誰か私のことを知りませんか?
『ハンギョレ21』[2009.07.24第770号]
[報道その後]「2009ファースト・トリップ・ホーム」参加の養子40人が家族・知人の連絡を待っています
▣イム・ジソン
7月15日、幼い頃に養子に出されたジェニファー・グォン・トップスが中央入養情報院を訪れた。1976年にアメリカに養子として渡った彼女は、ルーツを求めて最近、韓国を訪れた。最初に行った場所は、自分を養子に送った東方社会福祉会だった。そこでは、彼女がかつて江原道原州(ウォンジュ)にあるソンエ院という孤児院に捨てられたということがわかった。原州に行ったが、ソンエ院の記録には彼女の名前がなかった。そして最後に訪れた場所が中央入養情報院だった。
»中央入養情報院の開院式場を訪れ、自分のルーツ探しの支援を求めたグォン・ヨンミさん(左側)。実の両親に関する情報がまったくわからない彼女のために、養子縁組当事の写真(写真・中央)を掲載する。写真『ハンギョレ21』リュ・ウジョン記者
この日はちょうど、中央入養情報院の開院式がある日だった。開院式の準備にばかり没頭していた職員たちは、トップスの登場に当惑した。ある職員が「養子検索システム」を開いてトップスの韓国名である「グォン・ヨンミ」と入力した。しかし検索される情報は、彼女の名前、性別、生年月日、処置(養子縁組)日時、縁組先国家、受入機関、養親の名前だけだった。すでにトップスが知っている情報だった。彼女の本当の両親や、捨てられた当事の状況に関する情報はなかった。職員は仕方なく東方社会福祉会に電話をかけただけだった。情報のない情報員では、何の支援も受けることができなかった。
情報を得られない中央入養情報院
業務はお粗末だが、開院式は豪華だった。この日、ソウル貞洞のフランチェスコ教育会館で開かれた行事には、ホルト児童福祉会のモリー・ホルト理事長をはじめ東方社会福祉会、大韓社会福祉会、韓国社会福祉会など4大入養機関が「貴賓」として参列した。ユ・ヨンハク保健福祉家族部次官は、祝辞の中で「すべて信頼して支持を惜しまなかった4大入養機関に感謝する」、「政府は中央入養情報院が成功するようにあらゆる支援をする」と言った。
『ハンギョレ21』は760号の表紙物語「
賢い韓国人の子供が2169万ウォン」で「市場」に委ねられた海外養子縁組を批判し、養子縁組を管掌する「中央国家機関」設置の必要性を強調した。中央国家機関の設置は、「国家間の養子縁組に関するハーグ協約」の核心内容でもある。当事、記事で紹介した入養特例法の改正案も中央国家機関の設置を主な内容としていた。しかし入養特例法の改正案は、依然として保健福祉家族部内部の論議にとどまっている。
このような状況で設立された中央入養情報院は、宙に浮いた状態だ。今年の初め、保健福祉家族部は中央入養情報院の設立に7億2100万ウォンの予算を配分し、100%保健福祉家族部の予算で中央入養情報院を設立した。しかし4大入養機関のすべてが、実の両親に関する情報を引き渡していない。韓国社会福祉会のイ・ミョンリム会長は、「入養機関の立場では、まだ中央入養情報院に養子縁組関連の情報をすべて引き渡すことはできない状況」だと語った。このまま状態では、中央入養情報院が主要業務目標として打ち立てた「養子縁組情報統合管理システム」の構築が不可能だ。法的根拠がないため、入養機関がまず引き渡さない限り、中央入養情報院が情報提供を強制することもできない。
»2009ファースト・トリップ・ホーム(First Trip Home)の参加者名簿
このような状況で、全般的な養子縁組政策の調律など、中央国家機関としての役目は期待することも難しいという指摘だ。中央入養情報院の関係者は、「入養特例法の改正もされていない状態で開院を急ぎすぎた感が否めない」と話した。こうなると中央入養情報院は、その前身である入養情報センターとも大した違いがない。入養情報センターは、4大入養機関が保健福祉家族部と共同出資して設立されたが、統合情報の構築から行き詰まり、形式的な機構に過ぎなかった。
