ロウソクで迎え、ロウソクで見送る
『ハンギョレ21』[2009.05.29第762号]
[特別企画]盧武鉉前大統領逝去
キーワード④ロウソク-大統領当選の決定的契機として始まり、任期中は「市民メディア」となった
追慕の光として灯された「参与政治」の象徴
▣アン・スチャン、イム・インテク、チョン・ジョンヒ
5月23日午後、ソウル徳寿宮大漢門前にロウソクが灯された。生前の笑顔の横に、誰かが芳名録を置いた。すでに市民たちの書き込みでいっぱいだ。震える手を押さえた痕跡が、魚のように脈打った。‘チョン・シンエ’という名前が抑えられない感情を込めた文章で語っていた。「20歳のとき、ロウソクを手に守りきりました。もう一度ロウソクを手に、今回はあなたの行かれる道を見守ることになりました」ロウソクは盧武鉉前大統領の生涯最期の7年間を共にした。掲げたり、下げたりされながら、いま再び彼の横に集まっている。
市民のロウソクが盧武鉉の資源になった
»そのとき、ブタの貯金箱に詰められたものは政治資金だけではなかった。参与民主主義に対する市民の長年の熱望は、まったく新しい方式の選挙参与を誕生させた。2002年11月28日、京畿富平駅広場で、支持者たちからブタの貯金箱に集められたお金を受け取った盧武鉉大統領候補(当時)が笑顔を見せている。写真=ハンギョレ/イ・ジョングン記者
すべてはロウソクから始まった。通学路で女子中学生2人が死んだ。米軍の装甲車に轢かれたのだ。2002年6月のことだった。「アンマ」というネチズンが、みんなで集まって追悼しようと提案した。指導部がいなくても人々が集まれるということを、それ以前は誰も知らなかったが、ソウル市庁前の広場に4万5000人が集まった。ロウソク。危なっかしく揺れる、小さくてか弱いロウソクの火を人々は胸に抱いた。事件、無名な人の提案、インターネット討論、広場のロウソク、既成政治を圧倒する市民の力…。この時から「ロウソク政治」の文法が形成された。
「反米だったらどうだと言うんですか」民主党大統領候補の盧武鉉が言った。1400度で燃え上がる数万個のロウソクの前に立った。「アメリカに対して韓国政府がもっと自律的でなければなりません」ロウソクが拍手を送った。大統領候補が「反米集会」に参加してもいいのかという意見が、大統領選挙キャンプの中でも多かった。そういった意見を気にせずロウソクの現場を訪れたとき、彼が念頭に置いたのは反米ではなく、市民だった。2002年6月以降、「市民としてのロウソク」は、決定的局面のたびに彼の資源となった。
2002年12月の大統領選敗北以降、ハンナラ党は「ヒョジュン・ミソンのロウソク集会による反米ムード」を敗因としてあげた。反米ムードまではわからないが、ロウソク集会が李会昌候補の敗北、盧武鉉候補の勝利と密接な関係にあるのは事実だ。右派の「ロウソク・コンプレックス」も同時に始まった。2008年の狂牛病牛肉輸入反対ロウソク集会の背後に、盧武鉉前大統領がいるのではないかと、右派は疑った。しかしそれは賢明な疑惑ではない。ロウソクの作動方式を依然として理解していないからだ。盧前大統領がロウソクを動かしたのではなく、既成政治の構造自体を疑う市民たちがロウソクを灯しては消し、また灯したのだ。
「政治は依然として特定政治家階級の職業的行為であり、それに侵入する経路自体をその階級が独占している」『愉快な政治反乱、ノサモ(盧武鉉を愛する会)』にノ・ヘギョンがそのように書いた。この本には「政治嫌悪の泥沼に咲いた政治愛のハスの花」という表現も登場する。「市民たちの連帯」によって政治改革を試みた盧武鉉路線に対する詩的概念化だ。実際に2002年12月19日、彼が大統領選に当選したとき、メディアは「ノサモの勝利」と書いた。民主党の勝利と記録していれば、不正確な表現になっていただろう。民主党よりも先に進んでいた「ノサモ」は、政党秩序に服従しない平凡な市民たちを代表していた。
貧しい家に生まれ、高校しか卒業していない盧前大統領にとって、最高エリートたちが掌握した政党・官僚組織の障壁は高かった。彼は既成の政党・官僚政治と常に緊張関係にあった。彼が闘ったのは地域主義以前に“エリート主義”だった。「名門の家、名門の学校の出身者たちは深く反省するべきです。機会主義によって個人的利益を図り、その中で不当に特権を享受してきた過ちが、余りにも多すぎます」大統領選の直前に出版された『盧武鉉の色』という本で、彼はエリートに象徴される既成権力の作動方式を批判した。
この点で彼は“両金”と断絶した。金泳三・金大中大統領は、既成政党の力学構造から誕生した。二人の大統領は揃って民主主義を標榜していたが、保守政党または分派の力を借りた。大統領・金泳三は1990年、三党合党を経た民自党結成の産物だった。大統領・金大中は生涯の宿敵、金鍾泌と手を握った“DJP連合”の結実だった。政治権力の上層をどう分割し、統合するのかが彼らの課題だった。だが盧武鉉前大統領は反対側を見ていた。政治権力の底辺、政治構造の外側から政治的資源を得ていった。
