それは声なき叫び、見えない抵抗!
『ハンギョレ21』[2009.06.19第765号]
[表紙物語]『ギャグコンサート』を消して、木にネズミをぶら下げて…
ローザ・パークスやガンジーになりつつある「沈黙する多数」の本当の近況
▣アン・スチャン、イム・ジソン、イム・インテク
6月10日、ソウル市庁前広場に出てきた15万人余りの人々は、4900万の人口に比べれば少数派だ。政府や保守メディアは「沈黙する多数(サイレント・マジョリティー)」を例に挙げはじめた。源泉封鎖を公言する警察の脅しにもかかわらず、平日の夜に15万人にもなる市民がわざわざ足を運んだという事実は簡単に無視される。政府を批判する声が圧倒的だという世論調査の結果にも目を閉ざしている。警察の盾についている鋭い金属の刃が、集会に参加した市民の頭を正確に狙っている世の中で、善良な市民の多数は当然、沈黙する。広場には出てこない。恐怖で市民を沈黙させる能力は自慢できることではないはずなのに、そんな羞恥心が韓国の右派にはない。ところで彼らが本当にどう過ごしているのか気にならないだろうか?ここに、沈黙する多数の本当の近況がある。編集者
»それは声なき叫び、見えない抵抗!/イラスト=イ・ウイル
「私は誰かに強要されるために生まれてきたのではない。私は私のやり方で息をする。誰が強いのか見守ることにしよう」(ヘンリー・デビッド・ソロ、『市民的不服従』)
こうしていると息が止まってしまうのではないか、そんな心配がないわけではなかった。前日の夜、5時間しか眠れなかった。その前日、前々日、前々々日、そしてその前の日まで4日間、日の出を見た。最近、朝日が何時に出るのか知っている。朝4時30分になれば、東の空が白む。冠岳山の右脇に沿って出てくる朝日が、毎日言葉をかけてきた。「ちゃんと寝ろよ」と。首を振りながら耐えた。食事よりも睡眠が必要な体で、5月30日にハーフマラソンに参加した。
4日夜を明かし、黒いリボンをつけてマラソン
行政考試(試験)の準備をしているパク・チョルヒ(27/仮名)さんにとって、そのマラソンは密かな抵抗のフィナーレだった。5月23日、盧武鉉前大統領が逝去した。25日、友達と一緒にソウル新林洞の太陽公園に焼香所を作った。29日夜まで、24時間開いた。半ズボンにサンダル履きで裏道を散歩していた行政試験の受験生たちが、ぞろぞろと焼香所の前に来た。周辺を見回し、パクさんの顔も見つめた。そしてさめざめと泣いた。真夜中でも訪れて泣いた。
ただ受験勉強のストレスを発散した者が、たまたまあった誰かの涙を受け入れる。これは誰にでもできることではない。パクさんは「今まで自分がやったことの中で一番よくやったこと」だと思った。太陽公園の焼香所は、李明博政府に脅威を与えなかった。徳寿宮大漢門前の焼香所のように撤去の脅威にさらされることはなかった。それでもその前で5日間を過ごした。パクさんだけの静かな追悼であり、抵抗だった。マラソンは、その抵抗の一つの関門だった。みんなやめろと言った。4日も徹夜してマラソンだなんて。
それでもパクさんは路祭(出棺のとき門前や死人縁故の地の路上で行なう祭祀)の翌日の5月30日朝、李明博政府の国土海洋部が主催する「海の日」記念ハーフマラソンの21kmコースを1時間30分かけて走破した。見ろと言わんばかりにつけた黒いリボンも一緒だった。ソウル上岩洞のワールドカップ競技場から漢江大橋まで走り、早なる呼吸に耐える彼の黒いリボンを誰かが見ただろう。政府関係者も見ただろうし、一緒に走った市民も見ただろう。新林洞の受験生用アパートの机の前で「沈黙する多数」の一人だった彼にとって、他の抵抗の方法はなかった。
新しい社会を開く研究院のキム・ビョングォン研究センター長は「市民運動・労働運動は信頼を得られず、オンラインも政府の検閲で妨害されて活性化できなかったが、政権に対する不満と抵抗は、臨界点に達した」と話した。抵抗の情念は、ぐらぐらと沸騰している。ところが議会と広場へ向かう出口が塞がれた。自分の細胞にその情念を刻み込み、日常の小さな行動に意味を持たせるしか他の道がない。ところがそれは意外に強力な力だ。
