韓国社会を騒然とさせた猟奇的な連続殺人事件の犯人が逮捕された。世間の注目が集まる中、裁判が開かれたが、裁判中も被告は常に冷たい薄ら笑いを浮かべ、反省の色はまったく見えなかった。そんな被告に対し、巷では死刑を求める声が高まる。韓国では1998年以降、死刑が執行されたことはなかったが、死刑制度が廃止されたわけではないため、当然のことながら被告には死刑判決が下された。死刑囚となった連続殺人犯は、自分に対して「殺人鬼!」と叫ぶ人々を蔑むかのような不適な笑いを浮かべながら拘置所に護送されていった。
報復感情が高まった世論を受け、韓国政府は実に12年ぶりに死刑を執行する決定を下した。連続殺人犯は異例とも言えるスピード執行だが、その他にも高齢の死刑囚も含む、10人に対して死刑が執行された・・・・・・というのは、今月から韓国で公開されている『執行者』という映画の中でのお話です。
韓国は実際には、自らもかつて死刑囚であった金大中大統領が就任して以来、死刑は執行されておらず、「実質的な死刑廃止国」とされています。人権派弁護士だった盧武鉉大統領も死刑制度を廃止することはできなかったものの、同政権下で死刑が執行されることはありませんでした。
しかし現在の李明博大統領は、候補者時代に「犯罪を予防するという国家としての義務を果たすため、死刑制度は維持しなければならない」とも明言しており、しかも死刑制度廃止の動きは沈滞していることから、映画の話が現実になる可能性がないわけではありません。
そしてこの映画のキーポイントの一つは「世論」でした。映画の中で法務大臣の死刑執行のサインが入った書類を持ってきた役人に対し、執行する側の刑務所の職員は「なぜ突然・・・」と問いかけます。その返事は「世論のこともありますから、政府としても態度で示さないと」でした。
日本でも、韓国でも、凶悪犯罪が起こるたびに出てくるのは「遺族感情(に対する世論の同情)」です。しかし犯罪者が死刑になったからといって、遺族の感情は癒されるのでしょうか。この映画では、被害者の姉が死刑囚となった殺人犯に面会するシーンがあります(制度的に、被害者遺族が死刑確定した加害者に面会できるのかは不明)。
そのシーンで彼女は「何度でも殺してやりたい。でも(そんなことをして)お前と同じになりたくはない」と言い放ちます。そのセリフには決して癒されることのない悲しみと怒り、そして諦めのようなものが込められています。
連続殺人犯は死刑執行の前日に自分の頚動脈を切って、自殺を試みますが、刑務所側はどうしても死刑を「執行」しなければならない立場のため、刑務所の医師に絶対に死なせてはならないと厳命します。連続殺人犯は死刑執行の瞬間まで悔恨の情を見せることはなく、世間に対する怨嗟の叫びをあげながら絞首されます(韓国の死刑方式は日本と同じく落下式の絞首刑)。
彼の顔に被せられた白い布には、自殺の痕から真っ赤な血がにじむ・・・もうこのようなシーンを見せられると、一体なんのために死刑が執行されるのか、一体どんな意味があるのか、わからなくなります。
最後の方で、食堂のおばちゃんがテレビで「死刑囚10人に執行」というニュースが流れるのを見ながら「こんな悪いやつら、さっさと殺しちゃえばいいのよ」とつぶやくシーンがあります。しかし、その10人の中には過去を悔いながら年老いた死刑囚もいました。そんな死刑囚を殺して世の中が良くなるのでしょうか。それに連続殺人を犯すような人間としての感覚が麻痺したような極悪人ならば、あっさり殺してしまうよりも、死ぬまで懺悔させる方がよっぽど残虐なんじゃないでしょうか。
この映画、日本で公開されるかどうかわかりませんが(内容が内容だし、韓流スターも出ていないので公開されない可能性が高いと思います)、機会があればぜひ見ていただきたい映画です。
P.S. ちなみにこの映画の主人公は公務員試験に受かったばかりの新人刑務官で、死刑を執行する側の苦悩をメインに描いています。
* 参照 *韓国における死刑
