11月15日のハンギョレ新聞に「最近の読売新聞は右に寄りすぎてヤヴァくね?」という内容の記事がありました。先週、この記事をおもしろいな~と思って読んだんですけど、記事が長いのと、あれから教育基本法やらなんやらがあったので翻訳が遅くなりました。
そっかー。産経新聞はネタ探しに読むことはあるんですが、読売は死角でした。読売(と朝日)はすぐにリンク切れになるという理由もありますが、めったに読売(と朝日)は読まないんですよ。
ナベツネが好々爺(こうこうや)に見えてしまうほど、読売がアンチ靖国カルトだったのは幻だったのでしょうか。それとも靖国に関してのみ反対の姿勢を見せるけど、他のことに関しては政府自民党の右寄り議員のセンセエ方の代弁をするだけの紙なのでしょうか。では読んでみましょう。
[特派員レポート]極右化した『読売』、『産経』は大人しく

1100万部印刷されている日本の『読売新聞』は、世界最大の発行部数を誇っている。改憲と軍事力強化を推進する日本の主流右派の代弁紙だ。今年の9月末に極右性向の強い安倍政権の発足した後、この新聞の論調が変容したのも不思議ではない。社説を通じて噴出する“毒気”は、極右メディアである『産経新聞』を超えるほどだ。
今月8日に出た「(核保有)議論すら封じるのはおかしい」というタイトルの社説が代表的だ。読売はこの社説で、日本の核武装論を触発し、物議をかもした中川昭一自民党政調会長を責任ある政治家として賞賛した。「北朝鮮の核実験に直面して、「核を持たずに北朝鮮に、どんな対抗措置が取れるのか」と問題提起するのは、責任ある政治の誠実な態度」だと主張した。
穏健な二階俊博自民党国会対策委員長が、中川と麻生太郎外相に発言の自制を求めたことについては「日本の平和と安全を守ることは、何よりも優先すべき課題だ。核論議を抑制する理由にはならない」と反発した。
核保有議論自体がどのような意味を持つのか、そしてどのような波紋を起こすのかを読売が知らないはずはない。“非核三原則”を国是のようにしてきた日本で核保有を議論しようということは、核武装をしようという話の“間接話法”である。非核三原則とは「核を作らず、持たず、持ち込ませず」という宣言だ。非核三原則を守ると何度も強調しておきながら、核議論をするのはまったく辻褄が合わないという批判が多い。他の目論見がないのならば、核武装の疑惑を高めるだけの発言をするはずがないからである。
核保有の必要性を提起した自民党の中川政調会長を賞賛
核兵器を持とうと単刀直入に言うことは、とてつもない騒ぎをもたらすことが予想されていたことであり、論議だの検討だのは後から付け加えたものだ。憲法改正に関する議論をすることが、改正するという主張の別の表現であることと同じである。日本はこのように遠まわしに話すことが体質化している国であるため、このように解釈しなければならない。
東北アジアの平和と安定のためには、このような極右政治家の挑発をできるかぎり自制させ、牽制するのがメディアの責務だ。しかし、読売はむしろこれを煽っているような状態だ。読売が打ち出している論理は“言論の自由”だ。議論することの何が問題なのか、ということである。麻生や安倍が受けている批判に反発し、動員している論理と一致している。
読売はまた、議論が必要な理由として“時代の変化”をあげている。「非核三原則は、東西冷戦と保革対決の下で作られた」ものであり、「現在の安保環境は劇的に変化した」というのが読売の主張だ。
中身が見え隠れする形式議論だ。それならば読売がなぜこのような論理を打ち出すのか。理由は簡単に見える。核武装議論の火種を絶やさないと同時に、政府・与党の幹部が核武装議論を主導し、これをかばってきた安倍を守るという意図だ。安倍に対する批判が野党はもちろん自民党穏健化からも本格的に噴出してきたため、援護射撃をしてきたのだ。