抑圧が強ければ、大規模な集会・デモの代わりに「不服従」が始まる。個人の小さくて些細な行動だ。その行動が火種になる。広がり、はじける。チョン・サンホ漢陽大第3セクター研究所教授は、「レンズを盧武鉉や李明博に合わせず、日常の市民に合わせることだ」と語った。「追慕政局以降、人々が日常の中で怒り、参加する方式を見守る必要がある。人々が今、何かを各自で準備している」ということだ。
»市民的不服従は、個人の小さくて些細な行動から始まる。左側は5月25日から5日間、ソウル新林洞の太陽公園に設けられた盧武鉉前大統領の焼香所。右側は盧前大統領の国民葬の期間中に「心の中に黒いリボンをつけて走った」と述べて話題になった米メジャーリーグ・クリーブランドのチュ・シンス選手写真/右側からパク・チョルヒ(仮名)、提供・聯合ニュース
悪い友達と遊んだら、悪いクセがつく
20代のソヨンさんは、ソウル江南のルームサロンで働いている。本名や実際の年齢はわからない。ソヨンさんの政治・社会的存在感は、飛び散る粉のように軽い。6月6日、ある企業の社長が酒を飲みに来た。横に座って酒をついでいると、「自殺した盧武鉉」を云々する話が出た。「なぜ自殺なんですか?逝去でしょ」一緒にいた同僚のホステスも加勢した。「なんだと、このアマ。出て行け!」そのルームサロンのオープン以来、「ホステス」と「社長さん」が政治的見解の違いで争ったのは初めてだ。20万ウォンのチップは、良心の代価だった。笑顔を売り、真心まで売ることができなかったソヨンさんの抵抗だ。
1955年、米アラバマ州の小さな街、モンゴメリーでのローザ・パークスの存在感も軽かった。彼女は黒人の裁縫労働者だった。彼女に人種差別に対する意見を問う者は誰もいなかった。ところがローザはバスの中でビクともしなかった。席を譲れという白人男性の要求をそのまま聞き流した。とても疲れていた。なぜ席を譲らなければならないのか。黒人の座席と、白人の座席が別々にあった。ローザ・パークスは逮捕され、収監された。他の黒人たちが彼女の後に続きはじめた。人種分離法廃止を求める全国的なデモに発展した。巨大な黒人民権運動の始まりだった。小さくて些細な市民的不服従の力だ。
2人の子供を持つ主婦オ・ヨンヒ(36/仮名)さんは、好きだった番組『ギャグコンサート』を消した。『ギャグコンサート』が嫌いになったからではない。韓国放送(KBS)を見ないと決心したからだ。チャンネルを変えようとする子供たちの叫び声に毎日耐えた。「悪い友達と遊んだら、悪いクセがつくでしょ。この放送も見ちゃダメよ」彼女が見ないからといって、韓国放送の報道が簡単に変わるわけがない。それでもこれはプライドの問題だと考えている。オさんは受信料を拒否する方法を探している。他の人たちが同調してくれるかは、後で考えることだ。まず「オ・ヨンヒ」の名前で抵抗することが重要なのだ。
ソウル江南で小さな食堂を経営するチョ・ソンヨン(36)さんは最近、『東亜日報』、『中央日報』と決別した。「事実上、無料で置かれた」2つの新聞を解約し、進歩性向の新聞と週刊誌を新たに購読している。ネット上のサークルに「朝・中・東決別ノウハウ」を伝える書き込みもした。「食堂に行って朝・中・東があれば、『まだ朝・中・東をとってるんですか?』と言ってそのまま出るんですよ。どうせタダで置かしてもらってる新聞だから、お客様のためにも解約するでしょう」チョさんには組織がないが、その小さな行動から連帯を夢見ている。自分の実践が、もっと拡散することを願っている。
抑圧的国家に対する「個人の力」を強調していたヘンリー・デビッド・ソロは、1846年に投獄された。黒人奴隷制に反対し、人頭税納付を拒否した。代わりに公共の福祉のために使われる税金は、きちんと払った。彼の小さな抵抗が、すぐに実を結ぶわけではない。代わりに大きな波を起こす小石の役割を果たした。南北戦争直後の1865年、奴隷制を廃止する修正憲法が準備された。小さくて些細な市民的不服従の役割だ。