»ロウソクは盧武鉉前大統領の生涯最期の7年間を共にした。5月23日夜、ボンハ村の殯所前で市民が追悼のロウソクを灯している。写真『ハンギョレ21』チョン・ヨンイル記者
ロウソクに対する右派の根深い恐怖
“ノサモ”はすでに2002年の大統領選挙以前から主権在民と直接民主主義を標榜していた。政治家・盧武鉉はその意志を実現する人物とみなされた。彼らが「自律性を尊重するゆるい連帯」を具現化し、インターネットを基盤としたコミュニケーションと地域での小規模な集会形式の草の根組織を備えたとき、ロウソクの進化は予定された水準だった。2004年3月から3ヶ月に渡った大統領弾劾反対ロウソク集会は、その頂点だった。最大13万人が集まったこのロウソクは、議会の決定を無力化し、憲法裁判所の判断を事実上、圧迫した。政党の外部、路上や広場やインターネットに偏在した市民の力を信頼していた盧前大統領の判断は正しかった。政治家、盧武鉉と彼が表象する価値を守ったのは、政党ではなく市民だった。
その恐るべき威力を右派は早くから恐れた。右派はロウソクを別の用語で呼んだ。“ポピュリズム”だ。「ポピュリズムは大衆の感情をコントロールするために、むちゃくちゃに騒ぎ立てる興行だ。それにはいつくかの特徴がある。“反エリート”、“反知識人”、“藍衣社的道徳主義”といったものだ。今、韓国社会では大衆であれ、大統領志望者であれ、乱暴なポピュリズム風土にどっぷりと浸かっている」(2002年4月6日、『朝鮮日報』リュ・グンイルのコラム)
非難の脈絡に盛られてはいるが、間違ってはいない。興味深いことに、この保守論客は、ポピュリズムにどっぷり浸かった大統領志望者が反エリート主義と道徳主義を志向していることを知っていた。2002年のロウソク市民と2004年のロウソク市民は、まさしくその反エリート主義と道徳主義を力強く支持するために広場に集まった。
ロウソクはそれでも絶えず揺れている。2003年6月、イラク派兵反対を主張する市民たちが、ソウル市庁前の広場でロウソクを手にした。2007年3月には、米韓自由貿易協定(FTA)反対を叫ぶ市民たちがロウソクを手にした。ロウソクは大統領盧武鉉とコミュニケーションする“市民メディア”だった。その風景はもはや珍しいものではなかった。しかし、4年の間隔を置いて燃え上がった炎は、「盧武鉉がどこへ行っているのか」を問いただした。ロウソクはその歩みに疑問符を付けた。盧前大統領は、そのロウソクに賢明に答えることはできなかった。むしろ政治システムの上部構造に退行した。ハンナラ党と大連立を結び、底を突いた政治資源を補充しようとした。それは直接・参与民主主義に対する彼の信条を揺るがし、市民のロウソクも消えた。
100万人が集まった2008年のロウソクは、盧武鉉前大統領を記憶する場所ではなかった。人々は“反李明博政府”を打ち出した。李明博政府に反対することが、盧前大統領を支持することではない。しかし、李明博政府は判断を誤った。市民たちが不信感を抱いているのは政治構造全体ということも気づかなかった。ロウソクを見て、再び盧前大統領を浮上させた。世の中に存在する“盧武鉉のすべての遺産”をほじくり出そうとした。それには盧前大統領を直接狙った検察の捜査も含まれる。彼の死はロウソクに対する右派の根深い恐怖と関連している。そしてその恐怖は再びロウソクを呼び集めている。
今は何を守るのか
ずっと燃え続けるのだろうか?いつまで、どこまで燃え広がるのだろうか?去年のような大規模なロウソク集会を楽観する者は多くない。政権による弾圧があり、ロウソクが打ち出すスローガンも未だに漠然としているからだ。キム・ミンヨン参与連帯事務署長は「盧武鉉前大統領の死が、ロウソクが再び起きる起爆剤になるだろうが、追悼の波がどれだけ拡散するかは予測しにくい」と話した。
5月23日、大漢門前に書かれた芳名録の文章は、ほとんどが後悔と反省の告白だった。守れなかったことが申し訳なく、今さら過去を振り返るのも悔しいと書いた。“ジャヒョクとジャヒョンのパパ”も書き込みをした。「あのとき、むしろ彼らを阻止しなければよかった。あなたを弾劾したという者たちからあなたを守るためにこの場所に来たときは、こんなことが起こるとは想像もしませんでした。今はあなたを懐かしく思います」ジャヒョクのパパが「あなた」に再び会うことはないだろう。「あなた」はこの世を去ったからだ。「あなた」を好きで、時には憎くてロウソクを手にしていた人々は、それでも「あなた」のいない世界で生きていかなければならない。再びロウソクを手にしたジャヒョクのパパは、そのロウソクで何を守るのか苦悩しなければならない。そこに人々が行っている。
アン・スチャン記者、イム・インテク記者、チョン・ジョンヒ記者