特にこの社説を載せた8日は、安倍と民主党代表である小沢一郎の国会“党首討論”が予定されていた。安倍は読売の社説を“実弾”とし、より一層攻撃的に核保有議論を擁護した。議論を許容するという意志を公に明らかにしたのだ。さらに笹川堯自民党党紀委員長が7日、非核三原則再検討の主張まではじめるなど、強硬右派の核武装論の水位はますます高まっている。
強硬右派の核武装論を積極的擁護
当然、周辺国をはじめとした国際社会は、かつてないほど強く疑いの目を日本に向けている。公然と核保有論争を広げることは唯一の被爆国として地球村からの核根絶に尽力してきた日本外国の根幹を揺るがすことだ。すぐに韓国でも核武装論が頭をもたげてきた。“核武装ドミノ”とまではいかないまでも、“核武装論ドミノ”を生み出すことになった。核武装論がここ数年間で急激に高まってきた東北アジア諸国のナショナリズムと合わされば、どのような結果をもたらすのかは想像するに難くない。
即時に核兵器製造が可能な技術力と、740個の原爆をつくることができる量のプルトニウム(2005年末基準約43.8t)を保有する日本が、核開発の疑惑を避けるために常に強調してきたのが非核三原則だ。ところが読売は非核三原則さえも時代遅れだというレッテルを貼った。このことから読売が考える結論がどこに向かっているのかを推測することは難しくない。
専門家は日本の核武装を非現実的発想だと一蹴した。すでにずいぶん前に結論が下された問題であり、北朝鮮の核保有は結論を変える変数にはまったくならないということだ。読売も「財政負担の重圧や、国際社会に大きなあつれきを生むリスクを考えれば、核保有が実際に政策の選択肢になるとは考えにくい」という現実的判断を打ち出している。しかし、社説の最後では「かつて保革対決の時代には、『憲法改正』がタブー視され、口にしただけで閣僚が更迭されたりした。核論議もすべきでないというのは、同じ言論封じだ」と主張した。読売はかつてタブーであった平和憲法の改正について先駆けして言及したように、核武装論でもこれから主導していくという宣言のようにも聞こえる。
産経社説、読売に比べ“大人しい方”
読売の社説に比べれば、前日の『産経新聞』が書いた「理解に苦しむ二階氏発言」という社説は大人しい方だ。産経は核保有検討議論の必要性を主張してきた麻生・中川の発言が続けば任命権者である安倍首相の責任論が提起されるだろうとの二階の牽制発言を批判し、「北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対する日本の抑止力を論じようという中川氏の発言は当然そのものである」と主張するにとどまった。読売などの攻勢に緊張した『朝日新聞』と『毎日新聞』は11日、それぞれの社説で核保有議論は「日本を危うくするだけだ」、「非核の看板に看板に傷がつく」という主張を展開し、強く牽制した。
最近、目立ちはじめた読売の“攻撃的な”社説は核問題にとどまらない。先月15日には、集団的自衛権の行使はできないとした政府の憲法解釈が「日本の安全を守る上で障害になっている」と批判した。安倍の主張の踏襲だ。続いて16日には旧日本軍の慰安婦問題に照準を合わせた。“慰安婦は捏造”と叫んでいた安倍が、日本軍の慰安婦強制連行を是認・謝罪した1993年の“河野談話”を継承すると明らかにしたことを問題視した。読売は「事実誤認や歴史の“捏造”まで、「継承」する必要がない」、「日本政府はきちんと反論せよ」と求めた。31日もこの問題を再び持ち出し、政府見解に逆らって河野談話の再検討を主張した下村博文官房副長官の発言の「どこが問題だと言うのだろうか」と強弁した。
盧武鉉政権の対北政策もその批判の対象になった。読売は18日、「韓国の対『北』融和政策は、北朝鮮の核開発を阻止できず、むしろ手助けをした、とも言える」と主張した。2日後の20日にはより露骨に「『北』制裁へ韓国は何をする?」と金剛山観光と開城工業団地事業を続ける韓国政府を強く非難した。
日本の太平洋戦争責任論を展開していた読売の極右化はなぜか?