鍵盤を叩き、作曲もするシン・ジョンソク(32)さんは、インディーバンドをつくってソウル弘益大の前で公演をしてきた。今までの音楽活動がお粗末に思えてきた。「悲しみを悲しみで終わらせないために」、彼はどの公演でも『イマジン』を歌うことを決心した。ジョン・レノンの歌だ。すべての人間が兄弟になる平和な世の中を夢見てごらんという彼の歌を聴き、人々がどれだけ変わるかはわからない。それでも歌いつづけるつもりだ。
サムスンは瞬きもしないかも
»処罰と不利益に耐え忍ぶ勇気が市民的不服従の土台だ。6月10日、ソウル市庁前広場の封鎖に抗議している市民が、戦闘警察の前に座っている。写真『ハンギョレ21』リュ・ウジョン記者
1930年、インド西部アマダバード市でガンジーが行進を始めた。390km離れたダンディ海岸へ行き、インド人がつくった塩を手に入れるための行進だった。イギリスがインド人の塩生産を禁止し、イギリス産の塩に税金をかけたことに対する抵抗だった。たったそれだけの塩が植民統治と何の関係があるのかと、人々は斜に構えていた。しかし、出発のときは78人だった一行は、25日後には数万人に膨らんだ。ガンジーが伝統塩田で塩を一掴み手にすると、英国軍の指揮官が発砲命令を下した。だが誰も引き金を引くことができなかった。非暴力な直接行動の白眉として知られる「塩の行進」だ。小さくて些細な市民的不服従の波及力だ。
会社員のオ・ヨンテ(35)さんは5月末、自分の部屋の机に小さな焼香所をつくった。インターネットで手に入れた写真をA4用紙にプリントし、壁に貼った。会社から帰ると、香炉にタバコを1本そなえた。「追慕期間」が終わった今、彼は「言論消費者主権国民キャンペーン」(言消主)の不買運動に参加するつもりでいる。言消主に関して特別な活動をしたことはないが、言消主が目した企業の製品は買わないと決心した。言消主は6月4日、サムスンに対する不買運動を宣言した。オさんがサムスン・カードを使わず、エニイコールを避け、エバーランドに遊びに行くことを中断しても、サムスンは瞬きもしないだろう。それでも、とにかくサムスンの商品は使わないつもりだ。
キム・ウン(29)さんは最近『ハンギョレ21』の「美しい同行」キャンペーンに参加した。「美しい同行」は、定期購読を通じて市民社会団体を後援できるキャンペーンだ。彼が後援した団体は「言消主」だった。彼は「現代社会で一番力が強い運動方式は不買運動」だと考えている。不買運動に同調すれば、言論市場を正すという感じがして愉快だ。
1999年、フランス南部の小都市ミオでジョゼ・ボベは他の住民と一緒にピクニックに行った。マクドナルドの前だった。住民たちの音楽バンドが演奏をするなか、ボベは耕運機でマクドナルドの店を壊した。えっ?なぜマクドナルドかですって?世界のあちこちでそのような問いがあった。その後もマクドナルドは全世界で店舗を増やしたが、「新自由主義」に対する憎しみや侮辱の対象になった。小さくて些細な市民による不服従の潜在力だ。
英文学を専攻する大学生のキム・ギョンヒ(25)さんは、5月最後の週は黒い服ばかりを着た。毎晩、洗っては着た。家庭教師を毎日している。毎日、江南に行く。「若い人たちは節操がないわ。大統領のときはあんなに悪口ばかりだったのに、死んだからって今さら騒ぐの?大漢門の前に行く人たちは、どうかしてるんじゃないの?」ある母親がこう漏らした。lそれでもキムさんは胸につけた黒いリボンをはずさなかった。学費を稼ぐには、江南ママから金をもらわなければ。だからと言って、信念までは渡せないと考えた。苦学生のキムさんとしては、とてつもない勇気が必要なことだった。
2003年、戦場のど真ん中へ200人余りの各国の市民が、見ろと言わんばかりに入っていった。米軍が「誤爆」を装って爆撃する可能性が高い民間施設に、自分の足で入っていった。爆弾が落ちればみんな死んでしまう場所だった。自らを「人間の盾」と呼んだ。おかげでイラク戦争で頻発する米軍の良民虐殺が、世界に伝わった。生命の危険を甘受し、より多くの生命を救った。小さくて些細だが、それだからこそ訴える力がある市民的不服従の偉大なる成就だ。