それならばトップスはどうすればいいのだろうか?養子のルーツ探しは非常に困難だ。すぐにアメリカへ帰らなければならない彼らのために、写真を掲載しよう。7月31日にルーツ探しのために1週間ほど韓国を訪れる40人の養子情報も一緒に掲載する。海外養子連帯(GOAL)が主催する「2009ファースト・トリップ・ホーム(First Trip Home)」の参加者たちだ。写真の養子を知っている人たちの連絡を待つ。電話02-325-6585、Eメールservices@goal.or.kr
イム・ジソン記者
以前、
こんなのがありましたが・・・愛というのは、とてつもないもののようです。
麟蹄(インジェ)郡のある農家で飼っている犬が最近の集中豪雨で母親を失い、脱力状態で流れてきた子鹿に乳をやったり、人を近づけないようにするなど子守りをして注目を集めている。 【写真・麟蹄郡庁提供】
『江原日報社』取材日: 2009年7月14日 
ウルムチの涙、その種は差別と排除
『ハンギョレ21』[2009.07.17第769号]
中国政府の漢族移住政策でウイグル族がますます少数派に転落…
溜まった剥奪感が民族的葛藤として爆発
▣チョン・インファン
差別と葛藤の種がまかれると、挫折と憤怒は流血の実を結ぶ。だが死んだり傷つたりするのは、いつも力のない貧しい者たちだ。中国西部にある新疆ウイグル自治区の省都ウルムチの血の色が、乱雑な今日を作り出しているのもこれと同じ論理だ。
» 中国西部の新疆自治区でウイグル族と漢族住民の間で流血の事態が起こってから4日目の7月8日、中国軍の兵士とデモ鎮圧の警察兵力が省都ウルムチの中央広場に整列して威力を誇示している。写真REUTERS/DAVIDGRAY
時間を少しだけ戻してみよう。6月25日夜、中国南部広東省の韶関市に位置する香港系おもちゃ工場「シル」の社員寮が血に染まった。鉄パイプなどで武装した漢族労働者100人余りが、集団でウイグル族労働者の寮を襲撃したのだ。この工場では、これに先立つ5月と6月の2ヶ月間にわたり、合計800人ほどの新疆出身のウイグル族労働者を新規採用していた。ウイグル族労働者が来てから寮の内外で犯罪が急増したという話に尾びれがつき、挙句の果てにはウイグル族労働者が自分たちの寮で漢族女性労働者を強姦したという怪しげな噂が漢族労働者を刺激した。
広東で流れた血がウルムチ事態の起爆剤
一晩の「活劇」は明くる朝、400余りの公安兵力が出動した後に収まった。この過程でウイグル族労働者2人が無残に殺害された。香港の日刊『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』は、6月28日付で「この日の流血事件で病院に運ばれた負傷者は、重傷者10人以上を含む118人に達した」、「このうち81人がウイグル族労働者」だと伝えた。事実上、漢族労働者による一方的な「襲撃」だった
「根拠のない噂」が広まったのは、事件発生から3日後の6月28日だ。この日、中国官営の『新華社通信』は「公安当局は、事件の発端になった根拠のない噂を広めた容疑者を逮捕した」と報道した。「チュ某」と伝えられた漢族出身の容疑者は、当初シロ工場で働いていたが、退職後の再就職先が思うように見つからなかったことが伝えられた。最近、ウイグル族労働者が大量に採用されたせいで職が見つからないと考えたのだろうか?彼は「新疆のやつらが無辜な漢族女性2人をシロ工場の寮で強姦した」という無謀な嘘をインターネットサイトに広め、泥沼にはまった。
