■ お?(13日の金曜日)
くどいようだが、その日は2004年の2月13日(金曜日)だった。
この日もお兄さんのお店のお手伝い(ジャマ?)をした。
外はぽやぽやの小春日和。
お店も適度に(?)忙しく、店頭でおフランスのまっだ~むにフランス語で
たたみ掛けられても笑顔で対応できるまでに成長した。
(実際は、笑顔でバイト君を引っ張って来れるようになっただけだが…)
そんな昼下がり、あごヒゲをのばし、イスラム帽をかぶった、見るからに
「お、イスラム教徒」というイデタチのおじさんが店に入ってきた。
イースト・ロンドンでは、このようなスタイルの男性をよく見かけたというか、
そんな人だらけだったが、フランスで見るのは初めてである。
あ、ちなみにフランスのイスラム教徒の女性も、そのほとんどがいわゆる
イスラム教徒っぽい服装(チャドルとか、スカーフとか)をしていない。
兄嫁さんも外出するときにスカーフなどをしない。
公教育の場での宗教的スタイルが禁止(話題のスカーフ論争)されたら
姪っ子は将来、学校にどのようなスタイルで学校に通わせるの?
とかって質問しようと思っていたが、愚問のようだ。
すでに、ごくフツーのフランスの女の子として育てられている。
万が一、キリスト教徒と結婚したいと言い出しても、「キリスト教徒だから」
という理由だけで頭ごなしに反対はしないだろうね。この両親なら。
(でも、いろいろと難クセをつけてくるのは、世の父親のサガなんでしょうなぁ。
ねぇ、お兄さん。)
などと、二十数年後くらいに起こるであろう出来事について、勝手に
思いを巡らせちゃったりなんかしたりして。このアンティーは。
はっ、話がそれた。
で、そのヒゲおじさんとお兄さんがフランス語で何やら談笑している。
そこに弟(彼氏)が呼ばれる。
「キミ、フランス語はわかるかね?」
「いえ、まったく…」
その後、ヒゲおじさんがフランス語でしゃべり、それをお兄さんがウルドゥー
(パキスタン語)に通訳するというカタチで、3人で話しはじめた。
それを見ていたバイト君は何かを察し、
「マダム、ちょっと今とり込んでマスんで、のちほど来ていただけます?」
と、お客さんにお引取り願っている。
それを見た私は、
「はっはーん。今日は金曜日(イスラム教の安息日みたいなの)だから、
きっとこれからお祈りをはじめるのね。フランスでは、お兄さんみたいな
忙しい人のために“出張お祈り”をしてくれるのか。まぁ、月命日ごとに
お坊さんがお経をあげに家まで来てくれるようなもんかな?」
などと、勝手に解釈していた。
お兄さんから
「そこ(やはりレジの前)にだまって座っとれ」
と言われたので、はいはーいとオトナしく座る私。
そして、兄と弟の前でウヤウヤしく何やらアラビア語でお祈りをはじめる
ヒゲおじさん。
(イスラム教のお祈りは、どこの国でもみんなアラビア語なのである。
などとエラそうに講釈タレているが、私、アラビア語って「いただきます」と
「ごちそうさま」と「痛いの痛いの飛んでいけ」しか知らんのよ。)
んで、お祈り開始数分後、ヒゲおじさんが
「なんたらかんたら~」と言うのに続いて
「あーみん」とオゴソか答える兄と弟。
↑これって、キリスト教の「アーメン」みたいなモン?と思う私。
これがあと2回か3回くらい繰り返された。
お祈り終了後、達成感に満たされた表情の3人は、握手を交わす。
そして、にこやかに去っていくヒゲおじさん。
「お布施を渡さなくてもいいの?」と思いながら見送る私。
「まぁでも韓国にいると、モスクに行くのも数ヶ月に1回くらいなのに、
フランスではお兄ちゃんと一緒に金曜礼拝ができてよかったねぇ。」
と、言おうとすると、ヤツは韓国語で
「ウリ アッカ キョロンヘッソ」と、言ったのです。
……………はい?
