YTNと東亜日報、残酷なデ・ジャ・ヴ
[2008.11.07第734号〕
〔焦点〕『東亜日報』を弾圧した維新独裁政権の再臨なのか・・・
当時、拷問された『東亜日報』のチェ記者がチェ・シジュン委員長という‘アイロニー’
#1.2008年10月6日、YTNは人事委員会を開き、労組員6人を解雇、8人を減俸、13人を警告措置にするなど大規模な懲戒を断行した。これは李明博(イ・ミョンバク)大統領の特別補佐官出身である‘天下り社長’を拒否する運動を展開していた人々に対する報復だった。経営陣は社内掲示板に次のような文章を掲げた。「労働組合は株主総会以降80日余りの間、社長の出勤を阻止するなどの言論史上前例のない不法闘争を続けてきた」。しかし、懲戒されなかった組合員たちは、月給を得られなくなった同僚たちのために‘前例のない’数千万ウォン(=数百万円)の基金を準備した。
#2.1975年3月8日、『東亜日報』は審議室と編集局企画部、科学部、出版局出版部をなくし、所属記者18人を解雇した。政府による事前記事検閲など、言論の自由に対する弾圧に記者たちが集団で抗議し、これに対して中央政府が『東亜日報』に広告を載せないように広告主に圧力を加えたため、会社が屈服してとった措置だった。この事態をキム・サンマン『東亜日報』社長(当時)は「広告解約状態で経営が難しくなり、機構を縮小した」と釈明したが、「それよりも我々全員の給料を減らそう」という記者たちの要求は受け入れられなかった。
デジャブ(dejavu)。
何かを初めて見たのに、以前にも見たように感じる現象を示す。漢字では既視感。
»言論の自由を弾圧する政権の態度と論理は、33年前も現在も同じだ。1975年に解職された『東亜日報』の記者たちが、東亜日報社から鍾路5街にある基督教会館まで行進している様子。東亜闘委
「記者たちのせいで会社がダメに」と同じ脅迫
最近の言論界の動向を見るていると、デジャヴを感じることが多い。33年前の『東亜日報』と現在のYTNに関する話だ。1974~75年の維新独裁時代に起きた
『東亜日報』白紙広告事件と1980年の言論統廃合事件以来、ほぼ30年ぶりに‘権力(と会社)による記者の解職’が再現されたからだ。デジャヴはこれだけではない。事件を眺める権力層の態度を見てみよう。
1975年2月3日、パク・ジュンギュ民主共和党政策委員長(当時)は、アメリカの『UPI通信』とのインタビューで企業広告が消えた『東亜日報』事件に関して次のように話した。
「『東亜日報』は今、記者たちの支配下に置かれています。我々は『東亜日報』が発行人や編集人たちの支配下に置かれることを望んでいます。もしそうなれば、事態の解決は簡単になるでしょう。『東亜日報』の主張が統一され、規律が確立されるまでは誰も(広告再開)のイニシアティブをとらないでしょう」。
ところがその1カ月ほど前の1月6日には、イ・ヒョサン国会議長(当時)などが記者会見で「(『東亜日報』)の広告問題は、広告を出すように依頼した人たちと新聞社の関係に関する問題」だと話した。口やかましい記者たちを整理しなければ白紙広告という事態は続くという警告と、広告は企業と言論社間の問題に過ぎないという主張が共存していた。
33年が過ぎた2008年10月1日。ハンナラ党のチョン・ビョングク(メディア産業発展特別委員会)委員長は『ハンギョレ』とのインタビューで、「今月中に放送通信委員会がYTN再許可の是非を審査することになるが、YTNにこの事態を解決する能力がないと判断されれば再許可を出さないこともありうる。もし再許可を受けられなければ、会社存続の問題まで考慮しなければならない」と話した。これに先立ち、イ・ドングァン青瓦台スポークスマンは9月18日に国会運営委員会に出席し、「(YTNが労組員を刑事告発したことは)正常な推薦によって選ばれた社長なのに、社長室に入れないようにして業務を妨害したことに対しては、法的駆除が可能なのではないか」と話した。33年前と同じく、会社がつぶれかねないという脅迫の論理と、一企業内部の問題であるために法に従ってすればいいという主張が共存している。
33年前の『東亜日報』と現在のYTNの間には、デジャヴだけでなく、アイロニーも存在している。ある劇的な状況で予想されることと、実際に起こることが一致せず、逆に起こる現象のことだ。
維新政権の序幕が準備されようとしていた1972年1月28日。この日付の『東亜日報』1面には屋外集会・示威措置に関する記事が載せられた。作成者は入社7年目の政治部のチェ記者だった。翌日、チェ記者はソウル南山にある中央情報部の地下室に連行され、無差別に棒で殴打された。政府機密を漏洩し、社会の混乱を招いたという理由だった。取材源を明らかにしろという要求とともに厳しい拷問が続いた。しかし、チェ記者は最後まで口を割らず、代わりに辞表を出すことで釈放された。当時、この事件は言論界に静かな波紋をもたらした。パク・グォンサン『東亜日報』編集局長(当時)は直接チェ記者の自宅を訪れ、誰だか見分けが付かないほど腫れ上がったチェ記者の顔を見て驚いたそうだ。酷い性的拷問を受けたという噂もあった。
»9月25日に会社から告発されたYTNの記者たちは、警察に出頭する前にソウル南大門警察署前で記者会見を開いた。『ハンギョレ21』パク・スンファ記者
退陣どころか、社員の月給を取り上げた‘天下り社長’
中央情報部の酷い拷問を受けたチェ記者とは、今では放送通信委員長となったチェ・シジュン氏のことだ。李明博大統領の最側近であるチェ委員長は、キム・フェソン国家情報院2次長、ナ・ギョンウォン議員(ハンナラ党)、イ・ドングァン青瓦台スポークスマンなどと秘密裏に会って韓国放送対策を話し合い、それに前後してク・ボンホンYTN社長とも会談した。政府の言論掌握を計画し、実践する総司令官として注目されている。言論の自由弾圧の被害者が加害者の首領として生まれ変わったのだ。
10月29日、真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委・委員長アン・ビョンウク)は、‘『東亜日報』広告弾圧および強制解職事件’を「中央情報部などの国家公権力による重大な人権侵害事件」として規定し、国家と会社に謝罪と適切な措置をとることを勧告した。権力と会社によって路頭に放り出された100人余りが、実に33年ぶりに公式復権したのだ。
しかしYTN事件では、ク・ボンホン社長出勤拒否闘争が100日以上続いているが、解決の気配すら見えていない。労組員はもちろん、他の言論社記者、言論学者、言論団体まで立ち上がってク社長の退陣を求めているが、ク社長は退陣どころか10月の月給を出さない方針で労組員たちの首を絞めつけている。また、10月24日にク社長により新たに任命されたカン・チョルウォン報道局長は、部・チーム長会議で「労組に同調する部・次長は自ら名乗り出ろ。このような人物とは一緒にやっていけない」と宣言した。しかし、労組員の態度もまた頑強だ。毎日、数十人の組合員たちがク社長の出勤阻止闘争を行っており、10月29日には故意的な賃金未払いの容疑でク・ボンホン社長をソウル地方労働庁に告訴までした。力と情の間でどちらが勝つかはまだ未知数だ。
YTN事件の結論は、33年前の『東亜日報』事件のデジャヴになるのか、それともそうはならないのだろうか。
イ・スンヒョク記者