広東省で流れた血は、3200km以上離れた新疆で再び流血の事態を招いた。7月5日、省都ウルムチで怒り狂ったウイグル族が、シロ工場で同族が無残に殺されたことに抗議するデモを行った。数百人で始まったデモは、瞬く間に数千人に膨らんだ。昔から続く差別が作り出した怒りは、それだけ揮発性が強かった。『新華社通信』は「(ウイグル族の)暴徒が(漢族の)通行人を襲い、車両に火をつけた」と伝えた。デモ隊への発砲のニュースがそれに続いた。
翌日の7月6日、中国当局は前日だけで140人もの人がこの流血事件で死亡したと公式発表した。街は封鎖され、重武装した軍兵力が路上を占領した。外部との通信は遮断され、インターネットも通じにくくなった。『AP通信』は現地の携帯電話会社である「チャイナ・モバイル」の関係者の話を引用し、「平和を維持し、流血事態が広がることを防ぐために携帯電話サービスを中断した」と伝えた。中国当局はデモが「事前に緻密に計画されたもの」だと発表した。検挙旋風が吹き荒れはじめた。
事件から3日目、中国当局は人命被害の規模を修正した。その間、死亡156人、負傷者も1000人余りに増えた。7月5日の状況がどの程度だったのか、今さらながらぞっとした。中国当局はこの日までに逮捕した「暴徒」が1430人以上にのぼると付け加えた。この日の午後、武装した漢族住民たちが「報復攻撃」に出たため、公安当局は夜9時から翌日の朝8時まで通行禁止令を出した。
新疆自治区は中国全体の面積の6分の1を占める広大な地に、13の民族2000万人が暮らしている場所だ。代々その地で暮らしてきたウイグル族は、清朝が滅亡した1912年以降に広範囲な自治を享受してきた。1933年10月に完全な独立を宣布し、第1次東トルキスタン共和国を建設したが、翌年初頭に再び中国に帰属した。独立への熱望は簡単には静まらず、1944年にソ連の支援を受けて第2次東トルキスタン共和国を樹立した。しかし中国共産党は1949年、再びウルムチを掌握し、1955年に新疆を自治区として宣布した。ウイグル族は1949年を「植民化」元年と呼ぶが、中国当局の公式的な立場は「西漢時代(紀元前206年~西暦24年/前漢)にまで遡る、手放せない中国の領土の一部」というものだ。
1990年代に入り、ウイグル族の分離・独立の動きが再び拡大し、「東トルキスタン・イスラム運動」(ETIM)という団体まで作られた。中国版「テロとの戦い」が後に続いた。2001年の9・11同時多発テロの直後、中国当局はETIMがアルカイダと関連のあるテロ組織だと主張した。ウルムチで今回の流血事態が起きた直後、『新華社通信』は「テロと分裂主義、極端主義という3大勢力が再び混乱を煽っている」と非難したのも、このような脈絡からだった。米国務省もETIMをテロ団体と指定している。
偶然の一致なのだろうか?ETIMの名前が知られるようになった頃から、中国当局は西部開発事業を大々的に推進しはじめた。新疆一帯に莫大な規模の投資が伴うという宣伝と共に、漢族の集団移住を督励した。その結果は新疆一帯の人口構成比率に急激な変化をもたらした。いわゆる「漢族化」戦略だった。実際に、1940年代の新疆地域の漢族人口比率は5%強に過ぎなかったが、現在の新疆全域の漢族人口は40%に達する。「原住民」であるウイグル族は45%にとどまっている。
2005年の統計基準で人口が約268万人に至るウルムチでは、すでに「逆転現象」が起こっている。イギリスの時事週刊誌『エコノミスト』は最新号で「すでに2000年の人口統計資料でも、ウルムチの多数派は人口の45.3%を占める漢族であり、ウイグル族(42.8%)は少数派に転落した」とし、「新疆一帯での漢族の人口増加率はウイグル族の人口増加率はウイグル族の2倍に至る」と伝えた。それに教育と雇用の機会さえも、漢族に優先権が与えられている。ウイグル族は何かと危機感を募らせていった。
