のソン・サンキョ弁護士は、「みんな現行犯逮捕なので警察署に閉じ込めておいて(調査される時間は除いて)、別にすることもないのに45~46時間を過ごさないと釈放されない」と批判した。
警察がこのような強硬基調を示す背景は何だろうか?広場とロウソクに対する恐怖は、思った以上に警察首脳部に幅広く広まっている。湖南地域のある警察署長(警視)の言葉によって、首脳部の認識を知ることができる。「昨年、私たちは本当に大変だった。昼も夜も関係なかった。ソウル広場を今(デモ隊に)奪われれば、その後は本当に警察の手に負えなくなる。今は去年の狂牛病政局よりももっと恐ろしい状況だ。前大統領の死に対して、誰かがスケープゴートを要求しているんじゃないか。(集会禁止に関しては)ちょうど5月8に大田貨物連帯が過激デモをした。警察としては「一つかかったな」というようなものだ。ソウルで集会・デモを阻止できる名分になったということだ」
「厳正な法執行」と「勤務綱紀の確立」を繰り返す李明博政権になってからは、警察内部の矛盾も徐々に過去へ退行しているというのが、現場の警察の証言だ。参与政府(盧武鉉政権)の時、地方警察庁と警察署でたびたび行われていた現場の警察との対話、実務者懇談会など、内部討論文化が消え、厳格な上命下従の雰囲気のみが広がっているという指摘がある。以前は警察首脳部に向けて、批判のはばかりのない書き込みが、警察庁のサイバー掲示板や内部掲示板にあげられていたが、最近は見ることができない。参与政府の時は大統領がとにかく討論を好んだので、警察庁で政策を推進する際は自発的な参加を導き出すという名分で第一線の話を多く聞くことができたが、政権が替わってからは、ただ公文書で指揮部の意志を伝達することが多くなった。現場では「部下の話は聞かない方式に指揮部のスタイルが変わったため」という話が出ている。
ある元警察庁長は、『ハンギョレ21』との電話インタビューで「現場の後輩たちに会えば、“首脳部が硬直して負担になる”という愚痴が出てくる」と現在の警察首脳部へ対する批判的な意見を明らかにした。「(集会・デモを)警察がうかつに予断したり、源泉封鎖することは、法的に欠陥がなければわからないが、そうでない場合、大火傷をしかねない。警察が実定法を尊重しなければ、相手が感情的に対応することになる。すべてを塞いでしまえば、暴力が悪循環する。ソウル広場を開放しても、何も起こらないのではないか」
»5月30日早朝、戦闘警察が市民たちの置いた黄色い風船を踏みながら市庁広場に前進している。写真=ハンギョレ/キム・テヒョン記者
警察の内部組織文化も垂直化傾向が強まる
警察内部の雰囲気がころころ変わるのは、それこそ内部事情ということもありえる。しかし、国家権力機関の中で国民ともっとも近い現場で、常に接触する警察が、政権の性格によって法執行を変えるのは最悪だ。イ・チャンム韓南大教授(警察行政学)は「警察が前政権のときは事後対応をしていたことも、保守的で市民団体に拒否感を持つ現政権では、車の壁を設置して強硬対応するなど、可視的な変化が現れた」「警察が原則とマニュアル通り、一貫性のある警察力を執行できないでいる」と指摘した。イ教授は「警察首脳部が自ら判断せず、(青瓦台の)オーダーを受けて強硬になったり、緩和されたりしている」と皮肉った。
国民よりも青瓦台を重視する警察首脳部に対する批判が組織の内外に拡散している中で、特に最近は強硬基調を主導するチュ・サンヨンソウル警察庁長に対する非難がさらに強まっている。チュ庁長は、盧前大統領の逝去以降、「(大漢門前の焼香所を囲んだ)車壁が屏風のようで、さらに静かに感じるという方もいらっしゃった」という発言をはじめ、テントの強制撤去当事の免避性発言などでまな板の上に載せられた。現場ではチュ庁長に対して独非将軍という評価が出た。ソウルのある警察幹部は、「チュ庁長は上からの指示はよく聞くが、自分の指示は絶対に取り入れないスタイル」だとし「よく言えば指示命令の一貫性があると言えるが、率直に言うなら一方通行的に指示と命令を下す」と評価した。
警察が青瓦台を「ヒマワリ」する状態を見せる核心的原因は、もちろん人事制度だ。警視級以上の高位幹部は、青瓦台の承認を受けなければならない。青瓦台に睨まれた幹部は、出世することが難しい。警察の人事が青瓦台から独立すれば問題は解決するのに、やはり内部の独善を止めるには、警察議員の活性化のような牽制システムが必要だ。
