「米朝」と「米中」の地政学的綱引き/李鍾元
韓国の現代史で、5月はもっとも残忍な季節として記憶されるだろう。前大統領の自殺という、前代未聞の悲劇が与えた衝撃が消えないうちに北朝鮮が再び核実験を敢行した。北朝鮮の後継体制をめぐる動きが加速化しながら、朝鮮半島の状況は、一寸先を見定めることさえ難しい乱気流に突入している。李明博政府が念を入れたASEAN(東南アジア国家連合)との初のトップ会談や、野心的な「新アジア政策」も、北朝鮮の核実験の陰に隠れてそれほど注目されなかった。国内の政治社会的統合と南北関係の安定がなければ、韓国の立地や歩みは縮小し、制約されるしかない。
対話外交を標榜するオバマ政権下で、なぜ北朝鮮の核問題がこのようによじれ、むしろ状況が悪化しているのだろうか?北朝鮮とアメリカの最近の動きを見てみると、問題の構造がぼんやりと見えてくる。「オバマ政権もブッシュ政権と少しも変わらない」という北朝鮮の内情に関して、5月30日付『朝鮮日報』の記事は、一つの解説であり、条件の提示だとも言える。「オバマの誤判」というサブタイトルの下に、この記事は「“六カ国協議の復元”という焦点が外れた処方」を提示したことが、むしろ緊張を激化させていると指摘しながら、「目の前の課題は“破綻した六カ国協議”ではなく、“まだ終わっていない戦争”」であり、「外交的接近の標的を正しく設定しない限り、事態はねじれていくしかない」と主張した。「米朝直接交渉」を渇望する北朝鮮の立場が切迫するほど正直に表現されている。
これに対してオバマ政権の対北政策は、多者間外交のアプローチに重点を置く方向へ傾いている。ここにはクリントン政権以来、米朝両者交渉の経験を土台に、アメリカが持っている手段の限界と負担感が少なからず適用している。これを背景にブッシュ政権後期からアメリカは中国を関与させた国際協調の枠を模索しており、六カ国協議もその試みの一つだった。アメリカの「力の限界」を前提にしたオバマ外交が全般的に国際協調の方向性を提唱しているなか、特に東アジア政策ではアメリカと中国の協調を機軸に設定する発想が至る所に見える。米中という二つの大国の役割を強調するG2論が提起されているのも同じ脈絡だ。
オバマ外交はアメリカ外交史の流れから見ると、フランクリン・ルーズベルト大統領と似ている点が多い。ウィルソン的理想主義と手段的現実主義の結合という側面もそうだが、大国間協調を重視する外交手法が非常によく似ているのだ。イラン問題に関してロシアの力を借りる反面、アフガニスタンと中東問題ではイランとの妥協共助を模索する手段は、典型的な現実主義的外交だが、これを有機的に連結し、世界的・地域的秩序の構築を志向するという点で、理想主義がその土台を形成している。北朝鮮の核問題への対応を契機に、朝鮮半島と東北アジアに米中が中心となった新しい「ヤルタ体制」の共存秩序が台頭するかもしれない。
5月31日のキッシンジャー元国務長官の『CNN』インタビューは、この点で非常に興味深い。アメリカ国内の一角で提起される北朝鮮に対する積極的関与を通じた対中国牽制論や、北朝鮮がアメリカを巻き込んで中国に対する牽制勢力とするという発想については、「近視眼的」だと批判しながら、米中が主導する「東北アジア安全保障会議」を通じて北朝鮮に核の放棄を誘導すべきだと力説した。1970年代初期から繰り返されてきたキッシンジャーの持論だが、オバマ政権の朝鮮半島政策にも関与していると伝えられており、その意味は小さくない。北朝鮮の核を圧迫し、説得するための水面下の米中共助が加速するなか、韓国は朝鮮半島問題の当事者性をどう確保するのだろうか?大きな枠の朝鮮半島外交政策が必要な時だ。
李鍾元/立教大教授・国際政治
『ハンギョレ』2009年06月05日