人権団体の「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)は、2005年4月に出した「致命的打撃」という報告書で、ワン・リカン新疆自治区の共産党書記の言葉を引用し、「新疆政府は分裂勢力に対する強圧的な取締りを行っていくだろう。分裂主義勢力に対して慈悲はありえない。ただ致命的な打撃だけがあるのみだ」と伝えた。この団体は報告書で「ウイグル族は自治権拡大や独立国家建設を望んでおり、これは多民族国家を求める中国当局にとって脅威として映るしかない」とし、「中国当局はウイグル族のアイデンティティのルーツであるイスラム教を手なずけることがウイグル族を手なずける手段だと見ているため、ウイグル人たちの宗教的自由を多面的に監視・統制・弾圧している」と指摘した。
「漢族の報復攻撃への傍観が、事態をさらに大きくした」
7月8日、ウルムチに兵力が増強配置された。主要8カ国首脳会談への参加のためにイタリアを訪れていた胡錦濤国家主席も急遽、帰国した。「流血事態に加担した者は、極刑に処する」という当局の発表が相次いだ。7月9日、3日間門を閉ざしていた官公庁がついに業務を再開した。バスも再び路上を走りはじめた。このまま収拾するのだろうか?『ロイター通信』は「上海出身の漢族」だという元教師の話をこのように伝えた。「当局が(漢族の)報復攻撃を早い時期に防がなかったために、事態がどうしようもならないほど大きくなった。ウルムチの路上にばら撒かれた民族間の怨嗟の残影は、当分の間は容易に消え去らないだろう。軍兵力が撤収した後に、どうやって生きていくべきかを考えると恐ろしいばかりだ」
チョン・インファン記者
「不法の法治」に立ち向かって何をするのか
検察と言論の誇大妄想に窒息させられた我々の夢
「誤った選択」を自省し、新しい希望を導き出すべき
『ル・モンド・ディプロマティーク韓国版』[10号]
2009年07月03日(金)18:36:09
ソン・ドゥユル|ドイツ・ミュンスター大社会学教授
今日、愕然とするような写真1枚がインターネットにあげられていた。逝去した盧武鉉前大統領の遺影を戦利品のように片手で自慢げに掲げている戦闘服姿の男性と、その後ろに蝶ネクタイをつけた正装姿の老紳士が座っている写真だ。これと似た写真をどこかで見たというおぼろげな記憶が、私の頭をかすめた。
それは南京大虐殺で無残に斬首され、血が流れつづけている中国人の頭をつかんで自慢げにポーズをとった日本軍の写真だった。これと共に、当事としては珍しい背広姿でこのような虐殺を悠々と眺めていた日帝や満州国の高級官僚たちの姿を写した写真も蘇った。一方では残忍で、もう一方では開化とファッションの象徴である蝶ネクタイで偽装した野蛮でおぞましい姿を写した記録だ。
私が受けたこのような不快な印象が、国内の現実とは乖離していればと思うが、最近会った韓国の知人は、それがまさしく韓国の現実だと指摘した。特に盧武鉉前大統領の衝撃的な逝去は、政権交代からしばらくして始まったロウソクデモにより、すでに二分化された社会世論の溝をより深くするものだった。
「法治」は万病の薬なのか
10年ぶりに政権奪回に成功した保守勢力は、このような葛藤の震源地に親北左翼勢力が潜伏してうごめいているとして、民主主義を守るために強力な「公安統治」を行うと明らかにし、これを「法治」の核心とまで主張している。これに対して批判勢力は、葛藤の核心はまさしく執権勢力の独善的な権威主義と我執が、国民との民主的コミュニケーションを遮断した点にあると反駁している。