青瓦台の治安秘書官制度も、青瓦台と警察幹部のコードに合わせて動員されているという指摘だ。第一線の地方警察庁長と階級が同じ治安監級幹部が、青瓦台の民政主席室に1年前後派遣され、青瓦台と警察庁を繋ぐ口実としての役割を果たしている。治安秘書官は、警察庁長を歴任するための必須コースの一つとして認識されている。任期制導入以降、歴代の警察庁長5人のうち、カン・ヒラク現庁長を除くチェ・ギムン、ホ・ジュンヨン、イ・テクスン、オ・チョンスなど、前の庁長4人全員が治安秘書官を務めた。代わりにカン庁長は、李明博大統領と同じ故郷(慶尚北道)出身で、同じ大学(高麗大)を卒業した。治安秘書官の代替として、ソウル警察庁長の情報をすべて管掌する情報管理部長出身を好むことも注目される。青瓦台が横に置いておきたがる警察は、首都ソウルの情報収集と分析に明るい警察だ。チェ・ギムン、オ・チョンス元庁長がこのケースに該当する。
青瓦台-警察との関係を繋ぐ治安秘書官たちが総帥に
中部圏で勤務するある警視級の警察幹部は、「治安秘書官は各種の大規模な集会の状況管理が核心業務であり、情報側の視覚は政権の統治基盤の強化に合わしているのが事実であるため、治安秘書官が公務員の政治的中立性を維持することは容易ではない」と指摘した。彼は「治安秘書官出身者たちが警察庁長になることは、警察組織の政治的中立性の側面では非常に脆弱な構造」であり、「青瓦台で一緒に働いていた秘書官が治安秘書官出身の警察庁長を軽く見るなど、権力構造でも警察の位置を追及する位置を縮小させる」と話した。
青瓦台が東側を眺めると、警察も東側を眺め、大統領が広場を睨むと、警察はその広場を閉じてしまう。国民は眼中にもない。警察の首脳部が政権とコードを合わせて共に踊りを踊るこの疾走に、ブレーキはない。
ある警察幹部の「苦言」
法治主義の本質は、公正性だが…
最近の状況を見守っていると、警察に対する信頼が、最近数年間で大幅に墜落していることがわかる。検察権力に問題が多いという批判と改革要求が、四方から堰を切ったように押し寄せているが、検察権に対する牽制の代案で警察が浮上されていないからだ。警察が必ず賢くて賢明な集団にならなければ、検察の代案にはならない。常識的で均衡のとれた判断さえできれば、代案勢力になれる。
法治主義の確立は、警察が所望する。警察としては強力な法秩序の確立を主張する李明博政府が援軍であるかもしれない。アメリカのようにポリスラインを超えて警察が強く処罰しても、国民には指示を得ることができる状況を作ってみたいのだ。健全な常識を持った国民の中で、法秩序の確立主体を否定する人は少ない。しかし、デモ現場のような場所で警察は、やたらに攻撃の対象になる。憤りがこみあげる状況だ。無闇に警察を攻撃する国は後進国だ。
その理由はなんだろうか?政府はついに法秩序を打ち立てながらも、民主主義の原則を後退させたと指摘されることをした。警察は法と原則に立脚し、任務遂行をするという明らかな基準を持って行動するよりも、政権の意志を明らかにその好みに合うように政権が信じるだけのことをしてきた側面が大きい。盧武鉉政府の時に青瓦台386を極端に意識し、政権が必ずそれを望むのでなくても、警察が非常に無力な時があった。今は正反対に、極端に硬直した姿を見せている。
特に昨年からロウソク事件や竜山惨事などを経ながら、警察が“オーバー”な側面がある。警察はロウソクの創始期の時は卑屈だった。その時は朝・中・東も、大統領も、怯えていたからだ。警察はロウソク中盤以降、純粋なロウソク勢力と政権反対勢力を分離し、打撃が可能だという認識を持ってからは過度な鎮圧をした。竜山惨事の時も過度な部分があった。盧武鉉前大統領逝去の局面を迎えてからは、焼香所を撤去し、ソウル広場を源泉封鎖した。国民としては「警察が考える法秩序の尺度とは何なのか」「警察は国民ではなく、権力の目線に合わせているのではないか」と批判できる。
法治主義の本質は、公正性にある。公正性を失えば、法の名を笠に着た暴力になりかねない。韓国の歴史の中の独裁政権も、ドイツのヒトラーも、法の名で公権力を執行した。しかし、当事は法の正当性確保のための公正性を失っていたため、実質的な法治主義の時代として認められてはいない。現在の韓国警察も、公正性を失ったという評価を受けている。政権交代とは関係なく、一貫した基準に従って国民の生命と財産を守り、人権を尊重しながら正義を守り抜く警察力の行使が必要だ。
現在の警察の首脳部は、警察組織が志向するべきビジョンに対する所信や哲学が足りない。そして、過剰なまでに政権の顔色をうかがうことに慣れている。政治権力に飼いならされているように見える。今までそのような態度で生きてきたからだ。
