韓国が朴正煕大統領の軍事独裁政権下にあった1970年代当時に起こった人民革命党再建委員会事件。この事件により23人が逮捕され、「人革党再建委員会を設立して人民党を再建し、民青学連の国家転覆活動を指揮した」として起訴されました。そして1975年4月9日、最高裁判所は7人の被告人に死刑判決を宣告し、他の被告人には禁錮15年の有罪判決を下しました。死刑囚の死刑執行は、判決からわずか18時間後に執行されるというスピード執行でした。
そのような韓国現代史の汚点に対する再審裁判が行われ、今月22日に無罪判決が言い渡されました。もちろん死刑が執行された被害者はもどっては来ませんが・・・。以下は1月23日のハンギョレ新聞の社説です。どうぞ。
“人民革命党無罪”判決、道はまだ遠い
“人民革命党再建委員会”(人革党再建委)事件の関係者8人に対して無罪が言い渡された。維新独裁に抗い、刑場の露と消えた犠牲者が32年ぶりに司法的真実を取り戻したのだ。再審裁判部が無罪を言い渡した瞬間、法廷は歓呼と涙に包まれた。遺族や関係者の数十年にわたる苦痛や悔恨はどれほどのものだろうか。司法的な名誉回復に続いて国家レベルの謝罪と、それ相当の賠償がなければならないだろう。
再審裁判部は被告人たちの内乱予備・共謀、反国家団体の構成、全国民主青年学生連盟(民青学連)の背後操作など、核心的な嫌疑をすべて認定しなかった。捜査機関の審問調書はもちろん公判調書の証拠力や任意性もないと判断した。暴圧政治の道具に転落した国家機関の不法な拷問・操作行為ばかりでなく、当時の軍事法廷の誤りを総括的に認めたのだ。裁判部は維新憲法や緊急措置の合法性は「審査権限のみ」であり、判断は留保した。しかし民青学連の維新反対運動が政府を転覆させたり国憲を乱したりする行為とは言えないとした。当時、維新体制に反対するあらゆる行為を不法とした緊急措置と、これを裏付ける維新憲法の正当性を事実上否認したという点では意味がある。
人革党事件における加害責任の半分は司法部にある。最高裁判所は軍事法廷の死刑宣告をそのまま確定し、このため“司法殺人”という払拭しがたい汚名をかぶった。しかし再審判決文のどこにもそのような間違った過去を反省する文章を見つけることはできなかった。当時の軍事法廷の誤りは認定しながらも、これを追認した裁判所の誤りを告白しなかったのだ。もちろん裁判部が異例的に公判調書の証拠力を否認し、無罪を宣告したこと自体が、過去を清算する前向きな意志の表れだとも言える。しかしイ・ヨンフン最高裁裁判長は、再審判決文に裁判所の過去の過ちを明示すると公言したことがあった。今回の判決を、司法部が権力に隷属した汚辱の歴史を見直すきっかけにするためにも、さらに積極的な省察と告白を期待する。
軍事独裁政権時代に行われた数多くの人権蹂躙や拷問・操作事件の真実を究明する歩みは依然として遅く、困難だ。再審によって名誉回復に至ったのは人革党事件が2件目である。今でも100件を超える事件が再審を待っている。再審要件の緩和、国家犯罪の時効排除、再審特別裁判部の設置など、さらに多くの踏み石が必要な理由だ。
*参照
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