現政権は大統領選挙でも、総選挙でも圧勝したことから、国民の絶対的に支持を得た政権だと主張し、また「法治」に対する国民の絶対的な委任も得ていると解釈している。しかしこれは形式論理に過ぎない。ナチスが執権以降、多くの法を議会で通過させ、これに基づいて前代未聞の「不法国家」を維持した。西ドイツの憲法学者グスタフ・ラドブルフは、敗戦後にそのようなつらい経験を反面教師とし、あらゆることを法に依拠しようとする法実証主義の矛盾を指摘して、自然法と人権に基礎を置く実質的な法治国家を主唱した。「法的な不法」がそこにはあるためだ。盧武鉉前大統領の逝去以降、随時に発生する公権力による意思表現と、平和的な集会の政権と弾圧は、まさしく法を全面に打ち立てて国民の基本権を蹂躙する明白に不法な事態だ。それでも国民権益委員会の委員長さえ、このような不法を正当化する「法治」が、現実を支配している。
市場が必ずしも民主主義なのか
国会では今「メディア法」をめぐる葛藤も最高潮に達しているそうだ。大資本中心のメディア市場改編が、言論の公共性を徹底して毀損し、さらに言論の自由を本質的に歪曲するのは言うまでもない。盧前大統領逝去のニュースを聞いた私は、すぐに私自身の5年前の経験を思い出し、彼の自殺はきっと言論による他殺だと思った。法治の中心に自らが立っていると誇大妄想する検察と、やはり民主主義のために言論の自由を守ると誇大妄想する言論財閥または財閥言論が、言葉のやり取りをしながら行った世論裁判が、その生活を悲劇に追いやったからだ。
言論も、学校経営も、国民の健康もすべて市場の自律に任せればいいという、いわゆる新自由主義政策も、労働市場の流動化を打ち出して労働世界の内的分化を誘導しつづけ、非正規職を量産する体制を維持しようとする。世界的な範囲で経済危機に直面している今日では、成長と福祉を同時に求めることは、もちろん容易ではない。しかし社会的弱者の制度的保護を度外視した社会的統合は、当初から困難な話にならざるを得ない。逝去前に盧武鉉前大統領は、ジェロミ・リフキンの『ヨーロピアン・ドリーム』を読み、この本を読むことを周囲の人にも勧めていたという話を伝え聞いた。なぜ彼は「アメリカ的な夢」を美しく叙述する多くの本の代わりに、この本を読んだのだろうか。私は「静かな強大国」に関する彼の夢をまず理解することができた。市場決定主義と成長第一主義が長期間にわたって再生産してきた社会的葛藤により、すべてが騒々しい国を越えようという彼の苦悩も読み取れることができた。「無能よりは腐敗の方がましだ」という間違った二者択一の道を進んだ多くの人々が選んだ現政府では、このような夢と苦悩の痕跡を発見することができない。
統一政策のない「統一政策」
このような夢と苦悩の不在は、対北政策にもそっくりそのまま現れている。6・15(金大中・金正日/2000年)と10・4(盧武鉉・金正日/2007年)に圧縮表現される前政権10年の対北政策や統一政策を、当初から白眼視したり、「待つことも政策だ」、「時間は我々の味方だ」というふうに民族問題を意図的に、また虚勢をはって放棄した深刻な結果を我々は今見ている。もちろんどんな政権でも前政権との政策の差別化を試みるが、この場合はあまりにも深刻な結果を現在もたらしている。
今年で20周年を迎えるドイツ統一のこれまでの過程を反芻してみても、この問題に対する教訓を見つけることができる。社民党のブラントのいわゆる「東方政策」は、保守的なキリスト教民主同盟でも基調が維持され、これよりさらに保守的なバイエルン州の万年与党であるキリスト教社会同盟の党首、ヨセフ・シュトラウスは、東西ドイツの関係改善に誰よりも先頭に立って努力した。政権の非連続性においても、統一政策の連続性がどれだけ重要なのかを端的に示す例だ。
統一部の廃止案から始まった現政府の統一政策は、結局は「非核・開放3000」と表現されたが、これは相手の存在を完全に無視した一方的な宣言に過ぎなかった。一言で言うなら「頭を下げるなら助けてやる」というふうな自惚れと虚勢が散りばめられた宣言に、プライド一つでこれまで耐えてきた北が応じると考えたのならば、これは余りにも北のことを知らずに統一の話をしていることになる。このように基本的な前提と態度に変わりがなければ-明らかに不幸なことだが-南北関係の正常化は当分の間、期待できないという気がする。
