〔特別寄稿〕3代継承はない/和田春樹
9月9日、ピョンヤンでの建国60年の祝典に金正日国防委員長が参加せず、衝撃をもたらしてから10日以上が経った。 金正日委員長が病臥中であるという点は、すでに疑いの余地がなくなった。
重病説を主張する人もおり、後継者問題を云々する意見もある。 致命的な病ではないとしても、完全に治るまで時間がかかる場合は金正日委員長の職務を代行する人物が必要になる。 再起不能状態ならば、後継者を立てなければならない。 このような意味で、後継者問題はすでに発生したと見なければならないだろう。
金日成主席が死亡した時点で労働党政治局常務委員だった金正日委員長は、人民軍最高司令官と国防委員会委員長のポストを受け継いだ。 後継者として広く知られており、資格は十分だった。 その資格は親子だからではなく、20年以上もの長期間にわたって金日成体制、‘遊撃隊国家’の演出家として活発に活動していたことに基づいていた。
そして継承にあたって金正日委員長は新たに朝鮮人民軍を国家社会の核心とする体制、つまり先軍体制(私見では‘正規軍国家’)への転換を実現した。 経済危機の真っ只中、難しい継承作業をやり遂げた力量も大したものだった。 父子継承としては、台湾の蒋介石の跡を息子の蒋経国が継いだことも有名だが、その場合も単純に親子だということではなく、蒋経国という人物の相当な経験と力量に基づくものだった。
金正日委員長の子供のうち、誰が後継者候補になるのかという意味の主張をする人たちもいるが、端から3代継承はありえない。 3代目の王子ということは、緊張感のない生活を送り、また放縦ななかで成長したがために継承作業のための経験を積むことができないのが普通だ。 実際、彼の子供のうち、要職に就いて誰もが認める業績を誰一人あげることができないでいる。 このような意味で父親の地位を継承する資格がない。
金正日委員長が一時的とは言え、指導者としての務めができないとすれば、憲法上国家統治の最高機関である国防委員会委員長兼人民軍最高司令官のポストに代行者がいないということになる。 国防委員会の第1副委員長は人民軍総政治局長の趙明録(チョ・ミョンロク)次帥で、副委員長は前参謀総長の金永春(キム・ヨンチュン)次帥と李用茂(イ・ヨンム)次帥だ。 委員の中には人民武力部長の金鎰喆(キム・イルチョル)次帥がいる。 昨年登場した現役参謀総長の金格植(キム・ギョクシク)大将、総政治局第1部局長の金正覚(キム・ジョンガク)大将はまだ国防委員会の委員ではない。 その他に文民としては軍需産業担当である党書記の全秉浩(チョン・ビョンホ)、人民保安省のチェ・ヨンスなどがいる。 規定上、金正日委員長の代行は第1副委員長の趙明録が予定されているはずだ。 彼は文字通りのナンバー2だ。 しかし、病気のために手術を何度もしたという報道がある。 その点で、建国60周年の閲兵式で「金正日委任による」と式辞を読んだ副委員長の金永春(キム・ヨンチュン)が注目される。
彼は昨年7月、総参謀長として国防委員会副委員長に昇格したが、次帥になったのは趙明録と同じ時期だ。 彼と共に先軍体制確立を裏付けてきた。 1997年4月9日、金正日の軍重視思想に対して演説を行い、「軍隊はすなわち人民であり、国家であり、党」だというイデオロギーを最初に鮮明に説明した人物だ。 金正日不在の閲兵式の演説では、趙明録と金鎰喆が軍服姿だった。 金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員会委員長と金英逸(キム・ヨンイル)総理が背広姿だったのに比べ、彼だけは金正日風の人民服だった。 そのため、金正日委員長のポストを代行するのは金永春ではないかと考えることもできる。
ただし、この代行者は金正日と同じような独裁者にはなれない。 国防委員会が党書記局の協力を得て統治する場合、合意の形式が重要だ。 代行の路線としては当分の間、金正日路線の継承が原則だろう。
和田春樹/東京大学名誉教授
(ハンギョレ新聞 2008年09月22日)