生体解剖:フィリピンでも 大戦末期 元衛生兵が証言
(毎日新聞 2006年10月19日)
今日の毎日新聞に載っていたこの記事をうけて、すぐに韓国でも聯合ニュースが日本発の情報として報じていました。韓国は旧日本軍の残虐行為に対して過敏ですから(被害者としては当然の反応でしょうね)、このようなニュースにはすぐに反応があるようです。
それにしても、毎日新聞の記事の最後にある
45年3月に米軍が同島西部に上陸後、日本兵はジャングルを敗走。病気や飢えなどで医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。
牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。
という部分は韓国語の記事には訳されていませんが、とても大事だと思います。胸に刻んでおきましょう。
旧日本軍、フィリピンでも数十名を生体解剖 『毎日新聞』
(東京=聯合ニュース)シン・ジホン特派員=第二次世界大戦末、日本軍がフィリピンで現地住民30~50人を対象に生体解剖をしたという証言があったと毎日新聞が19日に報道した。
当時、フィリピンのミンダナオ島で負傷兵の治療を担当していた衛生兵(84)は現地住民を生きたまま解剖すのに直接関わったと証言した。
証言によると、海軍第33警備隊の医務隊に所属していた彼は1944年8月からミンダナオ島のある航空基地で負傷兵の治療を担当した。 医務隊は大尉である軍医官を中心に20人余りの士官などで構成された。
生体解剖はその年12月から米軍のスパイとして疑われた住民を対象に、基地内の病院で実施されたということだ。 軍医官の指示により、麻酔をした後2人が執刀し、10分~3時間にわたって手足を切断したり、腹部を開いたりした。
証言者によると、米海軍上陸直前の45年2月まで3日~2週間ごとに生体解剖が行われ、犠牲者は30~50人に上るという。