先日のエントリー「
力道山と金一と」の中でチラっと触れた全斗煥政権の3S(screen, sports, sex推進)政策と呼ばれる愚民化政策のことが
3つのSのなかでも特にSEXってのが気になったので、ちょっと調べてみました。
いや~、韓国って、30数年前まではとんでもない独裁政権だったという認識はありましたが、わずか20数年前でもかなりの独裁政権だったんですね。
国民に娯楽を与えて日ごろの鬱憤から目をそらさせるという。でもこの手法は今でも有効でしょうね。特に今の日本のように閉塞感が漂っている国では。国策の娯楽ってのは気をつけなきゃならないですね。
んで、全斗煥政権時代の韓国社会を伝えたテレビ番組に関するレポートがありましたので、そちらを訳してみました。それではどうぞ。
軍事政権は“エマ夫人”がお好き??韓国映画63%がエロ
全斗煥軍事政権が推進した官製文化運動、“国風81*”の風が吹いた翌年の82年、韓国社会は意図していなかった変化であちこちざわめいた。45年9月から37年間続いていた夜間通行禁止制度**が解除され、中高生の制服や頭髪が自由化になった。プロ野球が発足したのも82年だった。表面的には自由を謳歌したように見えるが、果たして実際にそうだったのだろうか?
(2005年5月)22日のMBC『今なら話すことができる』は「スポーツで支配しろ!-第5共和国の3S政策」を放送した。放送では80年代の第5共和国***政権下で実施された“3S政策”をとりあげた。3Sとは、セックス、スポーツ、スクリーンの頭文字を指している。
5.18光州虐殺という荷物を抱えて登場した全斗煥政権は、82年に大々的な宥和政策を実施した。通行禁止令解除、頭髪自由化****、成人映画許容などがその代表的な措置だ。エマ夫人*****(←写真)の第1弾が上映された82年は、韓国映画全56編のうち35編がエロ映画であったほど、成人映画はブームだった。しかし、裏では厳格な統制が進められていた。
パク・グァンス、イ・チャンホ映画監督が語った当時の経験談は、政治的な部分ではかつてないほど厳格な検閲が行われたことを示している。ある映画俳優が背負子を背負って奉天洞峠を越える場面がある映画は、練炭の灰が映る場面が問題になり******、そのシーンがカットされた。『恐怖の外人球団』というタイトルが『イ・チャンホの外人球団』になった理由も厳格な検閲のせいだった。“恐怖”という単語を絶対に使うなという政府の指導により起きたエピソードだった。
政府の統制政策がもっとも強力に発揮された分野は、88年のソウル・オリンピック開催だった。81年9月30日、スイスのバーデンバーデンで開かれた88年オリンピック開催権をめぐる会議に青瓦台からパク・ジョンギュ警護室長まで緊急投入された。当時、不正蓄財の烙印を押されていた彼がダスラー独アディダス会長を動かし、韓国のソウルが日本の名古屋を52対27で下した。
88年のソウル・オリンピック開催が決定すると、オリンピック支援のための措置が相次いだ。
ソウルの無許可建造物が一斉に撤去されはじめたのはオリンピック開催が決定した直後だった。70数万人にもなる撤去建造物の住民が通りにあふれた。家を失って追い出された人々は都市郊外にテントなどで仮の住まいをつくったが、それさえ安心はできなかった。政府が「オリンピックの際には聖火が通る」という理由で高速道路周辺の無許可建造物を整理したためだった。結局、追い出された人々は洞窟で生活しはじめた。
第5共和国政権が無許可建造物を一斉に撤去したのは都市美観のためでもあるが、政治費用の準備という理由もあった。撤去された地域に大規模なマンション団地を整備したことで、巨額の開発利益がもたらされたのだ。
大統領の意志で国務総理も代えられた。朴正煕政権から財務長官、経済副総理などを歴任し、“経済の大統領”と呼ばれていたナム・ドクウ総理がまずその対象となった。“オリンピック亡国論”を主張してオリンピック誘致に反対した彼は、82年1月にその職を退いた。
小学校4年生から高校1年生まで全国600万人の児童・生徒を対象に体力章(体力テスト)を実施したのも、世界的に見て空前絶後のことだった。当時、体力テストの結果を土台に12,000人の児童・生徒を選抜し、その中から再び5000人の“オリンピック選手の卵”を選んだ。番組では旧ソ連や東ヨーロッパでも実施されなかったことだと表現した。
84年のLAオリンピック開催中は放送局関係者を呼び、広報方法を指示した。当時、韓国チームは金メダル6個を獲得し、総合でも10位という史上最高の成績をあげていた。政府は選手を神話的存在に作り上げる作業に入った。KBS、MBCの2つの放送局が凱旋パレードを3時間放送し、全国民をテレビの前に釘付けにした。番組は「翌年の2.12総選挙に活用するという意図だった」と説明した。
88年のソウル・オリンピックに対する認識も完全に変わった。84年9月にギャラップが調査した資料によると、オリンピック誘致賛成は86.1%、開催成功を予測する意見は78.2%に達した。その前まではオリンピック開催に否定的だった世論も、一挙に変わった。
番組ではオリンピック誘致の10日後「オリンピックを政治に利用しない」と言った当時の大統領の肉声が公開された。しかし、さまざまな状況証拠はその言葉が無意味だったことを示している。さらに番組の最後を飾ったプロデューサーの話は、スポーツがどれだけ効果的な政治手段であるのかを示していた。
「オリンピックのおかげで韓国がこれだけ発展したと考えている人は多いでしょう。そのため当時も今も、オリンピックを批判することは容易なことではありません。まさにそのような点が国民を支配するのに利用され、84年をピークに政権の初期安定に成功した理由だったのです。」
[TVレポート/キム・デホン記者]
*全国大学生民俗国学大饗宴。「外国のものを無分別に受け入れるのではなく、わが国のものを打ち出して国風を起こしながら外来文化も健全に受容しよう」という趣旨で開催された祝典。しかし、リンク先の当時の映像を見てみると「北朝鮮」かと思ってしまいました。
**アメリカの軍政下にあった1945年9月から実施されていた。夜12時から早朝4時まで一般人の外出が禁止され、違反した者は抑留、罰金刑が科せられるなどした。犯罪を減らすという機能もあったが、国民の夜間活動を統制し、人身を拘束する手段として適用するなどの逆機能もあった。
***1981年3月から1988年2月まで続いた大韓民国の5番目の共和国。全斗煥、盧泰愚が大統領だった時代。1988年の民主化宣言と民主選挙により終焉した。
****なんと朴正煕時代は成人男性でも耳が隠れるくらい髪が伸びていたら、警察官が取り締まってその場でハサミで切っていたそうです。ギャ~!なんか国全体がメチャクチャ校則の厳しい学校みたいなことをしていたんですね。
*****「エマニュエル夫人」のパクリ?写真にあるように漢字で書くと「愛麻夫人」。どんな映画なのかと思ってNAVERで検索したら“19禁(韓国は数え年なので、日本でいうところの18禁)”の表示が出て、ログインするか住民登録番号を入れないと検索できないようになっていたのでやめました。でも韓国のエロはぜんぜんエロくないので、期待(?)しなくてもいいかも。
******練炭の灰でなんで問題になるのかはナゾです。翻訳間違いかと思って他の単語も調べてみましたが、これしか訳しようがありませんでした。