警察庁長を内部の治安正監4人の中からのみ選んではならない。今の警察の構造では、治安正監まで出世するには、政治権力に飼いならされる可能性が高い。しばらく持ちこたえれば、警察庁長になれると考えているため、警察幹部たちは国民の目線に合わそうとしないからだ。警察庁長の職位を開放し、外部からの参入が可能にならなければならない。このままでは希望がない。
現職警視
チョン・ジョンフィ記者
イ・ビョンスンは「KBSの李明博」なのか
『ハンギョレ21』[2009.06.12第764号]
[表紙物語]
イ社長就任10ヶ月目の韓国放送にどんな変化が…
「上意下達式の官僚文化に“色”と忠誠心による人事で危機を招く」
▣イ・スンヒョク
»盧武鉉前大統領の告別式が開かれた5月29日、ソウル駅前で韓国放送取材チームが市民たちの抗議を受けて撤収している。写真『ハンギョレ21』ユン・ウンシク記者
去年の8月27日午前、ソウル汝矣島にある韓国放送本館前。初出勤に向かうイ・ビョンスン新任社長が乗った車両が入口側に進入するや、現場は修羅場に変わった。イ社長が車両から降りると、彼に抗議する“社員行動”所属の社員たちと、これを妨げようとする安全管理チームの要員、数百人がもみ合いになり、あちこちから叫び声が聞こえ、服が破れ、ボタンが引きちぎられた。しかし混乱は長くは続かなかった。イ社長は要員たちに護衛されながら無事に就任式場に入り、社員たちは手足を押さえつけられたまま外へ連れて行かれた。
間もなく社内放送が流れた。就任の辞を読むイ社長の声だった。「愛するKBSの先輩・後輩・同僚のみなさん!共に働くことになり光栄です。KBS公開採用4期のイ・ビョンスンです。…KBSが公営放送として発足して35年目にして初めて内部出身の社長の時代が…深い感懐と共に、重い責任感を肝に銘じ…」
「初の公開採用出身社長」、感懐を述べたが…
このように熾烈な「肉弾戦」を経てイ・ビョンスン新任韓国放送社長が就任してから、いつの間にか10ヶ月が過ぎた。初めての内部公開採用出身として、「深い感懐と重い責任感」と共に任期を開始した「イ・ビョンスン体制の韓国放送号」に対する総合的な点検や評価ができる時期になったということだ。ところがどういうわけか、この問題への質問よりも答えが先に出てきている。
きっかけは盧武鉉前大統領の逝去だった。逝去のニュースの扱い方をめぐって、韓国放送に対する市民たちの怒りが爆発したのだ。盧前大統領の遺体が安置されていた慶尚南道金海ボンハ村や、市民焼香所が設けられたソウル徳寿宮大漢門前で、韓国放送の取材陣は市民から追い出されたり、さらには韓国放送のロゴを隠して撮影をしなければならなかった。
いったい、なぜこのような状況になったのだろうか?韓国放送内部で起きた批判の水位からして、尋常ではない。
盧前大統領が逝去して2日後の5月25日、韓国放送の労働組合は声明を出し、△前日夜9時のトップニュースで「国民葬挙行へ」を、続いて「大統領初の火葬」「国民葬はどのように行われるか」を扱った一方、「ボンハ村に13万人以上が弔問」は11番目のさわりで放送し、全国民的な「追慕民心」は24番目とと25番目に配置した△24日にプロデューサーたちが『ハッピーサンデー』の代わりに事前に制作しておいた『ドキュメンタリー3日』「大統領の帰郷-ボンハ村72時間」を放送するように求めたが、映画『1番街の奇跡』を放送した事実などを挙げて会社の首脳部を糾弾した。当初の声明の題目は「KBSは本当に政権の犬になろうというのか」。現労組指導部がチョン・ヨンジュ前社長に批判的で、イ・ビョンスン社長体制を受け入れた前の労組の路線を継承したことを勘案すれば、予想以上に異例なトーンだった。
労組は翌日も「無能な経営首脳部は即刻辞任せよ」という題目で声明を出し、△報道本部長が弔問客の政府批判インタビューを削除するように指示した点、△警察の追慕妨害は言及せず、政界の弔問ニュースを2回も放送した点などを挙げて「これこそ哲学と原則のない編成で国民の強い批判を自ら招いた」と指摘した。
内部からの自省の声は、これだけではなかった。5月28日にはラジオPDたちが「KBS売国奴どもに告ぐ」という題目で声明を出し、「逝去に関して、ラジオ制作陣に関連者インタビューは自制し、単純報道を志向しろという指示を出した」「北朝鮮の核実験報道が流れると、待っていたかのようにそれ以降のすべての番組を北朝鮮の核実験でオールイン」したと暴露した。引き続いて29日にはPD協会が「奈落に墜落したKBS、イ・ビョンスンは責任をとれ」という題目で声明を出し、「故人の冥福を祈るべき時間に娯楽番組やコメディ映画が流れ、あきれた縮小報道や、あきれた放送事故が相次いだ」とし、「KBSはあるがままの事実や民心に背を向け、歪曲する政権の放送、官製放送の烙印を押された」と批判した。
「頭を上げることができず」内部批判殺到