「強い市民」の進歩政党入党願書
シン・ジンウク中央大教授(社会学)は、市民の「個人行動」を注意深く眺めている。まずは政府の「脅迫効果」の結果だと見ている。集会・デモ現場が封鎖され、勝手に撮られた写真を証拠に捕まり、インターネットに政府に批判的な書き込みをすると拘束されるということが繰り返されながら、「広範囲な行動に参加する“敷居”が高くなった」ということだ。
しかし、それが萎縮の兆候ではないとシン教授は判断している。他の形の「抵抗」が芽生えはじめているからだ。「敷居が高くなったので行動や実践は“個人レベル”で行われるが、批判世論はむしろ広範囲に形成されている。激しい怒りというよりも、政府から完全に情が離れた「冷たい憎しみ」の状態だ」その憎しみを表現し、分かち合う些細なことから「直接行動」が始まる。
漫画家パク・ゴンウン(38)さんの作業場は、京畿道富川にある。作業場の前に花壇がある。木もある。そこに紙粘土でつくったネズミがかけられている。片腕ほどの大きさだ。「こうでもしないと鬱憤が晴れなくて」やらかしたことだ。そんな心境で生きていく人々に会いはじめた。絵を描く人、漫画を描く人を集めて「政治的」漫画雑誌を創る計画だ。6月の第3週に初めて集まる。苦労しながら雑誌をつくったところで、多くの人たちが読んでくれるかどうかはわからない。それでもつくるつもりだ。そうでもしなければ、鬱憤がたまるばかりだからだ。
情報通信(IT)企業に勤めるチョン・ホヨン(32/仮名)さんは、「考えてばかりの小市民から、実際に行動する市民に変身する」決心をした。会社に嘘をついて5月29日の盧武鉉前大統領の路祭に参加したチョンさんは、家に帰ってから妻を抱きしめながら泣いた。「強くなるから。本当に強くなるから」強い市民、チョン・ホヨンは、ある進歩政党に入党願書を出した。来年の地方選挙とその次の総選挙・大統領選挙で遊説地を回り、ボランティアもするつもりだ。だからと言って、進歩政党の議席が突然増えることはないだろうが、どうであれ気持ちだけ応援していたかつてとは決別する考えだ。
これらの気持ちを黒人民権運動家マーティン・ルーサー・キングは、1963年の有名な演説ですでに代弁している。「我々は不正な法律に服従せず、不正な行為に屈服しません。我々は平和的で堂々とした喜びで満たされた状態で不服従を実行するのです。我々は言葉によって説得し、それが失敗した場合には行動で説得します。我々は必要ならば喜んで危険を甘受する準備ができており、我々が求める真実の目撃者になるために、我々の命までも危険にさらす準備ができているのです」
ザワザワ、それぞれの考えや行動
世界的な政治学者、エイプリル・カーターは『直接行動』で「自由が許容される国では取るに足りないと思われる(個人の)行動が、抑圧的な国ではとてつもない抵抗行為としてみなされ、甚大な影響を与えることができる」と書いた。シン・ジンウク教授は「多くの人々に道徳的共感を与えることができる平凡な人の小さな行動が、些細なきっかけで広範囲の社会運動に広がる可能性がある。政府ができる限り高めておいた集会・デモの敷居の前で、人々がざわめいている。各自が別々のことをしている。その中で誰かは「マハトマ・ガンジー」または「ローザ・パークス」、あるいは「ジョゼ・ボベ」になるのだ。
市民的不服従の歴史
より「多くの」民主主義のために
「市民的不服従」は現代民主主義の核心理念だ。憲政制度自体を否定するわけではないが、特定の法や制度を拒否し、それによる処罰や不利益まで喜んで受け入れる市民たちの公然とした行動が市民的不服従だ。したがって「完全に合法的な」市民的不服従はない。あらゆる市民的不服従は、法・制度をある地点から拒否する行動だ。法的処罰や経済的不利益を喜んで受け入れる「自己犠牲」の側面が強いため、「集団利己主義」とも区別される。
