週末シリーズ(とでも名付けようかな)で今日も李鍾元(イ・ジョンウォン)教授の寄稿文を翻訳掲載します。(あまりツッコミどころがないかもしれませんが、週末のは個人の備忘録的にやっていることですので、気になさらないように…)
以下は8月1日にハンギョレ新聞に掲載されたものです。それではどうぞ。
“裕仁の怒り”と安倍政権の行方/李鍾元
「だから私はそれ以降は参拝しなかった。それが私の心だ」側近のメモによって明らかになった天皇裕仁の発言が日本政界を揺さぶっている。A級戦犯を靖国神社に合祀したことに対する彼の“怒り”が露骨に表現されたことが衝撃波をより大きくしている。合祀を強行した靖国神社の松平宮司などの具体的な名前まであげながら、感情を交えた言葉が容赦なくリアルに記録されたメモであることが、その信憑性をむしろ高めている。
1978年にA級戦犯が合祀されて依頼、裕仁はもちろん、今上天皇も参拝していない。その理由をめぐって今まで推測がさかんになされてきた。天皇が合祀に不満を持っていたという事実は間接的には別の側近の回想などによって伝えられていた。しかし、参拝推進派は「参拝をめぐる政治圏の戦略的批判と論議が天皇参拝を難しくした」と批判勢力に矢を向けてきた。この論争にピリオドを打つ決定的な証拠が出てきたことになる。靖国神社参拝の推進勢力にとって大きな打撃になることは否定できない。
元来、靖国神社が天皇の名の下に戦死した人々を追悼する施設だという点を考えれば、天皇自身が参拝しないということは偽善的にも見える。戦争を最終的に承認したのも裕仁自身であり、そのうえ日本の戦争責任がすべてA級戦犯に押し付けた代価として裕仁に免罪符が与えられたのも事実だ。裕仁の“怒り”がどのような論理と内容を持っているのかはさらなる検討が必要だ。だが、特にアメリカに対する戦争などの“無謀な戦争”に導いた軍部と強硬派に対する不信と不満は大きく際立った。
このメモを特集報道したのは『日本経済新聞』だ。小泉純一郎総理の新自由主義的な改革路線は全面的に支持しながらも、靖国参拝による外交摩擦と復古主義的傾向を憂慮してきた財界の態度が背景にあることはもちろんだ。9月で任期が満了する小泉総理が、自らの公約どおり8月15日の“終戦記念日”に参拝を強行する可能性は依然として高い。天皇発言が報道された以後も小泉総理の頑固な姿勢は変わりない。
特集報道の標的は、むしろ後任総理として確実視されている安倍晋三官房長官の参拝阻止にあるとみることが妥当だ。天皇発言が新聞一面のトップをかざった同日、安倍長官の著書『美しい国へ』が発行された。自らの政治的信念と政策の輪郭を書いた出馬宣言と公約の性格を持つ著書だ。
北朝鮮のミサイル発射という“北風”の直撃弾を受けた福田康夫元官房長官が出馬を辞退したことで、9月20日の自民党総裁選挙で“安倍政権”が誕生することが事実上、確定したようなものだ。小泉首相以上に保守右派的性向を持つ政治家安倍の登場だ。いまその政権の具体的な方向性をめぐって保守右派の間で綱引きが行われている。天皇発言の特ダネも、その脈絡から出てきたものだ。
アメリカでも現れているように、保守右派には大きく3つの流れが共存している。新自由主義的改革を推進する経済的保守派、伝統的に白人社会の価値と優越性を主張する理念的(宗教的)右派、そして軍産複合体を中心にした軍事的タカ派がそれだ。日本の“右傾化”にもこれと同じような勢力構図がうかがえる。
財界としては国民的人気を背景に安倍政権が新自由主義的な小泉改革を継承してくれることを一番望んでいる。しかし、安倍個人は理念的右派、軍事的右派の傾向が強く、その周辺にいる人々はより一層その傾向が強い。“安倍政権”をめぐる綱引きは熾烈になっている。
李鍾元 立教大学教授・国際政治