構成員個々人も、会社の掲示板に実名で書き込みをし、首脳部を強く批判した。
「87年6月でも、ここまで恥ずかしくはなかった。社長、副社長、編成本部長、報道本部長、KBS人として代価を払うべきです」(キム○○)
「盧武鉉前大統領の国民葬を近所の家族葬に貶めるKBSの報道を見ながら、KBSの凋落の兆しが濃く、そしてすぐ近くまで来ていることを感じた。この書き込みを読んだ人は、MBCを見るように」(シン○○)
「盧前大統領の逝去をきっかけに、KBSの首脳部はカミングアウトをはっきりとし、もう戻れない川を渡ったようです。恥ずかしくて頭を上げることができません」(イ○○)
盧前大統領の逝去を契機に、様々な批判が出てきたが、その根幹には共通点があった。それはイ・ビョンスン社長に対する根深い不信感だ。
「イ・ビョンスン体制10ヶ月の変化」が、なぜここまで不信感を大きくしたのか?相当数の内部構成員は、偏向人事や官僚的な組織文化、放送哲学の不在などを挙げた。
官僚的な組織文化に関しては、ラジオPDによる5月28日の声明の題目を見てみよう。「(盧前大統領の)葬儀期間に行われた、毎日4時の局長主催の1ラジオPDアイテム会議では、その場で決定できずに副社長までそのまま上げられたが、放送の指針を受けるというので、余計に言葉を失った。もちろん副社長もその場で決定できない部分があったそうだ。そうだとすれば、今後、最終決定は社長がするというのか?」
決定権限が上へのみ集まっており、中間幹部が上の顔色ばかりをうかがっているということだ。イ社長は実際、本部長とチーム長の間に局長の席を新設し、「管理」しやすい組織改編を断行した。問題はこのような傾向がラジオ製作本部や時事番組にのみ適用される話ではないという点にある。
»昨年8月27日、イ・ビョンスン社長(真ん中、眼鏡をかけた人物)は「社員行動」所属の社員と安全管理チームの職員とのもみ合いの中、初出勤をした。写真=ハンギョレ/シン・ソヨン記者
今年、韓国放送の春の番組改正を見守った、ある構成員の言葉だ。「普通、1ヶ月前には改編案が出なければ、番組の準備が難しくなる。ところが今年の春の改編は、半月前にようやく改編案が出された。編成側では、決められたことがないと何も話してくれず、制作側は制作なりにもどかしい思いをしながら待つしかなかった。実は編成側で社長が最終決定を下してくれない状況で、下手に話して、後で変更になれば責任をとらなければならなくなるので、誰もが口を閉ざしていたところ、ようやく最終許可が下りたので話してくれたのだった。以前はそんなことはなかったのに、余りにもでたらめで言葉を失った」
大型企画の挫折も、目につく“変化”の一つだ。これに関しては、『茶馬古道』、『ヌードルロード』に続き、野心的に制作された『仏教企画』が頓挫したことが主に言及される。PD2~3人が1年以上ついて5部作または7部作レベルで企画し、踏査まで終えたのに、今年初頭の撮影直前の段階で制作企画が立ち消えになってしまったのだ。これについては「イ社長がPDたちを嫌っているからだ」「李明博大統領がキリスト教信者だから、仏教企画ははじかれたのだ」などの噂が構成員たちの間で流れたそうだ。あるPDは「最初から線を引いて、やるなと言われていればどうなっていたかわからないが、数ヶ月間うやむやの状態で引きずり、今年に入ってからアイテムが使えなくなったので、担当者たちがみんな虚脱状態になっている」と話した。
露骨な政治プレイをした人物を重用
官僚制が形式ならば、その形式を満たす内容物は人事だ。イ社長の人事政策は、昨年からすでに何度も非難の的になった。天下り社長の就任反対を表明した「社員行動」所属社員の大多数が、要職からはずされたり、一部は左遷された一方、日頃からハンナラ党支持を公言していた人々は要職に就いた。
カン・ドンスン元放送委員会常任委員、ハンナラ党のユ・スンミン議員、シン・ヒョンドク元京仁放送代表などとの宴席を設け、「ハンナラ党が執権すれば、言論をどう掌握するのか」などといった会話のやりとりをしたユン・ミョンシクPDが、編成本部外注制作局長に任命されたのが代表的だ。PD協会正常化推進協議会を構成し、会社側に批判的だったPD協会と対立していたコ・ソンギュンPDはラジオ制作本部長に昇進し、今年1月1日深夜に除夜の鐘の打鐘式の際に「操作放送」論争を起こしたオ・セヨン芸能2チーム長は行事の直前に芸能局長に昇進した。
