韓国では日本以上に受験戦争が激烈で、今までは入学試験用の‘詰め込み暗記型’の教育をガンガンやっていたのですが、「それではイカン」ということで、論述(小論文)試験にも重きを置くのが最近の傾向のようです。それで論述専門の学院(日本でいう塾)が繁盛したりというのは、「やはり韓国だなぁ」なんて思ってしまいます。
さて、それで新聞の教育欄にも論述問題の例題が出ていました。やはり今の話題は南大門の火災ですね。それと日本の現代史・・・かよ。そんなところも「やはり韓国」。
驚いたことに、この高度な例題は中学生向けの論述問題だそうです。韓国の中学生は、歴史についてどう思っていて、どんな文章を書くのかな。なんかそっちの方が気になるゼ。
下の記事は京郷(キョンヒャン)新聞の2月18日の記事です。それではどうぞ。
[どこどこ麦踏み*中学論述]
‘恥ずべき歴史’にどう対処するか
(イ)全焼した崇礼門(南大門)は歴史そのものだ。‘崇礼門火災’を小・中・高の教科書に載せ、次世代に警鐘を鳴らさなければならないという意見が歴史学会を中心に提起されている。恥ずかしく、見るに忍びない事件に‘遮断幕’をかけずにそのままの姿を晒し、転禍為福(災い転じて福と成す)の契機にしようというのだ。
韓国考古学会のイ・ゴンム会長(竜仁大学教授)は13日、「崇礼門が焼失した事件とそれに関連する事実をありのまま教科書に載せなければならない」とし、「文化遺産をきちんと保存することがどれほど重要かを喚起させるいい事例になるだろう」と話した。チャン・ヨプ国立現代美術館作品保存管理室長は「灰になった崇礼門の写真を教科書に載せ、復元後は近くに記念館を建てて残骸を展示するのも一つの方法」だと提案した。「文化財をこれ以上なおざりに放置しないという決意を表すことが、むしろ新しい美徳になるかもしれない」と付け加えた。
‘崇礼門焼失’事件を国史ではなく、社会の教科書で扱うべきだという意見も示された。ソウル大のキム・ミンス教授(デザイン学部)は「崇礼門崩壊事件は国史教科書の範囲を超えた、社会教科書の素材」だとし、「開発至上主義が杜撰な文化財保護対策をもたらし、それがどのように無様な結果を生んだのか、再確認する契機とすべきだ」と強調した。
『京郷新聞 2008 年2月13日』
(ロ)昨年7月末、米下院の本会議で、日本軍慰安婦決議案が満場一致で通過した。米下院議員たちの良識と勇気は生きていたのだ。韓国の独立記念館は昨年春、米下院と議会調査局に書簡と日本軍の蛮行を告発する資料を送り、通過後は感謝と激励の書簡を送った。
今、日本政府は過去の過ちを公式に認め、謝罪する歴史的な責任者を果たさねばならないだろう。米議会と国際社会は‘慰安婦決議案’を日本政府が誠実に履行するように、厳しい目で監視しなければならない。我々は日帝の蛮行を伝え、教育する施設を備えなければならない。
ドイツの哲学者、カール・ヤスパースは、戦後ドイツ人の罪を4段階に分類し、一帯懺悔運動を展開して力説した。その4つとは、刑事上の罪、政治上の罪、道徳上の罪、形而上学的な罪だ。‘形而上学的な罪’とは、ヒトラーの統治下でユダヤ人600万人を含む、数多くの人が殺害されるなか、抵抗せずに生き残ったということを意味する。ドイツは戦後、ナチの清算はもちろん、過去における隣接国家(国民)に対する侵略と残虐行為に関して謝罪し、賠償をした。ヨーロッパ共同体とヨーロッパの平和は、このようなドイツの反省と過去の清算から始まった。日本が学ばなければならない点だ。
『京郷新聞 2007年8月14日』
1.今回の‘崇礼門火災’事件が歴史の本に載るとすれば、私たちの子孫にどのような影響を与えることになるでしょうか?皆さんが歴史の本から‘崇礼門火災’事件を学んだと想像し、それから感じたことを書いてください。
2.日本とドイツは過去の恥ずべき歴史に対する態度が異なります。この両国の態度がどう違うのかまとめてみましょう。
3.(イ)、(ロ)を参考に、恥ずべき歴史にどのように対処するのがいいのか、‘崇礼門火災’事件を例にあげて書いてみましょう。
▲考え方のカギ
人間は過ちを反省し、再び起こさないように努力します。人類の歴史も同様です。私たちは歴史を学び、過去の過ちを繰り返さないように努力します。そのため、‘歴史は現在を映す鏡’とも言います。(イ)、(ロ)の文章をよく読み、歴史が現在を映す正しい鏡となるようにするには私たちがどうあるべきか、よく考えてみましょう。
* 原文の「글밭=
그루밭」は「麦踏み」という意味ではないのですが、適当な日本語がないのでこうしちゃいました。誤訳ではないのでツッコまないように。