オバマにかける期待と失望
南北関係のこのような行き詰った状況を打破する重要な契機として、多くの人々はオバマに多大な期待をかけた。彼の理想主義が朝鮮半島の懸案解決にも新鮮な変化と衝撃をもたらすと期待したのだ。これまで遅々として進まなかった六カ国協議の枠の中で、朝鮮半島の軍事的緊張の核心問題である米朝関係の改善も消滅することを経験した北朝鮮は、オバマ政府の発足にそれなりの期待をかけただろう。しかしオバマ政府の国際紛争解決の優先順位から下位に追いやられた米朝関係の改善問題は、北に失望感を与えた。もっと待ってみるのか、それともむしろ問題を直接的にまず強く提起するのかという選択の岐路で、北の指導部は深刻な結果をもたらしかねない後者(人工衛星(ミサイル)発射、核実験)の道を選んだのだ。
そのような決定に対して、オバマ行政府の対北政策の枠が完全に固まっていない状況で出した北の拙速な判断であり、不利な手法であるという批判が起きている。オバマは多くの敵対国を抱えているのに、北朝鮮だけが目につくことを選んでやらかしたということだ。私は最近のイランに対するオバマの対応様式から、このような批判が説得力を失ったと見ている。現在、指導部との対話を基本枠に設定したオバマの対イラン政策も最初は慎重な姿勢を見せたが、ただちに現体制の批判勢力に対する支持に旋回し、イラン指導部と再び衝突している。アメリカの対外政策の基本が一朝一夕に変わるわけはなく、アメリカの指導部も自ら相当の対価を払うという決断なしには変化をもたらすことはできない。オバマが連日「北朝鮮バッシング」にいきり立っている『ウォールストリート・ジャーナル』の対北感から解放され、そのような決断を容易に下すとは私には思えない。
希望はどこへ
内外にあらゆる問題が錯綜しており、どうにも息苦しく、失望的な現実だ。しかし、このような状況に変化をもたらす動きを遠い場所から見つけることはできない。周辺国の立場で見ると、朝鮮半島問題にそれらの利害関係はあるが、だからといって自分の死活を直接的にかける問題ではない。戦争が勃発すれば、直接的に被害を被るのは南北に住む我々の同胞だ。自らがまずできることが多いのに、周辺国の動きに神経過敏になり、これにのみ引きずられている。核戦争でなくとも、通常兵器による戦争で民族が共に滅んでしまうのに、これまで南北の和解と共生、そして平和と統一に関して結んだ重要な約束さえも容易に忘れてしまっている。
このような雰囲気の中で行われたロウソクデモと盧前大統領の逝去に対する追慕の行列は、政治的想像力を新たに燃え上がらせる、ある種の「例示的教育」だった。つまり、社会問題の構造的核心を具体的に示す見本によって構成された政治教育であり、訓練だった。もちろん「路上の民主主義」は選挙に代替するものではない。しかし代議政治も完全無欠な制度ではないため、「代表者召還権」や「市民的不服従」を認めていないのではないのか。
現政権の退陣運動の話もあると聞いた。しかし前回の大統領選挙と総選挙の結果をこれからも是正する機会がまったくないわけではないし、間違った判断や決定も未来のために立派な反面教師としてうまく活用することができる。「例示的教育」によってより多くの社会構成員が、過去に実質的民主主義の確立と民族の和解と統一に自ら積極的役割を果たすことができなかったという徹底した自己反省がなければ、前回の選挙が生んだ様々な深刻な結果は、これからも修正されることがないと思う。
文章・ソンドゥユル
ドイツのフランクフルト大の哲学博士で、ミュンスター大の社会学科教授として在職中。1960年代にドイツに留学中、維新体制反対運動を主導した。社会哲学・社会主義・比較思想などの研究と共に、南北朝鮮の社会に対する研究も続けた。2003年、民主化運動記念事業会の招聘で帰国したが、国家保安法違反の疑いで拘束された。2審で大部分の容疑に無罪判決が下り、再びドイツに帰った。著書は『未完の帰郷とそれ以降』(2007)、『境界人の思索』(2002)などがある。
