再び夢見る平等と正義、平和/高橋哲哉
2009年の新年を迎え、日本メディアは国内ニュースでは解雇された非正規労働者の困窮した状況を、国外ニュースではイスラエル軍のガザ空襲を集中的に報道した。現在、日本の労働者の3人に1人を占めている非正規労働者の不安と困窮については、このコラムでも何度か扱ってきた。日本メディアも今月、「年越し派遣村」を一斉に報道した。昨年秋の金融危機でトヨタ、日産、ソニーなどの世界的な大企業で派遣労働者を大量解雇したために、寒空の下で路上生活をせざるを得なくなった失業者たちに対して非営利法人(NPO)やボランティアが東京日比谷公園で寝床や食事を提供した。これは12月31日から1月5日まで、約500人余りの失職者の避難先として利用された。
パレスチナでは、イスラエル軍が空中爆撃と地上侵攻によって圧倒的武力を誇示しながらガザ地区を攻撃した。今は「暫定休戦」状態だが、すでにパレスチナで1300人余りが亡くなり、その被害者のうち子供と女性が半数近くを占めているそうだ。非人道的な武器である白リン弾も使用されたことが伝えられた。ジョージ・ブッシュ前米大統領とバラク・オバマ現大統領の任期交替時期に乗じた作戦だそうだ。アメリカはイラクやアフガニスタンとは違い、イスラエルの場合は国連決議をどんなに無視しようとも、また、どんな非人道的な軍事力を行使したとしても、介入どころかこれを支持している。新たに発足したオバマ政権の面々を見ても、アメリカのダブルスタンダードが簡単に変わるとは思えない。
これらの報道を見ながら新年の初頭、強者の論理がこれほどまで露骨に表れた世界になってしまったということを嘆かざるを得ない。もちろん、資本の論理も軍事の論理も今に始まったことではない。_しかし今振り返ってみると、二十数年前に東西冷戦の終息が宣言された時期に、私自身は少し明るい未来を展望したことを忘れることができない。「自由経済」に対して「平等」の理念を求めた社会主義の実験が挫折したことは残念だったが、冷戦終息の波が東アジアにも及び、どんな形であれ「平和の配当」が世界に広がっていくだろうという希望を抱いた。今私はこの希望が裏切られたということを、つらい心境で反芻している。この20年間は、実際に「グローバル化」の名の下に強者の論理が拡大した時期であり、強者が富と権力を独占し、弱者は貧困の中に打ち捨てられて当然という「新自由主義」が蔓延した時期だった。
「新」という名で登場したこの「自由」は、以前からあった「強者の自由」の焼き直しに過ぎない。出発点をどの時期に置こうと、圧倒的な不均衡がある初期状態から「自由競争」を放任すれば、その自由が「強者の自由」にならざるを得ない。昨年の秋以降の世界経済危機により、「新自由主義」の欺瞞性と問題点が明らかになった。今こそ20世紀型社会主義の挫折のれ歴史を振り返りながら、「平等」の理念を掲げて主唱するときが来たと思う。「平等」とは何なのか。「正義」とは何なのか。その理念に関する再検討も必須となるだろう。単純にか「国民」内部の「平等」や「正義」ではいけない。_国家の垣根を越えて世界的な「平等」と「正義」の追求が必要だ。果たして確実に平等で正義の成り立つ世界はどんなものなのか。われわれの想像力はまだあまりにも貧弱だ。そのような世界は、決心したからといって簡単に実現できるものではない。だがその理念がなければ人間世界は結局、弱肉強食のジャングルに陥ってしまう。平等と正義がなければ平和もない。あきらめてはならない。
高橋哲哉/東京大教授・哲学
『ハンギョレ』 2009年01月23日