トニー・ブレアとブライアン・ホー/高橋哲哉
6月下旬の2週間ほど、英国のロンドン大バーベック・カレッジに滞在した。マスコミの主要関心事は、トニー・ブレア首相の退陣とゴードン・ブラウン新首相の就任に集中していた。
ブレア前首相はパレスチナ“分裂”により次第に混迷を深めている中東へ特使として行くことになったが、彼の退陣はイラク戦政策の失敗のせいだということは、これ以上説明する必要もないだろう。私がロンドンを発った翌日の29日、市内中心部の2カ所で爆発物が発見され、グラスゴー空港では車が突進して炎上した。
今回のロンドン滞在中もっとも印象的だったのは、ブライアン・ホーの闘争現場を目の前で見たことだった。韓国ではどうかわからないが、少なくとも日本ではホーの活動は「完全に」と言っていいほど報道されておらず、まったく知られていなかった*。ホーは2001年6月2日、ロンドンの国会議事堂前広場でイギリスのイラク経済制裁に対する抗議行動を始めた。その後も広場を陣取って6月現在までの6年間、イギリスのイラク政策を“大量虐殺”、“虐殺”と批判し、ブレア首相を“戦争犯罪人”と告発してきた。
ビッグベン、ウェストミンスター寺院に囲まれた国会議事堂は、ロンドンでもっとも観光客が多い場所であるばかりでなく、何と言っても“世界最古の議会政治”国家である英国の民主主義を象徴する場所でもある。英国政府は法律まで作って目の敵のようなホーを追い出そうとした。しかし彼は「イラク戦争反対」の象徴的存在となり、自分を支援してくれる個人や団体の助けを借りて今日に至っている。
私が現場に行ったとき、ホーは支援者からもらった多くの立て看板や“反戦グッズ”に囲まれたまま帽子で顔を隠し、椅子に横たわっていた。ロンドン市民や観光客が途切れることのない場所で6年間、雨が降っても風が吹いても変わりなく彼はこのように自分のパフォーマンスで戦争に対する抗議の意思を表示してきたのだ。彼に同調した女性が“恥”という文字を地面に大きく書いていた。ホーと同調者たちの訴えにはイラクの民衆、特に子供たちを死に追いやることは英国の恥だという趣旨が強く含まれているようだった。
ホーが反戦闘争を続けている場所から数百メートルほど南側に行くと、有名なテート・ブリテンがある。今この美術館中央を横切るギャラリーでは、現代美術の旗手の一人として知られているマーク・ウォリンジャーが「ステート・ブリテン」という展示を開いている。この展示は驚いたことに、ブライアン・ホーの抗議活動に使われた看板や写真、横断幕などの素材を再構成したものだ。まるでホーの闘争がテート・ギャラリーの一角を占拠してしまったかのように見える。テート・ブリテンは、ステート・ブリテン(英国国旗)の権力に素手で立ち向かったホーの闘争とそれを作品化したウォリンジャーの芸術「ステート・ブリテン」を開催することで、彼らの活動に対してどんな意味で連帯しているのだろうか?それとも英国を代表する美術館として、英国が反戦活動に対しても依然として“表現の自由”を認めているというアリバイ作りを担っているということなのだろうか?
「虚偽で固められた時代に、真実を述べることは革命的行為となる」(ジョージ・オーウェル『1984年』)
現代の日本で軍事化や治安の強化が進められるにつれて、思想・言論・表現の自由が圧迫されているように感じられる。今月末に参議院選挙があるが、選挙は有権者が国家に対して各々の声で「真実を言うこと」が期待される貴重な機会だ。その結果により、これからの日本の方向が大きく左右されるだろう。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学
(ハンギョレ新聞 2007年7月8日)
*高橋哲哉氏の指摘通り、「”ブライアン・ヒュー”」でググってもマリリン・マンソン関連しか出てきません。「”ブライアン・ヒュー” イラク」にすると0件ですね。ちなみに韓国語で検索してもこのコラム以外で該当の人物は検索されませんでした。(←検索の仕方が悪いのかも)
《7/11追記》
言い訳がましいのですが、イギリスの反戦活動家の名前が韓国語の原文では「브라이언 휴」となっていたので、その発音通り「ブライアン・ヒュー」と表記したところ、コメント欄でexod-USさんから表記に誤りがあるとのご指摘いただきました。どうやら「ブライアン・ホー」(Brian Haw)が正しい表記のようです。
韓国語も検索しなおしてみたのですが、どうやら韓国語表記も「브라이언 하우」が一般的な表記法のようです。ちくしょ~、ハンギョレ新聞の誤記かぁ~。メールおくっとこ。
とにかく、この表記でしたら、韓国語でも決して多くはありませんがちゃんとヒットしました。
上の
*部分がわけわからなくなっていますが、このように訂正いたしました。