論争は主に「暴力」に関することから発生する。アメリカを代表する政治哲学者、ジョン・ロールス(1921~2002)は、「非暴力」行動を市民的不服従の核心と見なした。ガンジーの非暴力抵抗が、ロールスの言う市民的不服従の代表事例だ。一方、ヨーロッパを代表する政治哲学者、ハンナ・アーレント(1906~75)は、暴力の有無で市民的不服従を定義することに批判的だ。彼女の観点によれば、マクドナルドの店舗を耕運機で破壊したフランスの農民、ジョゼ・ボベの行為は、「不法」なだけでなく「暴力的」だったが、「正当な不服従行動」だった。
しかし、市民的不服従の暴力的要素を肯定する場合でも、△社会普遍の正義観念に訴える公益的目的を持ち、△多くの人々が見守る中で公然と行われ、△他人の身体・生命を直接害するものであってはならない、というのが多くの学者たちの考えだ。警察を殴打する「リンチ」、密かに爆弾を設置する「テロ」、憲政体制を頭から否定する「革命」などは、このような市民的不服従とは明らかに区別される。
ドイツなど外国の憲法は「非暴力的な方法による非妥協・阻止・拒否・直接行動」などを総称する抵抗権を明示的に認めている。韓国憲法には明文規定がない。しかし、前文では「不義に抵拒した4・19民主理念を継承」すると明示している。市民的不服従の憲法的正当性を認めているのだ。政治学者エイプリル・カーターは、「権力に反対することが危険な抑圧的体制では、密かに行う(個人の)受動的抵抗も直接行動」だと定義している。最近、起こりはじめている市民たちの個人的抵抗が、これに該当する。
李明博大統領は今年の6月10日、歴史に残る発言をした。ソウル世宗文化会館で開かれた6・10民主抗争記念式で、「民主主義は合理的な手続きと制度そのもの」であり、「自分の主張を貫徹させるために法を破り、暴力を行使する姿が我々が苦労して成し遂げた民主主義を歪曲している」と言った。イ・ダルゴン行政安全部長官が代読した。李大統領が直接参加しない理由は、まだ明らかにされていないが、その発言は「センセーショナル」だ。「手続きと制度そのもの」を民主主義のすべてだと理解するのは、19世紀、あるいは20世紀初頭の考えだ。
たとえば「エリート主義の理論化」であるヨーゼフ・シュンペーター(1883~1950)は、「政治をうまくするにはエリートの統制が必要であり、市民は選挙でないときは政治参加を自省する方がよい」とした。シュンペーターを今さら引き合いに出し、現代の政治学者の中で民主主義を「手続きと制度」に狭めて理解する者はほとんどいない。代議民主主義ではなく参与民主主義、審議民主主義、談論民主主義などによって民主主義を深化することが課題だとしている。ここでの市民的不服従は、代議民主主義を補完しながら民主主義全体を深化する核心要素だ。
例えば、エーリッヒ・フロム(1900~80)はこう言った。「人類の歴史は不服従の行為から始まった」ジョン・ロールスがこう言った。「市民的不服従は不法ではあるが、結局は立憲制度を安定させる道具のひつとだ」ユルゲン・ハーバーマス(1929~)もこう言った。「本当の法治国家は単純な合法性を土台に正当性を打ち立ててはならず、市民には方に対する絶対的服従ではなく、条件付の服従を求めなければならない」
ジョ・ヒョジェ聖公会大教授(社会学)は、「代議制民主主義のみを民主主義とすることは間違い」であり、「うまく動いている民主主義体制だとしても、民主主義をより発展させるための直接行動は正当化される」と定義している。民主主義は「ある・ない」の問題ではなく、「多い・少ない」の問題であり、市民的不服従はより多くの民主主義を求める正当な行動だという意味だ。
しかし、2009年の韓国市民たちの胸に占める不服従の情念が、どこまで、どのように拡散するのかはわからない。ただの個人の鬱憤として終わるかもしれない。カギは自己犠牲の甘受だ。喜んで処罰を受けるという姿勢がなければ、市民的不服従は道徳的象徴性と政治的影響力を手に入れることができない。政治学者オ・ヒョンチョルは著書『市民的不服従-抵抗と自由の道』で、「市民的不服従のためには自己犠牲の勇気と、特権を放棄できる勇気が必要だ」と書いた。勇気がなければ、不服従もできない。
アン・スチャン記者
アン・スチャン記者、イム・ジソン記者、イム・インテク記者