靖国の矛盾/高橋哲哉
2008年の新年が明けた。新しい年の最初のコラムだが、昨年に続いて靖国神社問題で始めることをご了承いただきたい。昭和“天皇”がA級戦犯の合祀に不快感を抱き、靖国参拝を中止したことは、彼が東京裁判の結果に感謝したということから考えればよく理解できるという話を前回はした。
靖国は天皇の命令により、お国のために戦死した者を祀ってきた。そのような“天皇の神社”靖国が天皇の意思に反して戦犯を合祀して天皇を不快にさせ、彼の参拝を受けることができなかったということは、自己矛盾以外の何物でもない。今上天皇も含めて30年以上参拝していないという異常事態が続いているが、靖国としてはA級戦犯を分祀してこれを解消することもできない。なぜならば靖国自体が他の“英霊”と同じように「一旦、神として祀ったものは神道の道義上、分祀することができない」と一貫して主張してきたためだ。政治家たちのA級戦犯分祀要求や、遺族たちの合祀取り下げ要求に対してもこのような論理で拒否してきた。それだけに今更「天皇陛下が参拝することを望んでいるため、A級戦犯は除外します」という話をすることはできなくなったのだ。
昭和天皇も戦後1975年までの30年間、8回にわたって靖国を参拝した。自分の命令のために戦死した200万人以上の“英霊”を祀っている靖国に、昭和天皇自身が天皇として参拝を続けたということだ。それが敗戦後にも日本国民の間で“靖国信仰”が残った一つの原因だと言える。これは例えば天皇が東京裁判に回され、その地位を剥奪されていればありえなかったことだ。靖国神社のように一方で昭和天皇と天皇制を根拠にしながらも、もう一方で東京裁判否定論に立つことは最初から不可能な話だったのだ。
このような自己矛盾が決して靖国神社だけではないという点ははっきりしているはずだ。安倍晋三前総理をはじめ、東京裁判否定論による“帝国日本”の歴史再評価を志向する現代の日本の右派勢力が抱いている矛盾でもある。日本の右派にとって今も昔も天皇制こそがもっとも重要な価値であり、最後の拠り所であるということは言うまでもない。例えば安倍前総理は「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制」であり、「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリー」だと述べた。「戦後の日本社会が基本的に安定性を失わなかったのは、行政府の長とは違う天皇という“微動だにしない存在”があってはじめて可能だったのではないのか」という主張もした。(安倍晋三著書『美しい国へ』)
しかし、戦争に敗れても天皇が“微動だにしない存在”だったと言えるのは、東京裁判での天皇免責という重大な事実に依存している。A級戦犯として天皇起訴という近代天皇制最大の危機が、ダグラス・マッカーサーとアメリカが盾の役割をした東京裁判によって救われたということは無視している。要するに、現代の日本の右派勢力は、東京裁判の結果を否定しようとすれば昭和天皇の意思に反することになる。また、戦後天皇制の最大の拠り所が実はアメリカだったということを無視する自己矛盾に陥ることになったのだ。
昭和天皇は東京裁判での起訴を免れ、1947年5月の新しい日本国憲法の施行と共に“日本国”と“日本国民の統治”の象徴になった。天皇は政治権力を一切持たない存在になった。しかしこのとき昭和天皇は、憲法の規定に反して戦後日本の新しい“国体”とも言えるものを形成する役割を果たそうとした。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学
(ハンギョレ 2008年1月6日)