私の周りには李明博(イ・ミョンバク)次期大統領がイヤでイヤで、実行までには移さないまでも「韓国捨てて、外国に行くか~」とボヤいている人がやたらとたくさんいます。それなのにこの年末年始に日本に帰ったときは、ご祝儀相場を割り引いたとしても「韓国の次期大統領に期待」みたいな報道が多かったように思います。
さて、経済再建という面でばかりクローズアップされている李明博次期大統領ですが(え~、経済再建っつーよりは、この格差拡大とか、若者の就職難とか、雇用形態の不安定化とかの問題の方が先なんじゃないの~?ということは、ま、ひとまず置いといて)、死刑廃止の法制化についてはどうなんでしょうか。
韓国は金大中・盧武鉉両政権(大統領の任期は5年)下で死刑執行がなされなかったため、昨年末に「実質的な死刑廃止国」となりましたが、法制化にはまだ道筋さえもついていないような状態です。
新大統領が、死刑廃止という国際的な流れに反して死刑執行を再開するようなことは、まさかないでしょうが(ないよね?ないよね?ビクビク)、制度としての死刑廃止までに至るのでしょうかね。
ところで李明博次期大統領ご本人さまは、敬虔なクリスチャンであらせられるそうですが、そのキリスト教も、死刑大国(?)アメリカでは死刑存置の一大勢力となっているようです。げ~、キリスト教って、愛と平和と許しの宗教じゃないの~?ま、宗教オンチなんで、よく知りませんけど。
なんか、まー、そのへんについて書かれたコラムが1月13日のハンギョレ新聞に掲載されていたので訳してみました。それではどうぞ。
キリスト教福音派と死刑制度/ナ・ヒドク
アメリカの大統領選挙で共和党候補のハッカビーが、キリスト教福音派からの全幅の支援を受けて急浮上している。バプテスト教会の牧師である彼は、妊娠中絶や同性愛などに反対するという点で、福音派教理の確固たる代弁者だと言える。キリスト教という基礎の上に立てられたアメリカでは、このように宗教的・倫理的な問題を争点化することが政治的な結集力を作り出す方法として活用されることがしばしばある。福音派の支持がなかったならば、ブッシュ大統領も再選されることはなかっただろう。
ところでキリスト教徒である私にとっても簡単には納得できない点は、福音派が妊娠中絶に反対しながらも死刑制度には賛成しているという事実だ。生まれていない命まで尊重しなければならないと主張しながらも、死刑という合法的で制度化された殺人を受け入れるということは、矛盾していると思えるからだ。命を与え、育てていくことが、もっぱら神に属することだと信じるのならば、政府や法律制度を通じて人間が人間に死刑を宣告し、執行することはその神性に挑戦するようなものではないのか。それにも関わらず福音派は“教化”よりも“応報”を強調し、血の代価には血で報いる死刑制度を擁護してきた。
韓国のプロテスタント内部でも、自由主義と福音主義の間で死刑制度に対する意見が二分しがちだ。死刑制度だけでなく南北問題、国家保安法などに対しても両者は見解が異なる。キリスト教徒である次期大統領も、選挙期間中は犯罪予防のために死刑制度はやむを得ず必要だという見解を明らかにした。そのため、次期大統領が17代国会で係留中の“死刑制度廃止のための特別法”に対して、これからどのような態度をとるのか注目される。
よく知られているように、この10年間で死刑が一度も執行されなかった韓国は、昨年12月30日にアムネスティにより実質的な死刑廃止国に分類されることになった。すでに15代国会から発議されていたこの法案は、現在175人の議員が署名・同意した状態だ。法律的にも死刑廃止国にならなければならないという世論の変化は、一朝一夕になされたものではなく、分断と独裁という歴史的経験を通じて手に入れた成熟した人権意識が基盤となっている。
人民革命党事件で無念の死を遂げた8人の死刑囚をはじめ、様々な事例によって我々は死刑制度が政治的に悪用される危険性を充分に経験した。そして乱用する意図がなかったとしても、判決の誤謬可能性は依然として残っており、誤った判決をやり直すことができないという点も死刑制度が抱える問題点の一つだ。ある法律学者は韓国の犯罪捜査が陳述に重きを置く傾向にあり、捜査に関する業務条件が劣悪であるため、その誤謬の可能性が相当に高いと診断した。犯罪を予防するための強度が高い装置として死刑制度を存置すると言っても、犯罪率が実際に減っているかは疑問だ。このような点から、死刑制度は効用性よりも危険性がより大きな制度だと言えるだろう。