ここで韓国語の解説を入れますと、
【ウリ】 → ワシら
【アッカ】 → さきほど・さっき
【キョロン・ヘッソ】 → 結婚した で、ございます。
……………ぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええ!!!!!!!!!
じゃ、あのお経のようなのは祝詞?
私がヒゲおやじ呼ばわりしてたのは神主さん?
三々九度は…、イスラム教だからナシ?
4日4晩の飲めや歌えの華燭の宴(ぱーと6参照)もナシ?
と、無理やり頭の中で日本語(?)に変換しようとするも、大混乱。
酸欠状態の鯉のように“お口パクパク”になっていると、
お兄さ…いや、お義兄さんが
「さっきあった事について説明するからココに座れ」
と、また座らされた。
「いいかい?君らはさっき神の前で結婚を誓ったのだから、これからは
お互いを思いやり、理解し合い、助け合い…(以下略)…」
お、お義兄さん、なんでそれを先に説明してくれんかったんですか?
結婚を誓ったっちゅーても、私だけ参加してませんやん!
私、これでも新婦、花嫁、英語でゆうたら“bride”でっせ。
自分の時だけ“米ドル札でバーバ=モジャ(ぱーと6参照)”してからに。
私かてしたかったわぁ。(注;アレは新郎だけです)
これは“事後承諾”婚ですか?“既成事実積み重ね”婚ですか?
お義兄さんが午前中どっか消えてはったのも、あのヒゲんとこですか?
などと、テレパシーでガンガン“ニセ大阪弁”を送り続けるが、どうやら
私にテレパシー能力はないらしい。
その代わりにニッコリ笑顔でうなずいてしまった。
あぁ、私ってジャパニーズなのね。
お義兄さんは満足そうに
「さぁ、仕事。仕事。」と、また商売に励みだした。
気を利かせて外に出ていたバイト君も店にもどってきた。
それ以降、バイトちゃんは私のコトを“マダム”と呼ぶようになった。
あぁ、以前、アウェイズが言ってた言葉が頭をよぎる。
『イスラムの結婚には2人のwitness(証人・媒酌人)がいる』
→ ヒゲおじさんとお義兄さんが媒酌人ってことね。
『パキスタンの結婚“式”は豪勢だけど、イスラムの結婚はシンプル』
→ 4日4晩の宴は諦めるとして、米ドル札のバーバ=モジャは!?
『フランスの兄貴はジョークが上手いんだ』
→ 確かに、エスプリが効いてるよ。
はあぁ~、
“マリッジ・ブルー”を体験するヒマもなく、私はイスラムの神様に
祝福されていたのでした。あーみん。
◆◆ コラム読者のみなさまへ ◆◆
わたくし、ハムニダ薫は上記の通り、2004年2月13日にフランスの
『あるぱじょ~ん』においてイスラム教的には結婚いたしました。
しかしまだ入籍しておらず、また個人的には法律婚にまったく興味がなく、
しかも外国で外国人同士が結婚するというのは手続き的にとっても
ややこしいのでウンザリなんですけども、ビザなどの関係上、そのうち
ちゃんと戸籍上の結婚もしなければならないんだろうなぁとは漠然と
思っている次第であります。
(それ以前にウチの両親にはまだ何も言ってないんですけどね。)
あ、なお、今まで文中で便宜上“彼氏”と書いてまいりましたが、
これからは“ツレアイ”と書きます。
本人は、
「ワタシ、カオルノ、ダナ(←Nがひとつ足りない)サンデース」と、
“ダンナ”という名称がいいらしいのですが、私が“ダンナ”と書くと
何だかポン引きっぽいのでやめときます。
とにかく、これからも末永くツレアイと仲良く暮らして行けたらなぁと
思いながら、おママゴトのような生活を続けております。
それでは、今日はこれまで。
《いまだ暴走中・ぱーと10へ続く》