ロウソクは同じやり方で戻ってこない
『ハンギョレ21』[2009.06.12第764号]
[表紙物語]
沸き立っていた哀悼が静まりつつある街頭、強硬鎮圧への抵抗が難しくなった状況で、悲しみはさらに積もっていき
▣シン・ユンドンウク/イム・ジソン
あれから1週間が過ぎた。6月3日夜9時、弔問客が絶えることなく並んだソウル徳寿宮の石垣沿いの道は、再び恋人たちの路にもどった。数百人が並んで待っていた大漢門前の焼香所には、十数人の弔問客が菊の花を手に待っていた。彼らの背後には、100人余りの市民が小さな広場に散らばって、今でも「あの人」を称えていた。大漢門横の石垣には、「盧武鉉を生き返らせろ」と書かれた垂れ幕が風に揺られ、昔のままの懐かしさを訴えていた。ある男性は、遺影に一礼して振り向き、流れる涙を隠すことができなかった。新しい焼香所の横にある壊された焼香所、破れたテントは、警察が週末に通り過ぎた痕跡を示していた。それでも、ほのかな香りがさわやかな初夏の夕風に乗って漂っていた。説明のプレートをかけて焼香所を守っている市民がこう言った。「それでも弔問は終わりません」
»国民葬が終わっても、追悼は終わらなかった。6月4日、ソウル徳寿宮大漢門前で、今でも弔問客を待つ市民焼香所。その横には警察によって破壊された旧焼香所の残骸も見える。写真『ハンギョレ21』リュ・ウジョン記者
遺憾な死があり、哀悼の波が起こり、怒りが湧き上がり、抗争の記念日も近づいている。再びロウソクが燃え上がるのではないか?ある者は憂慮し、ある者は期待した。しかし、比較的静かな1週間が過ぎた。5月の最後の夜の30日と31日のロウソク集会は、参加者よりも戦闘警察が多いという状態で終わった。チャン・ソクジュン進歩新党付属想像研究所の研究企画室長は、「逝去から1週間目は追慕の熱気が情緒的哀悼なのか、政治的怒りなのか曖昧だった」「告別式後は、政治的怒りがないわけではないが、情緒的哀悼に近づいたという印象」だと解釈した。
胸に刻んだ「死ぬまで必ず投票し続けます」
ハン・ホング聖公会大教授(歴史学)は、「まだ今は哀悼の時間」と言った。哀悼の行列が路上に現れ、怒りのスローガンを叫ぶよりも、各自が悲しみを癒しているということだ。これに茶山人権センターの活動家、パク・ジン氏が付け加えた。「しかし心にたまった怒りは消えない」と。さらにハン・ホング教授は、人々がロウソクの教訓を反芻していると語る。「弾劾阻止のロウソクは、民主勢力に多数党を作らせた。しかし、それが改革の成果には至らなかった。そして昨年のロウソクは、どんなに路上で叫んでも、李明博政府が聞く耳を持たないという事実を教えてくれた。そうしてロウソクは2回の失敗を通じて、教訓を得た。議会に任せていられないので路上に出たのに、路上に出てもダメだったから、再び議会に視線を戻しているのだ。ロウソクは同じやり方で戻ってこない」
やはり投票だ。数多くの弔問客は紙に、胸に、ぎっしりと刻み込んだ。「死ぬまで投票し続けます」と。ハン・ホング教授はそれを「有権者の意識と基準を一瞬にして変えた革命」だと評価した。チャン・ソクジュン室長も「民心が政治に染み込んだ」と分析した。去年のロウソクが、今年4月の国会議員補欠選挙の結果に影響を与えたように。「ロウソクの効果は2007年の大統領選挙、2008年の総選挙の保守的選択がしばらく続くだろうという展望を変えてしまった。李明博大統領当選に寄与した首都圏の中道層の民心を、2007年以前に戻したのだ。盧前大統領の逝去で、首都圏の変化が釜山・慶尚南道などの地方に拡散する可能性がある」このようなチャン室長の分析のように、実際6月3日に実施されたリアルメートル世論調査で、民主党の支持率は大邱・慶尚北道を除くすべての地域でハンナラ党を上回った。民主労働党、進歩新党のような進歩政党の支持率も一気に上昇した。今年の10月には国家議員の補欠選挙が行われ、2010年6月2日には地方自治選挙が予定されている。そのうえ自治体選挙は、5月23日に盧武鉉前大統領1周忌を迎えた追慕の熱気の中で行われる。
