11月20日のハンギョレ新聞に掲載された高橋哲哉教授のコラムです。
これまでの高橋教授のコラムは希望が見出せるような一文で締めくくられていることが多かったのですが、さすがに今回はちょっとブルーが入っているようです。
でもこんなことぐらいでヘタってられません。
blogbluesさんも今日のエントリーの最後で
「ファシズムの風が、棚引いている。吹き荒れる前に止めなければ。
僕らの力で。ブロガー諸君、自由のために戦おう。」
とおっしゃっています。
たとえ“反動の嵐が吹き荒れようとも”立ち上がりましょう。
われわれの権利のために。
子どもたちの未来のために。
Get up, Stand up,
Stand up for your RIGHT!
Get up, Stand up,
Stand up for your RIGHT!
反動の嵐が吹き荒れるのか/高橋哲哉
今、日本では教育基本法改正問題が重大な懸案となっている。改正案は衆議院を通過した。現行の教育基本法は敗戦後、「お国の危機の際には天皇のために命を捧げよ」と教えた天皇制国家主義教育に対する反省から出発した。教育の自由と自律を確保し、子供たち個々人の人間的成長を教育の目的と定めた。民主主義と平和主義の価値観に立脚していた。
政府改正案は、教育を“統治の道具”にしようとしている。為政者の政治的意思が教育を支配するというものだ。すでに進められている市場原理導入や、日の丸・君が代の強制など、愛国心教育を完全に正当化し、いっそう本格的に推進しようという目的を持っている。安倍晋三首相は以前から自分の打ち出した“戦後体制からの脱皮”の柱として、憲法と教育基本法の改正を主張してきた。集団的自衛権の行使を認めるなど、軍事的使用の解禁に意欲を見せる首相が、“戦争ができる国”日本の添え木となる教育をつくろうとしているのではないのか。
私は研究者3人と共に3年間、教育基本法“改悪”阻止のために市民運動を訴え、大規模な集会を7回開いた。日本教職員組合や日本弁護士連合会なども改悪反対を表明している。このコラムでは教育基本法を考えるなかで突き当たったある論点について書こうと思う。教育基本法制定に大きく貢献した人物に、東京大学総長だった政治哲学者、南原繁がいる。彼は太平洋戦争中、学生たちが戦場に追いやられるのを止められなかったことに対する痛恨の思いから、日本の民主化と平和国家転換の意義を国民に強く訴えた。昭和天皇が戦争の道義的責任をとって退位すべしと訴えたことでその名は知られている。
南原は国家主義脅威核から人間主義教育に転換させる教育基本法の助産師としてこのように言った。「今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しいからだ。」
ところが、このような南原が敗戦後、次のようにも言ったことを知れば、われわれは複雑な思いに駆られるだろう。「今まで天皇に帰属していた多くのものがなくなろうとも、日本国家権威の最高の表現、日本国民統合の象徴としての天皇制は永久に維持されるでありましょうし、また維持されねばなりませぬ。これは君民一体の日本民族共同体そのものの不変の本質であります。外地異民族が出て行き、純粋日本にもどった今、これも失われては日本民族の歴史的個性と精神の独立は消滅するのです。」
民主主義と平和主義を熱烈に支持した南原は強固な象徴天皇制支持者だった。これは矛盾ではない。矛盾だとすれば、それは憲法それ自体に内在する矛盾だ。象徴天皇制は「日本国民の総意に基く」という平和憲法第1条に定められているためだ。彼が象徴天皇制を「外地異種族が出て行った純粋日本」に連結させることは看過することができない。朝鮮・台湾などの植民地の人々が日本の支配から解放された事件を、南原はなんでもないかのように「出て行った」と表現した。在日朝鮮人や、米軍統治が統治が続く沖縄の人々を意識した痕跡もない。植民地支配と解放のさまざまな問題、特に日本の責任に関する問題がここには抜けている。
戦後日本の民主主義者たちはこのような南原の限界を乗り越え、さらに前に進まなければならない。ところが今の日本は南原の段階からも後退しているのではないか。まさに“反動の嵐が吹き荒れる時代”だ。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学