韓国の国会で今日、メディア法が通過してしまいました。
そのときの模様はこんな感じ(↓)でした。
なんで野党がこんなに激しく反対してるかっつーと、簡単に言えばあれですわ。それでなくても新聞界は朝・中・東(朝鮮・中央・東亜日報)が独占してて、李明博政権にとって都合のいいことばっかり垂れ流しているのに、この改悪によって、その大手新聞社やら財閥系の大企業やらがテレビ局まで所有できるようになってしまうんですね。
これで韓国のテレビも日本のように、どこも似たり寄ったりの無難で無害な報道ばかりになってしまうということのようです。うう、これでは日本のように保守政権が何十年も安穏として政権の座に座り続けるような国になってしまう・・・。
あっ、韓国って一院制だから、このままいっちゃのか。やっぱり国民の代表である国会議員や院をむやみに減らすのはヤヴァいみたい。
こちらは同志社大学の浅野健一教授が、韓国のメディア法改正がいかに危険かをハンギョレ新聞のインタビューで説明しているものです。どうぞ。
「日本の新聞・放送兼営の弊害-『オウム言論』の量産」
「新自由主義的規制緩和で強者のみ生き残り
世論の多様性が消え、権力批判は困難に
韓国政府、『言論独占』の胸算用-法の通過を阻止すべき」
与党による放送改編、このような理由で反対①
メディア関係法の処理をめぐって再び与野が対立している。昨年末と2月に続き、3回目だ。ハンナラ党は、新聞社と大企業の地上波進出許容を土台とした放送法改正案の6月国会処理に固執している。民主党は新聞の地上波・報道専門チャンネル進出禁止などの内容を含んだ案を提示し、与党の一方処理を阻止すると公言している。メディア法の最大の争点である新聞・放送兼営の拡大がもたらす問題点などを3回に渡って検討する。
日本の言論学者、浅野教授
「韓国でこのような法律が国会を通過すれば、日本のようになってしまう。韓国も日本のように政権交代が難しくなり、民主主義も20~30年後退するだろう」
ジャーナリスト出身の日本の著名な言論学者である浅野健一(60)同志社大教授は、韓国で新聞と放送の兼営拡大を土台とした法制定の動きに対して強い憂慮を隠さなかった。彼は今月10日の『ハンギョレ』とのインタビューで、「世界で前例のない日本モデルにならおうということは、非常に危険なこと」だと批判した。
-韓国の政府・与党は、新聞と放送の交差所有によって世論の多様性を確保し、雇用を創出できると主張している。
「それは嘘だ。日本だけを見ても『朝日新聞』と『テレビ朝日』、『読売新聞』と『日本テレビ』などがお互いに株式を保有しており、同じ主張を繰り返している。『テレビ朝日』を見ても『朝日新聞』の記者が出てしゃべり散らしている。多様性がまったくない。放送局の社長も、系列の新聞社から天下りするのが一般的だ。28の『テレビ朝日』系列局のうち、20局程度が『朝日新聞』出身だ。新聞と放送の兼営統合もさらに強化されている趨勢だ。結局、メディアの規模が大きくなればなるほど、権力批判が難しくなる」
-規制緩和レベルで新聞の放送進出を許容するべきだという主張もあるが。
「根拠のない規制があったのならば緩和しなければならないが、良い規制であるならなくす理由がないのではないか。新自由主義的な規制緩和では、強い者しか生き残れない。しかし、ジャーナリズムの場合、強い者だけが生き残っては困る。日本のビール産業でさえ、「キリン」や「アサヒ」だけがあるのではなく、「サントリー」のような小さな会社が生き残れるように政府が独占を規制していないが。新聞がテレビに進出する理由はまったくない。自動車を作る会社がビール会社を兼営する理由がないのは当然ではないのか」
-韓国政府・与党の意図は、何なのか?