ロウソク政局のときでも30%を超えていた支持率が…
»告別式が終わるやいなや、警察はソウル市庁前のソウル広場を再び「掌握」した。5月30日、ソウル広場から引きずり出される市民。写真=ハンギョレ/キム・テヒョン記者
選挙は遠く、悲しみは深い。しかし目に見えないからと言って、抵抗しないわけではない。アン・ジンゴル参与連帯民生希望チーム長は「合法的な弔問ですでに人々はロウソクを手にした」「今も支持政党を変えることで、韓国放送の『ニュース9』を見る代わりに文化放送の『ニュースデスク』を見ることで、有形・無形の抵抗を行っている」と分析した。去年のロウソク政局でもなかなか30%以下に落ちなかったハンナラ党の支持率は、ついに30%以下に落ち、告別式が行われた当日の『ニュースデスク』の視聴率は、数年ぶりに『ニュース9』を上回った。アン・ジンゴル・チーム長は「大規模なデモで現れなくても、反李明博ムードがさらに深まり、広まったという傍証」だと語った。
もちろん、強硬鎮圧の沈黙効果もある。活動家のパク・ジン氏は「数多くの戦闘警察に先端装備を動員し、法律の条項まで活用して単純集会参加者も法律違反者とする物理力の脅迫効果が明らかにある」と語った。このように強力な物理力動員の裏側から、自信の欠如を読み取ることもできる。パク・ジン氏は「焼香所が設けられたソウル駅広場のあちこちに隠れている警察官を見ながら、同意を得られない権力の自信喪失が哀れだった」と話した。しかし、このような反感がすぐに政権の危機につながるわけではない。民主化の逆説的恵沢を、保守勢力が享受しているためだ。チャン・ソクジュン室長は「牛肉政局のロウソクも、政権を変えようとする要求ではなかった」とし、「1987年の民主化以降に形式的民主主義に対する同意に至り、政権が反民主的手段を動員しても、最小限の民主的原則を壊さない限りは政権交代の要求までには行かない」と分析した。ホン・ソンテ尚志大教授(文化コンテンツ学)は、また別の側面を指摘した。彼は「韓国の守旧勢力は、国民が言葉ではあのように言うが、実際の選挙では別の行動に出ると判断している」と話した。
光州よりも深い「生き残った者の悲しみ」
一方、ロウソク集会の成果と共に、限界を指摘する見解もある。イ・テクグァン慶煕大教授(英文学)は「今、喪失の対象は単純に盧武鉉個人を越えて、盧武鉉を死に追いやった何か」、「だが代議制民主主義の枠を超えることをはばかる韓国の中間層は、不満の原因である李明博政府という票を除去する方法もない」と述べた。彼は去年のロウソクを、民主化以降、求めてきた正常国家から脱却した李明博政府に対する抗議と見なした。しかし中間層のこのような熱望は、新たに登場した既得権政権の前で挫折した。イ教授は「韓国の既得権層は、私益追求をすぐに公共性と錯覚する集団」だとし、「87年以降、民主主義のルールを作ってきた中間層の自負心は、既得権政府の壁の前で崩れた」と指摘した。そうしてロウソクは中間層に挫折の経験として残った。そのため、代議制の中で挫折した欲望を慰めるクッ(巫女が歌舞を演じて神に願う儀式)のようなロウソクを再び手にすることは難しいということだ。これに加え、チャン・ソクジュン室長は、ロウソクのやり方の限界も指摘した。「ロウソクは誰でも参加可能なレベルの抵抗だから大衆の同意を得られた。ところが政権に強硬鎮圧され、このようなやり方の抵抗を維持することは難しいというジレンマに行き当たった。だから集会を維持するには他のやり方が必要だが、それは大衆の同意を得ることは難しい」
