今からちょうど20年前の1987年1月16日、ソウル大学3年生(当時)の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)氏の死亡と“ごくごく簡単な”死因が韓国警察によって発表されました。その実態は警察の拷問による学生運動家の死で、このことは韓国民衆の憤怒を呼び、その年の6月民主抗争に火をつけました。

そのような経緯から民主勢力からは“烈士”と呼ばれる存在になったパク・ジョンチョル氏ですが、現代韓国の人々は日々の生活に追われ、忘れ去られようとしています。1月15日のハンギョレ新聞に載っている
一コマ漫画(←)では“殺人的就職難”にあえいでいる若者がパク氏の肖像を前に「誰・・・?」と言っている絵でした。
社会が表面的には豊かになったものの、個々人の生活にはまったく余裕がなく、人々は生活の細々とした問題に忙殺されて社会全体のことに目を向けることなく、やり過ごしていることが多いように思えます。これは日本も同じ。
でもそんな合い間に、“独裁”や“ファシズム”はやってくるのかも・・・。『
茶色の朝』みたいに。
「パク・ジョンチョル20周忌」と韓国民主主義
「なぜ世の中が良くなったとばかり言われているのでしょうか?今でも国家保安法は威勢を振るい、農民や労働者の死亡事故が絶え間なく発生しているのに・・・」
パク・ジョンギ(78)氏は今も毎月1、2回、ソウル南営洞にある旧治安本部の対共分室を訪れているそうだ。今は警察庁人権保護センターとなったこの場所で、1987年当時、大学3年生だった息子のジョンチョル氏が警察の拷問で亡くなった。明日がちょうど彼の20周忌になる。警察が「取調べ中に机に“ゴン”とぶつかり、“うっ”とうめいて亡くなった」と泰然と発表した軍事独裁政権時代、彼の悲惨な死は民主主義の橋頭堡となり、6月の民主抗争に至った。大統領の直接選挙をはじめとした政治の民主化時代が始まったのだ。
韓国民主化運動の巨大な出発が4.19革命ならば、6月抗争はその頂点にある。全国の主要都市を網羅した市民の波は、その規模と熱気では全世界を見渡しても前例のないものだった。それ以降、平和的政権交代を何度か経て韓国は短期間で民主主義と経済発展を同時に成就した模範的な国として国際社会での地位を築いた。パク・ジョンチョルという名前と6月抗争を忘れてはならない第一の理由だ。
しかし今の韓国民主主義は、満足できる状況ではない。終わりなく続いている政治的葛藤は不可避な民主主義のコストとみなすにしても、ますます深まる両極化構造と階層間の分断は、民主主義の基本条件自体を脅かしている。これまで形式的民主主義にのみ関心を寄せ、社会経済的・実質的な民主主義にはそれほど神経を使えなかったためだ。市民たちの息吹きが感じられるべき場所では市場と新自由主義という亡霊が猛威を振るっており、共同体の維持に不可欠な社会的連帯原則さえも脅かされているのが現実だ。
今の韓国民主主義は新しいレベルに進展しなければならない。どのような社会構成員も排除しないより多くの民主主義、質の高い国民生活に寄与し、平和統一を先取りする、より深みのある民主主義、個人と集団のあらゆる関係に彩を加える美しい民主主義を具現化していかなければならない。粗雑でなく、鮮烈で新しい民主大長征が必要な時だ。これまでの民主化の成果が誰の占有物でもないように、これから成されるべき民主主義も健全なすべての市民の覚醒と努力の産物でなければならない。パク・ジョンチョルという名前と6月抗争が記憶され、祈念されなければならない重要な理由だ。