報道本部の人事はさらに露骨だった。政府に批判的な発言をした弔問客のインタビューを削除するように指示したキム・ジョンユル報道本部長は、任命当事からイ・ドングァン青瓦台スポークスマンと信一高校の同窓生ということを批判された。キム・インギュ前韓国放送取締役を社長に擁立しようとした非公式組織の「水曜会」を主導したコ・デヨン報道総括チーム長は、報道局長の地位を手に入れた。キム・インギュ前取締役は、李明博大統領の大統領選候補特別補佐を務めた
このようなイ社長の組織運営と人事方針は、李明博大統領の国政運営ともかなり類似している。前任者の影を消すために、行き過ぎた「人為的入れ替え」をした後、政治色や忠誠心が検証された人事を要職に就けるスタイルがそうだ。特定の政党に露骨につながった人物に要職をまかせることに対して、非常識だという批判が出てきても、まずは隅に追いやるというスタイルもそっくりだ。
大統領と似ているイ社長の組織運営スタイルは、盧前大統領の逝去報道を契機に危機を迎えたが、どんな結論が出るかは誰も確信できない状況だ。相当数が変化を渇望しているが、一部はそれと反対方向を望んでおり、また内部構成員全般に負け犬根性が染み付いていることも事実だからだ。
もちろん、イ社長に対する評価で留保的な意見を表明してた「中間層」のうち、相当数が変化の兆しを見せている点は、注目に値する。ある構成員は、「イ・ビョンスン社長体制の問題点を指摘する書き込みをすれば、以前は「お前はKBSの社員じゃないのか」といった批判的なコメントが多かったが、盧前大統領の逝去以降は同調するコメントが多くなった」と伝えてきた。
自分を「中間者」だと表現したある構成員は、このように言った。「実際、(イ社長が)入ってくる過程が(警察力を動員するなど)憤慨せざるを得ない状況ではあったが、それでもKBS出身だからと肯定的に見ていた。ところがこの数ヶ月間、社長に関しては「決裁書は終止符一つまで偏執的にチェックしている」「支出を減らすことが至上最大目標なので、お金を使うことに厳格だ」などの話ばかりが聞こえてくる。だが現場に行って制作陣の話を聞いたり、放送に関する所信やビジョンを話したという噂は聞いたことがない。会計専門家として連れてきたわけでもないのに、支出ばかりうるさくて…。一言で言うなら社長としての資質が余りにも欠けているようだ」
構成員個々人の抵抗はまだわずか
このような世論の後ろ盾によって、具体的な動きも相次いでいる。韓国放送PD協会(会長/キム・ドクジェ)は、6月4~5日にチェ・ジョンウル編成本部長、チョ・デヒョンTV制作本部長、コ・ソンギュン・ラジオ制作本部長の信任投票に入った。韓国放送記者協会(会長/ミン・ピルギュ)も紆余曲折の末、6月8~9日にキム・ジョンユル報道本部長とコ・デヨン報道局長の信任投票をすることにした。
結果は容易に壮語することはできない。すでにイ・ビョンスン社長就任後、社内外の批判世論が沸騰したが、韓国放送内部の構成員たちが労組選挙、記者協会長選挙などで「穏健派」もしくは「妥協派」を選択した前例もある。さらに報道本部長と報道局長の信任投票の結果を論議する過程で、ミン・ピルギュ韓国放送記者協会長が辞退の意思を明らかにするなど、すでに内部紛糾の最中だ。
韓国放送のある職員は、次のように話した。「一番大きいのは社長の問題です。でも放送制作に参加する制作者の問題もあります。(上から)強圧的に出るので、内部的反響が弱いことです。少しやってみて「やっぱりやめた」というふうな抵抗をするだけだ。集団的抵抗でやっていくなら、放送制作の現場で自律性が侵害され、不当な待遇を受けている人たちが直ちに個別的に抵抗し、このようなことが各協会や労組を通じて集められなければならない。ところがその部分は不足しているのが事実だ」
韓国放送の構成員たちがこれからどのような選択をするのか、国民的関心が再び高まっている。
韓国放送の現職記者が送ってきた「愚痴、泣き言、不満」
墨で書いた嘘が血で書いた事実を隠すことはできないが
少し前、久々にタクシーに乗りました。基本料金が2400ウォンなんですね。「たった100ウォンの違いなのに…」という思いがしました。受信料のことです。毎月の電気料金納付告知書に付いている、2500ウォンの視聴料金のことです。タクシーの基本料金より100ウォン高い、1ヶ月の受信料。それでも視聴者たちはなぜ上げようという気持ちがないのか?この半月の経験で、十分に理解できた。
5月23日、盧武鉉前大統領がこの世を去りました。取材に出た韓国放送の記者たちは、あちこちで叩かれました。取材拒否も数え切れないほどありました。中継車から生放送をしていた女性記者が、本で頭を叩かれたりもしました。ネチズンは韓国放送の頭文字(KBS)を「キム秘書(ビソ)」と皮肉りました。