読売は元々右派傾向の強い新聞だ。しかし最近の全方位攻勢は、昨年はもちろん安倍政権発足前と比べてもかなりの違いが目に付く。読売は昨年から日本の太平洋戦争(読売は昭和戦争と表現)における責任を厳しく問う長期シリーズを掲載し、大きな反響を呼んだ。読売の論調の責任を負う渡辺恒雄主筆は、さまざまなインタビューや講演、朝日新聞主筆との対談などを通じて小泉純一郎前首相の靖国神社参拝や靖国にある戦争博物館、遊就館の展示内容について鋭く批判し、話題となった。
過去、靖国参拝に対する周辺国の反発を“内政干渉”と主張していた読売のこの変身は、新鮮な衝撃だった。主流右派が極右との断絶を試みていると受け取られた。今回は読売が再び反対側に動く気配を示しており、その背景が注目される。
安倍の中・韓首脳外交回復で靖国問題が一段落したと判断し、それまで自制していた強硬な主張が一気に噴き出したのかもしれない。あるいは、読売内部で勢力構図の変化が起きているのかもしれない。一つ明らかなのは、読売の論調と安倍政権の動きが強い相関関係にあるという点だ。どのような関連性があるのかを知るためには、さらに時間をかけて見守る必要があるだろう。
以下は“攻撃的な”読売の社説の抜粋・要約。
△10月15日/「日本の安全を損ねる憲法解釈」
北朝鮮の核武装という事態に直面して、日本の安全を守る上で、憲法解釈が障害になっているのではないか。国連安全保障理事会が、船舶検査も含む制裁決議をすれば、日本としても最善を尽くすのは当然だ。
海上自衛隊が米艦船を守るために相手船舶を攻撃すれば、集団的自衛権の行使と見なされるため、何もできない。こんなことが起きれば、日米同盟の信頼性は一気に崩れてしまう。安倍首相は、「いかなる場合が憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に当たるのか、個別具体的な事例に即して研究する」と繰り返し言明している。同盟の信頼性を高めるために、当然、必要なことだ。現実にそぐわない憲法解釈に固執すべきではない。
△10月16日/「日本政府はきちんと反論せよ」
米下院の国際関係委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題で日本非難決議案を議決した。決議案は、「性奴隷にされた」「性的な強制労働につかされた」などと、裏付けのない記述が数多く含まれている。慰安婦問題は1990年代初頭、一部全国紙が、戦時勤労動員制度の「女子挺身隊」を“慰安婦狩り”だったと、歴史を捏造して報道したことから、日韓間の外交問題に発展した。当時、「慰安婦狩りに従事した」と名乗り出た日本人もいたが、この証言は作り話だった。90年代半ばには、学術レベルでは「強制連行」はなかったことで決着がついた問題だ。
慰安婦問題が混乱する原因は、93年の河野洋平官房長官談話にある。確かな1次資料もないまま、官憲による慰安婦の「強制連行」を認めたかのような叙述を含む内容になっている。事実誤認や歴史の“捏造”まで、「継承」する必要がないのは当然である。
△10月18日/「核実験阻止に失敗した融和路線」
韓国は、日米とともに、制裁決議の共同提案国に名を連ねた。だが、どんな制裁を実施するか、は不透明のままだ。対「北」支援事業の主柱である金剛山観光と開城工業団地開発は、北朝鮮の貴重な外貨獲得源だ。国際包囲網が強化される中、韓国の対「北」支援事業が続けば、外貨を渇望する北朝鮮にとってはさらに貴重な資金となる。韓国の対「北」融和政策は、北朝鮮の核開発を阻止できず、むしろ手助けをした、とも言える。
△10月20日/「『北』制裁へ韓国は何をする?」
韓国から北朝鮮に巨額の外貨が流入し続けるのでは、日米など各国が制裁を強化しても、大きな“穴”があく。「先軍政治」を掲げ、あらゆる資源を軍事に回す北朝鮮にすれば、核開発に転用できる重要な資金源だ。中国も対「北」圧力とも取れる措置を次々と打ち出している。その中で、韓国の融和姿勢だけが突出しては、米韓同盟も揺らぐのではないか。そんな懸念は韓国内にも強い。
△10月31日/[河野談話]「問題の核心は『強制連行』の有無だ」
この発言のどこが問題だと言うのだろうか。河野洋平官房長官談話について、「研究」の必要性を指摘した下村博文官房副長官の発言のことである。河野談話は、韓国政府から「日本政府は強制連行だったと認めよ」と迫られ、十分な調査もせずに閣議決定された。河野談話が、「客観的」な資料に基づく社会「科学的」アプローチより、「反日」世論に激した韓国への過剰な外交的配慮を優先した産物だったのは明らかである。政府見解は、金科玉条ではない。おかしなところがあればただすのは当然のことだ。「研究」の結果、やはり強制連行の事実が見つからないのであれば、河野談話は見直されるべきである。
東京/パク・ジュンオン特派員