李明博(イ・ミョンバク)次期大統領は様々な場で愛の倫理に基づき、和合の精神を活かしていくと約束した。それを実践するための最初のステップが死刑制度廃止にあると私は思う。そして彼の当選に多大な貢献をしたキリスト教が世の中に伝えなければならない“福音”とは、あらゆる生命は尊く、教化と救済の可能性を与えられた存在であるということだと信じている。韓国の福音派がアメリカの福音派の抱える覇権意識を踏襲せず、開かれた宗教として進んでいくためにも死刑制度に関する真摯な論議が必要だ。イエスが死刑制度に賛成したと思うかという質問に「イエス様は賢明であり、我々のように選挙に出るなんて愚かなことはなさらなかった」と答えたハッカビーのように言い逃れてはならない。
ナ・ヒドク/詩人・朝鮮大学文芸創作学科教授
* 参照
アメリカの民主主義は後退、韓国は発展、そして日本は・・・?遠くない国の遠くない過去の話韓国の死刑制度はどうなっているんだろう?
1997年12月30日に金泳三(キム・ヨンサム)政権が、翌年2月の任期切れを目前にして駆け込むようなかたちで23人の死刑囚に対して死刑を執行してから、もうすぐ10年が経ちます。
その後、政権に就いた金大中・盧武鉉政権は、死刑の執行こそはしていないものの、立法化には至っていません。就任当初からレームダック状態と揶揄されてきた盧武鉉大統領ですが、来年の2月には任期切れとなってしまいます。それまでに立法化の道筋をつけておくことは・・・ほぼ無理でしょう・・・。
次期大統領として有力視されているイ・ミョンバク前ソウル市長(ってか、他に有力候補がいない現実(泣)・・・)は、政治的立場は金大中・盧武鉉さんとは異なる人物のようですが、死刑制度に対するスタンスはどうなんでしょうか。まぁ、そのへんはまた追々、観察していこうと思います。
10月10日のハンギョレに韓国の死刑制度に関する社説が載っていましたので、訳してみました。それではどうぞ。
死刑廃止、次の国会へまた引き延ばすのか
「今日も生き延びた。明日も生きたい」1997年12月30日に死刑になったカン・スンチョル氏が死刑執行の数日前に日記に書いた文章には、生きようとする切実な欲求が込められている。彼は泥酔状態で友人とある縫製工場に入り、女性職員を殴打したうえに火をつけて職員一人を殺した容疑で逮捕された。彼は家でのんびりと寝ているところを逮捕されたのだが、前日夜の事件は覚えておらず、一貫して無罪を主張した。しかし、裁判所はカン氏の有罪を認め、死刑を確定した。彼が火をつけたと証言した友人は、無期懲役刑に減刑された。カン氏が犯人ではない可能性もあると考えた人々が助命のために奔走したが、徒労に終わった。
カン氏を含む23人の死刑囚に死刑が執行されてから、今年の末でちょうど10年になる。法によって死刑宣告を受けた者は、彼の後にも続いている。現在、64人の死刑囚が服役中だ。しかし1998年以降、韓国政府は死刑を執行していない。当然のことだ。かつて法廷で死刑宣告を受けた人物が、大統領になるまでになったのだ。死刑制度が抱えている問題点を、これほど克明に示している例があるだろうか?裁判所の判断も人間のすることだ。人間の判断は決して完全ではない。有罪を認めて死刑を執行してしまえば、有罪判断が誤っていたと確認されたとしても、取り返しのつかないことになってしまう。凶悪犯に対しては、死刑という刑罰がなければならないとする人たちもいる。しかし、死刑廃止国の研究結果を見れば、死刑制度が明らかに凶悪犯罪の予防効果をもたらしているわけではない。罪人とはいえ、人が他人の命を奪うことが正当化できるのかも疑問だ。このような理由で、世界の90の国がすでに死刑を廃止している。実質的な死刑廃止国を含めれば、130以上の国で死刑がなくなっている。