なぜこのようなことが起きているのか?理由は簡単です。はっきり言って、韓国放送のニュースがニュースらしくないからです。自然に集まってきた追悼の人波を、縮小するのに汲々としていました。追悼の熱気を隠すのに忙殺され、民心の真実性は政治的だという理由で色眼鏡をかけて眺めていました。その代わりに葬儀の手続きのような、政府の方針は何から何まで報道しました。ニュース特報をなくし、記事を縮小し、中継者を動かし、インタビューをはずし…具体的な例が多すぎて、羅列するのも大変なほどです。
でも人々が必ずしも今回の事態だけで韓国放送を白眼視しているのではないようです。去年の夏から秋に、ロウソクを手にした人々は韓国放送本館前に集まり、しきりに「ジモッミ(「守ってあげられなくてごめん」の略語)」と叫んでいたじゃないですか。あの熱い支持と声援のこだまも、今は手厳しい叱咤となって私の胸をえぐります。
あれから1年も経っていませんが、韓国放送は完全に変わりきってしまいました。前の社長の頃の司会者たちは、みんな切られてしまいました。新年の白頭普信閣の打鐘式の時は、耳障りな現場の音声も消されてしまいました。不当な権力に抵抗してきた記者たちは、報復人事と懲戒で追いやられました。政権に批判的な(?)態度をとった『メディアフォーカス』や『時事トゥナイト』は消え去りましたが、李明博大統領のラジオ演説は、きっちりと流れ続けています。「政権の笛吹き」として忠実に服務してきたあの時代に戻るのではないか、という疑念が深まる中で、今回の事態が起きたのです。
6月3日の夜、耐えられなくなった韓国放送の記者たちが集まり、総会を開きました。韓国放送が市民たちから背を向けられる現実を、記者自らはどう思っているのか、そしてどう対応すべきなのかについて、共に話し合う場でした。200人近い記者たちが集まり、20人以上の記者がマイクを手にしました。意見は分かれました。盧前大統領逝去の局面から必死に目をそらし、ちゃんとした準備さえしなかった無能な首脳部に責任を問う声が上がりました。韓国放送の中継者が締め出されたのは決して韓国放送が悪いのではなく、石を投げられるほど偏った放送はしなかったという抗弁もありました。紆余曲折の末、この日に報道本部長と報道局長に対する信任投票を行うかどうかを決定する投票-つまり投票のための投票という初めての事件-を実施し、大多数の参加者の同意を得て、信任投票をすることに決定しました。
総会から出てきた後輩の記者の言葉が、まだ耳に残っています。入社志願書に書いた輝かしい文章の内容を思い出してみろと。初心に帰ってみると、今回の事態の解決方法を見つけることができるかもしれないと。ぼんやりとした記憶をたどり、十数年前に書いた入社志願書をよみがえらせてみました。「墨で書いた嘘が血で書いた真実を隠すことはできない」と書いたのではないか。ところが墨ではなく、マイクだとすれば、余りに多くの嘘を騒ぎ立ててきたのではないかという気がしてきました。
韓国放送の一介の記者
イ・スンヒョク記者
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これは・・・。韓国の検察機構を批判したいがために、日本の検察を持ち上げすぎてはいないか?媚日か?と思ってしまいましたが、なかなかおもしろいコラムだったので、つい訳してしまいました。
韓国の検察って、なんでここまで政権に「ベッタリ」なんだろう?と素朴な疑問を持っていましたが、なんだ、検察出身の国会議員、しかも与党にそんなのが多かったからなのね。ああ。なるほど。では、6月15日のハンギョレのコラムです。どうぞ。
日本の検察-韓国の「犬察」/オ・テギュ
「我々は犬だ。噛めと言われれば噛み、噛むなと言われれば噛まない」
金泳三政権時代の1995年11月末、ソウル地検に12・12および5・18特別捜査本部が電撃的に構成された直後、ある検事が自嘲気味に吐き棄てた言葉だ。あれから13年以上の歳月が流れたが、検察はまったく変わっていないようだ。むしろ気質はさらに狂暴になったようだ。主人も、彼らを統制できないという言葉を気楽にするくらいだからだ。さらに「パク・ヨンチャ・ゲート」の捜査結果の発表内容を見ると、厚かましささえ感じる。
盧武鉉前大統領の逝去をきっかけに、検察改革が最大の社会的話題になった。検察は今も捜査の正当性を強弁しているが、国民の大多数はまったく違う考えだ。「権力の手先」である検察が盧武鉉大統領を死に追いやったのだから、この際、検察を一新しなければならないというのが衆論だ。
