今日は父方の祖父の命日。だから今日はじーちゃんの話を。
ウチのじーちゃんは戦争中、3回も赤紙くらったのに、その度に生きて帰り、脳溢血で寝たきりになって医者から「盆までもつかどうか…」と言われたのに、盆どころか正月も過ぎ、新緑さわやかなこの時期まで生きながらえたリッパなじーちゃんである。
じーちゃんの父親(私の曽祖父)は、二百三高地で足を失って帰還し、その後、家族はビンボー一直線だったらしいが、じーちゃんは貧困にもめげずに学校の成績はとても良かったらしい。しかも、ケンカも強いが決してガキ大将ではなく、友だちも多いタイプだったと近所のじーちゃん友だちの弁。
んで、昔はそんなビンボー人から招集されてったらしい。ちなみに母方の祖父は、戦後の農地改革で農地を(事実上)没収されるほどの“大地主”で、体も弱かったので召集されることもないかと思っていたが、日本軍の兵隊がえーかげんいなくなった敗戦間際に赤紙が届いたらしい。さらにウチのじーちゃんとはぜんっぜん関係ないが、伝説の名投手、沢村栄治は3度目の招集で戦死している。
父方のじーちゃんの話にもどすと、じーちゃんの従弟が当時の愛国的雰囲気に流されて海軍に志願しようとしたとき、
「お前には両親がおるんじゃろうが。親を泣かせるようなマネするな!」
と、怒鳴りながらタコ殴りにしたらしい。あ、コレは当のじーちゃんの従弟(私の大叔父?じゃないか)さんから聞いたんですけどね。じーちゃん、かっこえーよ。イヤ、暴力はいかんけどね。
そんなじーちゃんは、孫の中でもナゼか私を一番ヒイキしていた。
十数人いる孫の男女比はほぼ半々。
年齢も私がちょうど真ん中くらい。
だから性別や年齢を理由としたヒイキではなかったと思う。
何かと私(だけ)をあちこちに連れて行ってくれていた。ま、幼い私はその先で買ってもらうお菓子やおもちゃや本に喜んでいただけなんだけれども。天国のじーちゃん、どうもありがとう。
(でも親戚がいっぱいいる前で「薫が寝小便せんようになったら、新幹線に乗ってどこにでも連れてってやる」というのは幼心に恥ずかしかったんですけど…)
で、昔はじーちゃんちの隣に我が家があったので、夕方はしょっちゅう、じーちゃんちに行っていた。じーちゃんの横でNHKの相撲中継を見て、6時から「トムとジェリー」を見るのがいつものパターン。じーちゃんは煮魚を肴に、日本酒をグビグビ(チビチビではない)やり、「トムとジェリー」が始まるころにはできあがっていた。
できあがっちゃったじーちゃんは、エンディングテーマの「なっか~よっく~ケンカしな~♪」というフレーズを聞きながら、「らかよくケンカしな~っと。ふぁふぁふぁ」とバルタン星人のように笑うのも毎日のパターン。それを聞いて家にもどるのが幼いころの私のパターンでした。
いま私には仲良くケンカできる相手が何人いるかな~、などと祖父のことを思い出しながら考えてしまいました。