往年のプロレスラー、大木金太郎(韓国名:金一=キム・イル)さんが昨日、ソウル市内の病院で亡くなられました。
訃報:大木金太郎さん77歳=頭突きの元プロレスラー
(毎日新聞2006年10月26日)
私は現役時代の大木金太郎さんはもちろん知らず、兄の持っていた『プロレス・スーパー列伝』などでチラッとその名前を見た程度ですが、韓国では力道山に次ぐプロレスの英雄として親しまれていたようです。昨日からテレビニュースで大木金太郎さん死去の話題が大きく取り上げられています。
韓国生まれの大木金太郎氏は若い頃、力道山に憧れ、日本に密航して(当時は日韓国交正常化前)捕まり、刑務所の中から力道山に何度も手紙を書いて入門が許されたそうです。力道山の死後も第一線で活躍し、プロレスの黄金時代を築いたそうですが、その晩年は不幸が重なったようです。
白血病で先妻に先立たれ、末の息子は軍隊で事故死。それでも韓国のプロレス界発展のために尽力したとか。今朝は出勤ラッシュでぎゅうぎゅうの地下鉄の中、無料新聞のそんな記事を読んで不覚にも涙ぐんでしまいました。
下の記事はその記事とは違いますが、韓国メディアはこんな感じで故人を称えています。
最期まで自尊心を守ろうとした故・金一氏
【マイデイリー=イ・ソクム記者】大韓民国の国民を泣いたり笑わせたりしたプロレスの英雄、“頭突き王”故・金一(日本名:大木金太郎)氏の晩年は寂しいものであった。
ソウル盧原区の乙支病院に設営された霊安室は、多くの知人がまだ死去の知らせを聞いていないかのように閑散としていた。10年以上、金一氏を影のように支えてきた夫人のイ・インスン氏と、金一氏の一番弟子として韓国プロレスのプライドを守ってきたイ・ワンピョ氏が見守っているだけだった。
1960~70年代、韓国民の英雄として活躍した金一氏は、最近11年間糖尿、高血圧などさまざまな疾患に苦しみ、昨年には大腸まで除去する大手術を受けるなど辛い闘病生活を続けてきた。全盛期には130kg近くあった体重も、半分近くに減っていた。
それでも最期の瞬間まで、決して弱音は吐かなかった。たとえ健康状態が良くなくても死去の前日まで病室を訪れた人々と思い出話をして楽しい時間を過ごしたそうだ。会話の途中でかつての自分のトレードマークである頭突きの仕方を実演し、元気な姿を示そうとした。
しかし、静かに眠っていた金一氏は、午前2時に突然腹痛を訴え、苦痛の余りみるみる顔色が悪くなっていき、急速に状態が悪化した。意識を失ったまま集中治療室に移されたが、26日午後12時17分、息を引き取った。
10年以上にわたって金一氏を支えてきた夫人のイ・インスン氏は「早朝に夫は激しい痛みを訴えていましたが、最期まで弱音を吐きませんでした」「最期まで自尊心を守ろうとしていたようです」と金一氏の最期の瞬間を振り返った。
この10月、チャムシル球場で開かれた韓国プロ野球の試合で始球式に登板するまでに健康状態が回復していた金一氏は、来月に日本で開かれる予定の自伝出版記念会にも出かける熱意を見せていた。
さらに、愛弟子のイ・ワンピョ氏が企画中の中国でのプロレス大会にも行き、挨拶をするという意志も見せていた。まだすべきことが多く残っており、本人もそれを望んでいた金一氏死去の知らせは、非常に残念で仕方がない。
金一氏の葬儀委員長を務めているイ・ワンピョ氏は「金一先生は私の父のような人だ。今は父を亡くした息子のような心境だ」と深い悲しみを表した。また、彼は予定されていた出版記念会を追悼式に変更し、葬儀後に追悼大会などを準備すると明らかにした。
現役時代、金一氏とライバル関係だったアントニオ猪木など、日本のプロレス会からも金一氏死去の知らせを聞いて韓国に大勢訪れる予定であると伝えられた。
一方、金一氏の出棺は26日午後2時に開かれる予定で、葬儀は韓国プロレスリング連盟体育館で行われる予定だ。政府は金一氏の業績を称え、体育勲章青竜章を授与すると伝えた。金一氏はすでに1994年に国民勲章石榴章、2000年には体育勲章猛虎章を受章している。
26日、“頭突き王”金一氏が他界した。写真はチャンピオンベルトを手にした姿。【ソウル=聯合ニュース】