一方で国民から絶対的に信認されている日本の検察の姿を見ると、なぜ韓国の検察に対する信頼が地に落ちているのかがわかる。日本の検察は、第2次世界大戦の敗北直後、最大の危機に直面した。ダグラス・マッカーサー占領軍司令部は、占領後すぐに軍国主義の尖兵だった警察と検察を無力化する作業を始めたのだ。警察は自治警察と国家地方警察に分割して力を奪いながらも1次捜査権を与えた一方、今の韓国のように極度に肥大化していた検察は、第2次的・補充的捜査機関に転落させた。
しかし日本の検察は、2次捜査権という糸口を利用して「巨悪」を暴き出したことから、このような大胆さが国民から認められ、華麗に復活した。その中心にあるのは、49年5月に発足した東京地検特捜部だ。88年の田中角栄元首相(ロッキード事件)、88年の竹下登首相(リクルート事件)、92年の金丸信自民党副首相(佐川急便事件)など、当代の「威勢を誇る権力」を相手にした東京地検特捜部の抽象のような捜査は、日本の検察を信頼の頂点に引き上げた。
一方、1981年4月に全斗煥軍事政権の「社会浄化運動」の過程で誕生した大検察庁の中央捜査部は、生まれる前から権力の下請機関という限界を抱えるしかなかった。大検中捜部も権力を相手に時折成果を上げることもあったが、それでも政治・標的・請負捜査というレッテルは付いて回った。
日本の検察の模範とすべきもう一つの点は、検察出身者は政界に進出しないという暗黙的な伝統だ。実際、日本の国会議員検索サイト(www.publistella.net)で調べてみると、衆議院480人のうち検察出身者は公明党にただ1人いるだけだ。参議院242人の中でもやはり民主党に1人いるのみ。一方、韓国の場合は、18代国会だけを見ても在職議員296人の中で22人が検察出身だ。政権与党であるハンナラ党に16人も集まっており、残りは民主党4人、無所属2人だ。この中には、大検中捜部や地方検察庁特捜部で政治事件を担当した検事もずらりと並んでいる。
職業選択の自由を否定することはできないが、この程度になれば、「現職検事の相当数が検事という職業を人権の砦や、公益の代弁者と言うよりは、国会議員への中間経路程度に考えているのではないか」という疑いから逃れることは難しいだろう。さらには現職の検察総長が服を脱ぐやいなや、議員バッジをつけるために汝矣島(韓国の国会がある場所)に疾走する場合さえあるのだから、「政治」と「検察」を分離して考えることがおかしいくらいだ。
日本の検察は国民から「本当の野党」という賛辞までされているのに、なぜ韓国の検察は「犬察」「検鳥」と嘲笑されるのか。検察が自ら変わらないのなら、国民が変えるしかない。
オ・テギュ論説委員
『ハンギョレ』2009年06月15日
[この人]731部隊の蛮行を暴く「謝罪の歌」
「悪魔の飽食」韓国公演、日本市民合唱団の持永伯子
»プロデューサー持永拍子(67)
「アウシュビッツ収容所でも数多くのユダヤ人が亡くなりましたが、生存者がいるので世の中にちゃんと伝わっています。でも日本軍731部隊の生存者は1人もいないため、誰も話ができないのです。私たちはそのようなことを伝えたいと思います」
日本政府、生存者なく生体実験「知らぬ顔」
「謝罪の意味」無料公演-老斤里慰霊祭参加
200人で構成された日本人合唱団が、長い間埋もれていた731部隊の話を扱った混声合唱曲「悪魔の飽食」公演のために来月、韓国を訪れる。広報のために先に韓国に来たプロデューサーの持永拍子(67/写真)氏は、「音楽を通じて731部隊で犠牲になった韓国人たちの魂を慰め、35年間の日帝支配も謝罪したい」と話した。
第2次世界大戦当事、日本軍の731部隊は中国黒龍江省パルピンで中国・ロシア・朝鮮人など3000人余りを対象に細菌戦のための人間生体実験を行った。しかし731部隊の関係者たちは、研究結果を米軍に渡すという条件で東京戦犯裁判所の起訴を免れ、戦後日本はずっと731部隊の生体実験を否認してきた。
「悪魔の飽食」は1981年に発行されたノンフィクション『悪魔の飽食』(森村誠一著)を基に作られた合唱曲だ。この本は731部隊の実像を告発し、300万部も売れ、84年には神戸市役所センター合唱団の嘱託により、合唱曲(池辺晋一郎作曲)の形で蘇った。しかし、日本社会が右傾化する中、2回目の公演は10年後の90年に日中友好協会創立40周年記念行事で行われた。その後、日本の敗戦から50年目の95年から「悪魔の飽食」の全国縦断コンサートが始まり、今まで日本の20都市で公演を終えた。
持永氏は「曲の内容に対する拒否感が強いので、合唱団を構成するのが難しく、全国縦断公演をする時は次の公演地に事前に行って市民たちで合唱団をつくり、6ヶ月間練習してから舞台に上がった」と話した。
