韓国社会を騒然とさせた猟奇的な連続殺人事件の犯人が逮捕された。世間の注目が集まる中、裁判が開かれたが、裁判中も被告は常に冷たい薄ら笑いを浮かべ、反省の色はまったく見えなかった。そんな被告に対し、巷では死刑を求める声が高まる。韓国では1998年以降、死刑が執行されたことはなかったが、死刑制度が廃止されたわけではないため、当然のことながら被告には死刑判決が下された。死刑囚となった連続殺人犯は、自分に対して「殺人鬼!」と叫ぶ人々を蔑むかのような不適な笑いを浮かべながら拘置所に護送されていった。
報復感情が高まった世論を受け、韓国政府は実に12年ぶりに死刑を執行する決定を下した。連続殺人犯は異例とも言えるスピード執行だが、その他にも高齢の死刑囚も含む、10人に対して死刑が執行された・・・
・・・というのは、今月から韓国で公開されている『執行者』という映画の中でのお話です。
韓国は実際には、自らもかつて死刑囚であった金大中大統領が就任して以来、死刑は執行されておらず、「実質的な死刑廃止国」とされています。人権派弁護士だった盧武鉉大統領も死刑制度を廃止することはできなかったものの、同政権下で死刑が執行されることはありませんでした。
しかし現在の李明博大統領は、候補者時代に「犯罪を予防するという国家としての義務を果たすため、死刑制度は維持しなければならない」とも明言しており、しかも死刑制度廃止の動きは沈滞していることから、映画の話が現実になる可能性がないわけではありません。
そしてこの映画のキーポイントの一つは「世論」でした。映画の中で法務大臣の死刑執行のサインが入った書類を持ってきた役人に対し、執行する側の刑務所の職員は「なぜ突然・・・」と問いかけます。その返事は「世論のこともありますから、政府としても態度で示さないと」でした。
日本でも、韓国でも、凶悪犯罪が起こるたびに出てくるのは「遺族感情(に対する世論の同情)」です。しかし犯罪者が死刑になったからといって、遺族の感情は癒されるのでしょうか。この映画では、被害者の姉が死刑囚となった殺人犯に面会するシーンがあります(制度的に、被害者遺族が死刑確定した加害者に面会できるのかは不明)。
そのシーンで彼女は「何度でも殺してやりたい。でも(そんなことをして)お前と同じになりたくはない」と言い放ちます。そのセリフには決して癒されることのない悲しみと怒り、そして諦めのようなものが込められています。
連続殺人犯は死刑執行の前日に自分の頚動脈を切って、自殺を試みますが、刑務所側はどうしても死刑を「執行」しなければならない立場のため、刑務所の医師に絶対に死なせてはならないと厳命します。連続殺人犯は死刑執行の瞬間まで悔恨の情を見せることはなく、世間に対する怨嗟の叫びをあげながら絞首されます(韓国の死刑方式は日本と同じく落下式の絞首刑)。
彼の顔に被せられた白い布には、自殺の痕から真っ赤な血がにじむ・・・もうこのようなシーンを見せられると、一体なんのために死刑が執行されるのか、一体どんな意味があるのか、わからなくなります。
最後の方で、食堂のおばちゃんがテレビで「死刑囚10人に執行」というニュースが流れるのを見ながら「こんな悪いやつら、さっさと殺しちゃえばいいのよ」とつぶやくシーンがあります。しかし、その10人の中には過去を悔いながら年老いた死刑囚もいました。そんな死刑囚を殺して世の中が良くなるのでしょうか。それに連続殺人を犯すような人間としての感覚が麻痺したような極悪人ならば、あっさり殺してしまうよりも、死ぬまで懺悔させる方がよっぽど残虐なんじゃないでしょうか。
この映画、日本で公開されるかどうかわかりませんが(内容が内容だし、韓流スターも出ていないので公開されない可能性が高いと思います)、機会があればぜひ見ていただきたい映画です。
P.S. ちなみにこの映画の主人公は公務員試験に受かったばかりの新人刑務官で、死刑を執行する側の苦悩をメインに描いています。
* 参照 *
韓国における死刑