東アジア共同体と安重根/キム・ヨンホ
安重根の逝去100周年を控え、安重根を再評価する動きが活発になっているなか、最近日本の東京で開かれた国際東アジア共同体学会主催の国際会議で「東アジア共同体と安重根」という主題で基調講演をする機会があった。朝日新聞社ホールいっぱいに集まった日本の名士500人以上を前にした安重根に関する講演は、今でも‘事件’だった。日本のある新聞でも公演の題目が電光掲示板に現れたとき、「一瞬、息が詰まりそうだった」と表現するほどだ。日本の近代化の主役、伊藤博文を撃ち殺したテロリストのイメージが今でも強い。私は「安重根を韓国独立運動の英雄というレベルではなく、東アジアの平和主義者、いや、‘東アジア共同体建設のジャン・モネ(ヨーロッパ統合の父)’というレベルで安重根を紹介したい」と強く主張した。私は東南アジア諸国が‘ASEAN’を結成したうえで、中国や日本ではなく‘ASEAN’主導で‘ASEAN+3’の枠を作り、‘ASEAN+3’の枠が東アジア共同体に進化する過程を注目している。
安重根の『東洋平和論』では韓・中・日主導で‘東洋平和会議’を結成し、漸進的に東南アジア諸国が参加することを構想している。彼は列強が中国を侵略しているのを目撃し、西洋帝国主義に対する韓・中・日三国連帯を主張したが、アジア主義が日本の侵略主義に利用されると、日本の侵略主義を抑制する枠としてアジア主義を構想するようになった。これはまるで戦後のヨーロッパで外に旧ソ連の脅威に共同で対応しながら内ではドイツの膨張を抑制しようと西ヨーロッパ連合を推進したことと比較できる。
安重根は当時の国際的紛争地である旅順を中立化し、韓・中・日共同参与による東洋平和会議本部をそこに置くことを提議した。紛争の軸を協力の軸に変える逆転モデルにより、現代の東アジアにおける各種の紛争の解決方向を提示しているように思える。
安重根の東洋平和会議は両者関係としてではなく、多者関係で推進・構想されている。共同安保体制の下で共同で軍隊を解散して共同平和軍を創設し、共同産業開発計画を推進し、共同開発銀行をつくって第三の共同貨幣を発行することまで提議している。東アジア開発銀行やアジア通貨単位(ACU)構想の基礎的な型だ。
東洋平和会議は各国政府も参与するが、むしろ新しい市民の積極的参与を期待している。各国家と人民を区別し、市民参加型の共同平和会議を想定している。古代文化の共有や人種主義的アジア論ではなく、新しく登場する市民、あるいは市民勢力が主導する東洋平和会議だ。韓・中・日の市民数億人が加入し、一人当たり会費を1ウォン(1ウォン=約0.1円)ずつ出せば数億ウォンを集めることができる。彼は欧米帝国主義と市民を区別し、欧米市民と提携しなければならないと強調している。
今の‘ASEAN+3’体制が東アジア共同体に進化すれば、中国の日本の覇権主義により‘中国のアジア’または‘日本のアジア’になってしまう危険性が大きい。それを安重根が構想した‘アジアの中国’、‘アジアの日本’となるようにしなければならず、そのためには国家を繋げる、アジアよりも世界市民を繋げる‘市民的アジア’、両者主義的アプローチのアジアではなく多者主義的アプローチのアジアを構想した安重根の達見が今さらながら注目される。私は‘古い未来’である安重根を東アジアのジャン・モネとして紹介し、彼を東アジア共同体形成の全面に打ち立てることを提案して講演を終えた。
国連大使を務めたある日本人の言葉が印象に残った。「中国や日本がアジア共同論を打ち出せば、皆が警戒する。韓国が提案して安重根を打ち出せば、可能性が高まる」会議後のパーティーでは、ことごとく安重根の話ばかりであった。誰かがアリランを歌い出すと、皆がそれに合わせて歌い、感動的な場面が展開された。
キム・ヨンホ/国際東アジア共同体学会共同代表
(ハンギョレ新聞 2008年03月25日)