来月26日午後1時にソウル教育文化会館で開かれる今回の公演では、「悪魔の飽食」だけでなく、911テロ事件を扱った混声合唱曲「正義の基準」、「わだつみ」の演奏、原作者森村氏の談話なども行われる予定だ。公演は来月28日午後7時に清州芸術の殿堂でも行われる。特に清州公演は、この合唱団員として活動していたある教授が、老斤里虐殺事件に関するシンポジウムに参加したことをきっかけに実現した。この前日の27日に、第11回老斤里事件
*合同慰霊祭にも参加し、追悼公演をすることにした。
公演は合唱団員たちの自費で行われ、入場料は無料だ。持永氏は「日本では入場用を受け取るが、外国公演は謝罪の意味と共に多くの方々が来てほしいということから、無料で行っている」と説明した。
文章.・写真/キム・ミンギョン記者
* 老斤里良民虐殺事件
1950年7月、米軍が忠清北道永同郡の黄澗面老斤里にある鉄橋の下で、韓国人の良民300人以上を射殺した事件。
[東京から]拉致問題、根源的解決方法を探せ/キム・ドヒョン
日本で暮らしていると、北朝鮮と日本の関係について考えることが多い。
比較的慎重で、冷静な方である日本人や政府・マスコミも、北朝鮮に関する話が出ると、完全に一変する。対北朝鮮世論の方向付けを主導するのは、やはりメディアだ。11日付の新聞社説の題だけ見ても、「危機への結束を崩すな」(朝日新聞)、「包囲網で暴走止めよ」(東京新聞)など、比較的進歩性向の新聞でさえ、北朝鮮に対する強硬対応一色だ。
特に放送局はそのレベルがひどい。出演者の中には「北朝鮮は崩壊してもいい国」というふうな超強硬発言をする者も目に付く。ほぼ毎日、もれなく放送される北朝鮮関連のニュースを見ると、冷静な分析報道もたまに見かけるが、興味本位が大部分だ。東京のある外交筋は、10日に発生した『テレビ朝日』による北朝鮮の金正日委員長の三男、金正雲氏の“最新写真”誤報騒動について、「日本の放送局が北朝鮮をどのように扱うかを如実に示した代表的な事件」だと指摘した。
日本メディアの対北朝鮮強硬姿勢は、基本的に国民世論に基盤を置いている。各種の世論調査の結果、70~80%の日本国民が北朝鮮への強硬制裁に賛成している。日本の北朝鮮に対する国民感情は、拉致問題が根源にある。拉致問題の解決が遅々として進まない中、メディアはさらに日本国民の“被害者感情”に火をつけている。ここに最近、北朝鮮が長距離ロケットを発射したことと、第2次核実験まで強行したことが加わり、北朝鮮への先制攻撃が可能な“敵基地攻撃”能力保有論まで、自民党で公に論議されている状況だ。
しかし、かつて対北朝鮮強硬制裁を主張していた「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の蓮池徹(54)前事務局長は、このような日本社会の雰囲気を憂慮している。最近、『
拉致-左右の垣根を超えた闘いへ』という本で対話による拉致問題解決を主張し、日本社会に波紋を起こした彼は、今月2日の『ハンギョレ』とのインタビューで、日本メディアの責任論を強く提起した。
「放送局の人たちに会う度に、拉致問題がなぜ解決しないのか冷静に扱える検証番組を作ってくれと話しているが、実現していない。視聴率が出ないうえに、政府に逆らえないという理由のようだ。日本の放送局は、北朝鮮のニュースを物珍しい国、奇妙な国というふうなエンターテイメントとして扱っている」
彼は日本政府の責任論も強く主張した。2002年9月17日、北朝鮮と日本政府が核、ミサイルや拉致問題、植民地とした過去の清算を包括的に解決しようという趣旨の『平壌宣言』に署名した。その後、両国政府の間で様々な合意事項があったが、解決に至れなかったことについては、北朝鮮ばかりでなく、短期的・政治的成果に汲々とするあまり、かえって国民世論の反発を買った末、合意事項を破り、仕方なく世論に引きずられている日本政府の戦略不在もあるだろう。
彼の弟で、大学3年生の時に北朝鮮に拉致され、2002年に24年ぶりに帰国した蓮池薫(新潟産業大学専任講師・韓国語翻訳家)も同じような状況だ。彼はハンギョレのインタビュー要請を何度も固辞した後、拉致問題については話さないという条件で2007年にインタビューに応じたことがある。彼は日-朝政府の合意で日本に一時帰国した後、北朝鮮に帰るとしていたが、兄の強い引止めにより「日本の家族を選ぶのか、北朝鮮に残っている子供たちを選ぶのか」という選択に人間的苦悩を重ね、結局は日本への永住帰国を決心したそうだ。
拉致の痛みと家族離散の悲劇を自ら経験したこれら当事者二人の対北朝鮮問題の解決方法が、成果をあげることを期待する。
キム・ドヒョン特派員
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