7月21日のハンギョレ新聞の社説です。今話題の(?)メモと靖国問題について書かれています。正直、天皇がA級戦犯の合祀に否定的で、それを理由に靖国参拝をしなくなったというのは以前から昭和天皇の側近による資料をもとに言われていたことなので、これこそ私にとっては“今さら感”でいっぱいなのですが、それに関してわざわざ“ご親切な”助言を
コメント欄でいただきましたので、とりあげてみようと思います。
日本は「靖国イデオロギー」と決別せよ
裕仁天皇の靖国神社参拝中断の背景を明らかにしたメモが発見され、日本で再び靖国問題が争点化されている。富田朝彦元宮内庁長官のメモを見ると、裕仁天皇はA級戦犯の靖国合祀に強い不快感を表し、「(合祀がなされた78年)以降は参拝しなかった。それが私の心だ」と明らかにした。天皇はメモが書かれた1988年、参拝を正当化した閣僚たちが「“天皇”の立場と戦争に対する私の心を未だに理解していない」と嘆き、涙も流したという。彼は戦争をもっとも嫌な記憶だとも言った。
このメモは小泉純一郎総理や安倍晋三官房長官の靖国参拝論を完全に崩壊させた。小泉総理は靖国参拝について「はからずも戦場で命を失った方々に対する敬意と感謝を表すために」と強弁してきた。次期総理の有力候補である安倍長官も「お国のために命を捧げた人々を追悼することは信仰の自由であり、良心の自由で、これが侵害されてはならないというのが日本国民の一致した考え」だと主張してきた。しかし、裕仁天皇はメモで戦犯たちは「国のために命を捧げた人」の範疇には入らず、彼らが合祀された靖国神社を参拝することは侵略戦争を容認することと同じであると指摘した。
今回のメモ公開以後、日本では総理の参拝中断と、別途の追悼施設の必要性に関する世論が高まっている点を肯定的に評価する。東アジアの平和と友好関係を阻害する日本の総理の靖国参拝は、即刻中断されなければならず、必要であるなら戦没者のための別途の追悼施設を建立するべきであろう。
もちろん、これだけで韓国人を含む東アジアの人々の日本に対する不信感を払拭することは困難だ。安倍長官などの右派が北朝鮮のミサイル発射をにかこつけて先制攻撃論を主張し、軍備拡張に熱を上げるなど、危険な国家主義をたきつけているためだ。これを機会に日本の指導者層が侵略戦争を正当化する「靖国イデオロギー」と決別し、平和国家の精神に立ち戻ることが望まれる。しかし、裕仁メモと自らの参拝とは無関係だという小泉総理の発言や、メモを最初に報道した『日本経済新聞』に対する火炎瓶事件は、このような希望に影を投げかけている。