しかし潜んでいた悲しみは、今すぐの行動を超えて人々の胸に旗を立てている。ハン・ホング教授は盧武鉉前大統領の逝去を、80年の光州に当てはめた。彼は「光州の悲しみが積もりに積もって民主化運動をもたらしたように、彼の死もすぐには現れなくても必ず戻ってくる」と展望した。韓民族の歴史で、このような死をただ流したことはないということだ。彼は「柳寛順(ユ・グァンスン)の死が3・1運動を、純宗の死が6・10万歳運動を、キム・ジュヨルの死が4・19を、パク・ジョンチョルの死が6月抗争をもたらした」「彼の逝去もすぐではなくても、いつかは大きな変化となって現れるだろう」と展望した。そのうえ盧武鉉前大統領は、高宗や純宗のような朝鮮時代の王よりもはるかに親しみやすい存在で、人々が感じる一体感が加わった分、その悲しみも深い。ここに彼を守れなかったという罪責感まで加わり、光州よりもさらに「生き残った者の悲しみ」を弔問客が感じていると指摘した。だから彼は4~5時間も待って弔問したという人々を「弔問客ではなく、喪主」だと表現した。他人のことならば、そんな長い時間を待って弔問する理由がないということだ。彼は「五千年の歴史で、民衆が一人に向かってこのように集団的に罪責感を感じたことはない」、「彼の死は公の憤りを超えて、各自の個人的怨恨になった」と語った。そして最後にこう付け加えた。「ついに光州の時代は終わった。今はミミズクの時代だ。これから数千、数万のミミズクが飛んでくるだろう」
このように徹底した悲しみは、どのような怪物になって漢江の奇跡を飲み込み、汝矣島を揺るがすのか。キム・ミンヨン参与連帯事務署長は「今年の6・10は結果ではなく始まり」だと語った。
大漢門前の風景
特別講義、労働者集会、民労党断食…
5月の大漢門は悲壮でありながら熱かった。盧武鉉前大統領の告別式の前日である5月28日までに、101万人がここの焼香所で弔問し、ボランティアも2000人以上が集まった。告別式以降の大漢門前は、人数こそ減ったが、追慕の熱気は続いていた。
6月2日夜から大漢門前では新しい風が吹いた。言論改革市民連帯と人権実践市民連帯が「故盧武鉉大統領追悼街頭特別講座」を始めたからだ。毎晩7時30分から開かれる特別講座には教授、法曹人、社会団体活動家など、多様な人材が講義に立った。退社時間になると、ロウソクを手にした人々が集まりはじめた。6月4日にはチェ・ガンウク弁護士が「国防部選定不穏書籍と軍法武官罷免」に関する講義を開いたところ、400人以上の市民が参加した。
聴講していたキム・サンギ(40)さんは、「インターネットでここで講義があるということを知り、会社が近くなので、今日初めて来た」「告別式の前は人の列が長くてできなかった焼香もして、特別講義で知らなかったことも学べるので、これから毎日参加するつもり」だと語った。講演を終えたチェ弁護士も「ここまで人々がたくさんくるとは思わなかったが、みんな集中して共感してくれたので良かった」と話した。市民たちは彼のところに来て握手を求めた。『朝鮮日報』に広告を出す企業に対する不買運動をして訴えられたというある市民は、握手をしながら「私たちは『朝鮮日報』に勝ちます」と叫んだ。
そして闘争する労働者が残った。6月3日から貨物連帯の労働者は、毎晩7~9時に大漢門前で集会を開く。彼らは6月4日にソウル市庁前広場が開放されたため、進入を試みたが、10分も経たないうちに戦闘警察により追い出された。貨物連帯のパク・サンヒョン法規部長は「今みなさんは不法集会をしています」という放送を聞きながら「明日も、明後日も目標は市庁前」であることを誓ったそうだ。
6月4日からは、民主労働党のイ・ジョンヒ議員が大漢門横でハンガーストライキに突入した。「強圧統治を中断し、国政基調を転換せよ」というスローガンを打ち出した。内閣総辞職と国政基調の転換、李明博大統領の謝罪、労働生存権の保障などが要求事項だった。この日の夜、イ・ジョンヒ議員は「街頭特別講義」と「貨物連帯特別講義」の両方から招請された。この様子を見ていたある市民は、大漢門前に置かれた大型芳名録に「民主党議員は断食しないのか」と書いた。
イム・ジソン記者
シン・ユンドンウク記者、イム・ジソン記者