「目的は明らかにメディアの独占化を進めることだ。世論の多様性をなくし、政府にとってやっかいな新聞社やテレビ局をなくすためのものだ。日本のモデルがいいというのは、植民地根性だと言ってやりたい。韓国政府・野党が推進している放送法改正案の国会通過を絶対に許容してはならないと思う。韓国政府・与党が放送局進出の規制はなくすことが改革だと主張することは、アメリカ式市場原理主義に根拠を置いている。ところが、市場原理主義はすべて破綻したのではないのか。世界最大の自動車会社であるGMが、国有化された状況だ。資本主義というものは健全で、公正なシステムが必要だが、アメリカのジョージ・ブッシュ前大統領と日本の小泉元首相がすべて破壊してしまった」
-日本は現在、新聞と放送の交差所有を認めている。その背景は何なのか?
「田中角栄(元首相)が1957年に郵政相に就任し、新聞社に放送局設立を認可した。そうすれば新聞社が政府に歯向かえないようになる。地方の放送局まですべて新聞社に与えた。それが田中角栄の政治的基盤になった。マスコミの社長をすべて自分の見方にしたのだ」
-日本の放送界の状況はどうなっているのか?
「日本の放送は何によって競争するのか、ジャーナリズム精神のようなものが欠如している。車の免許も持っていない人が高速道路を走っているようなのが日本メディアの状況だ。日本のテレビは病んでいる状態だ。日本の現代社会の弊害だ。単純で感情的だ。メディアというのは冷徹に未来と歴史を洞察し、国民が知るべき重大な情報を伝達し、権力を監視して人々に希望を与えるのが任務なのではないか。ところがすべて反対の方向に行っている」
-韓国の政府・与党はアメリカなどの先進国の大部分が交差所有を認めていると主張しているが。
「そんなことはない。イギリスも禁止している。ルパート・マードック個人が放送局の株式を持っているのであり、彼が所有している新聞社が放送局を兼営しているのではない。日本の例は世界に他の事例がない」
-アメリカ連邦通信委員会が2003年度に新聞・放送の交差所有を認める決定をしたが、議会で拒否された背景は何なのか?
「アメリカの国会議員は言論の自由がどれほど重大なものなのか、よく知っていた。韓国の国会もこの点を認識しなければならない。韓国で法律が通過すれば危険なことになる。歴史の汚点を残すことになると確信している。李明博政府は様々な過ちを犯したが、この法律が国会を通過すれば、韓国の国民に致命的な過ちを起こすことになるだろう」
■浅野教授は
『共同通信』のインドネシア・ジャカルタ特派員出身の浅野健一教授は、1994年から同志社大学に在職している。『靖国参拝から参戦へ極右化する日本とメディア』など20冊以上の単独著書を出した。このうち、日本メディアの犯罪報道の慣行を批判した『犯罪報道の犯罪』は、20万冊以上売れた。
東京/文章・写真=キム・ドヒョン特派員
『ハンギョレ』2009年07月13日