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これじゃ、国民葬に3000人しか来てないみたいじゃないか。
実際の記事を読めば、韓国政府関係者や諸外国からの弔問使節団だけで3000人ってのは読めるけど・・・。今ソウル市庁の周辺は、平日の昼間にもかかわらず(盧武鉉カラーの)黄色に染まっているっていうのに。同僚の中にも「休暇とって行く」って人がいた。実際には忙しくて休暇とれなかったから今ネット中継見てるけど。
(警備という名目で)市民を押さえつけてる警察だけでも3万人はいるんじゃないかってイキオイ。まあ、日本に届く報道はそんな面を過小に歪曲したのばかりなんだろうけどさ。参列した市民の数については、あとで警察発表と実際に推定される人数との差がどれくらい出るかを楽しみにしていよう。日本のマスコミはもちろん警察発表をそのまま垂れ流しちゃうよね~。
下のは、市民から盧武鉉に宛てられた手紙がソウル市庁近くの焼香所周辺を埋め尽くしているという写真と記事。実際にそこに行って手紙を読んでいると、目頭が熱くなります。日本の歴代首相の中にはこんなに多くの国民から慕われた人っていないよな~と思うと、また別の意味で悲しくなります。
「バカが勝つ世の中をつくります」盧ちゃんに送る手紙
徳寿宮大漢門に設けられた市民焼香所周辺の壁、市民たちの「手紙」で埋まる
2009年05月27日 CBS社会部チョ・ウンジョン記者

「卵で岩を打ったあなたは永遠に私たちの英雄です。さようなら、盧ちゃん」
「バカの意志を継いでバカたちが勝つ世の中を、残された私たちが必ずつくっていきます」
「私の息子、娘、妻と共に峰下(ボンハ=盧前大統領が退任後に居を構えた村)でぜひお会いしたかった。今はその願いも永遠に叶えられなくなりましたね」
「あなたの国民として過ごした5年間は幸せでした。守ってあげられなくてごめんなさい。-386おばさん」
盧ちゃん、兄貴、バカ、あなた……
呼び方はそれぞれバラバラだが、追悼客が手書きで残した手紙には、故人に対する愛おしさが一様に濃く刻まれていた。
ソウル徳寿宮大漢門に設けられた市民焼香所周辺の一帯の壁が盧前大統領に送る「追慕の手紙」でぎっしりと埋められていた。通りすがりの市民の中には歩みを止めて、壁に貼られた手紙を見ながら涙を流す人もいた。
手紙を熱心に読んでいたチョン・ジフン(62/ソウル麻浦区)さんは「文章一つ一つに率直なことが書かれていて、目頭が熱くなった」「人々の真心が感じられた」と語った。
通訳をしているイム・ジヨン(36/ソウル竜山区)さんは、ここを通る外国人のために英語で手紙を書いて貼り付けた。「韓国の歴史上、もっとも清潔だった大統領が皮肉にも自らを取り巻く道徳的非難に勝てずに逝去した」と英語で盧前大統領を紹介した。さらにイムさんは「韓国の歴代大統領はこの事件をどのように思うのか問い質したいという内容を追加した」「状況がわからない外国人の役に立てばと思う」と話した。
6歳と8歳になる娘と一緒に徳寿宮に来たユ・ギョンジン(38/京畿道光明市)さんは、ハングルを習いはじめたばかりの下の娘に紙とペンを握らせた。たどたどしい文字で盧武鉉のおじいちゃんに手紙を書く娘を見ながら、ユさんは「大人よりも子供が送る手紙の方が天国にうまく伝わりそうだ」「将来、子供たちが盧前大統領のことを覚えていてくれたらうれしい」と希望をもらした。
成人になったばかりのキム・ソンユン(19)
*さんは、「人権のために尽力したあなたから情熱とは何かを教えてもらった」と書いた後、最期の行に「天国でいつか必ずお会いしましょう」と書いて締め括った。
このように追悼客が残した文章には、何よりも「人間、盧武鉉」を追憶する市民たちのいじらしさがそのまま込められていた。
手紙の中には「なぜ一人で背負おうとしたのですか。5000万
**もの肩があるのに……」と切なさを表現するものもあれば、「恨むなという(遺書に書かれた)言葉を守れませんでした」という嘆きもあった。
また、「政治がキライなので両目を閉じて生きてきた。そんな自分が恥ずかしい」「過ぎ去った後で大切さを知った」という後悔と追慕の念が込められた文章もあった。
市民たちは、それぞれの気持ちを紙に書いて盧前大統領の生前には残せなかった多くの言葉を、今からでも天国に伝えようと悲しみを駆け巡らせた。
「忘れてはならないことを忘れないことが愛であり、許してはならないことを許さないことが正義だ-盧武鉉を忘れない」(徳寿宮大漢門前の市民の手紙から)
* 韓国では2005年の選挙法改正で、満19歳から投票できるようになった。民法上の成人は満20歳。
** 韓国のおおよその人口。