これから100日間、死刑を執行しなければ、韓国も「実質的な死刑廃止国」になる。歴代政府が死刑廃止のために、それなりの努力をしてきたからだ。現政府が今さら死刑を執行することはないだろう。今こそ国会が立法府として仕上げをすべき時期だ。16代国会でも、過半数の国会議員が署名した死刑制度廃止法案が国会に提出された。今回の国会でも175人の国会議員が署名し、法案が出された。しかし、一昨年、公聴会が一度開かれただけで、今まで審議が延び延びになっている。次の国会にまた引き伸ばすようなことは、あってはならない。
死刑廃止法案が国会に何度も上程されながらも、国内外のゴタゴタ(特にここんとこ与党ウリ党が分裂したりとノムさん大変)成立のめどがまったく立たない韓国ですが、それでも死刑は98年以降、執行されていません。
フランスではとっくの昔に死刑を廃止し、最近になって憲法にも死刑廃止を盛り込んだとか(詳しくは村野瀬玲奈さんの
“2007年フランス、「改憲」の瞬間 (死刑廃止)”をご参照ください)。
う~ん。前にもどっかに書いたような気がしますが、韓国の人たちって、“先進国コンプレックス”がものすごく強いように感じるので、「死刑なんて野蛮な制度が残っている国は先進国とは言えないざますよ~」とアピールすれば案外すんなり通るような・・・。甘いか。
ま、日本はそんな韓国のいい反面教師になるかもしれませんね。2月21日のハンギョレ新聞の記事です。どうぞ。
日本、死刑廃止の流れに“逆流”
死刑囚60年ぶりに100人
凶悪犯罪に対する厳罰急増のため
日本が国際的な死刑廃止や減少の流れに逆流している。
日本の最高裁判所は20日、女性6人を放火殺害し、強盗を繰り返した55歳の男の死刑を確定した。この日の判決で日本の死刑囚は3桁の100人になった。日本で死刑囚が3桁になったのは1946年以来初めてだ。
死刑囚が急増したのは、凶悪犯罪を厳しく罰することを求める世論が強まったことと関連している。3年前のある世論調査では、凶悪犯罪に対して死刑を支持するという回答が81%にものぼった。
2004年の国会で犯罪被害者の権利を保護するための基本法、凶悪犯罪厳罰化などを含む改正刑法が通過し、死刑判決が大幅に増加した。日本の法務省の資料によると、1999年から2003年までの死刑判決は毎年2~7人だったが、2004年は2桁の14人に増加した。2005年は11人、2006年は21人と着実に増加する勢いを見せている。昨年末現在で収監中の死刑囚は94人に増え、2ヵ月後に3桁を突破することになった。死刑執行は1993年から昨年まで毎年1~7人に達している。
あるベテラン裁判官は「死刑と無期懲役のボーダーライン上にある事件で、死刑が増えている」「最近の被害者感情の高まりから、(裁判官が)死刑判決を選択しないことについて、以前より重い決断が必要になった」と分析したと『東京新聞』が21日に報道した。凶悪犯罪に死刑ではない無期懲役を下すことが、以前よりも難しくなったということだ。
これに反して日本国内の死刑廃止運動は遅々として進んでいない。以前は法廷で死刑判決が下されれば、傍聴席から「人殺し!」と死刑廃止運動家たちが叫んだりもしたが、そのような状況はなくなったと『朝日新聞』が伝えた。30年前から法廷でその言葉を叫んできたある女性は「死刑判決が月に何度も入るようになり、法廷は機械的に判決を出す場になった」「訴えれば通じるかもしれないという裁判官がいなくなった」と話した。
このような日本とは異なり、世界的には死刑判決や執行による凶悪犯罪の予防効果が疑問視されるようになり、死刑が徐々に減少している。アムネスティ・インターナショナルの資料によると、EUなど88カ国が死刑を廃止し、38の州に死刑制度があるアメリカでも昨年の死刑判決が30年ぶりの最低水準(114件)を記録した。
アムネスティ・インターナショナル日本支部は20日、声明を通じて「国家の制度によって、人の生命を奪うことは許されない」と訴えた。
東京/キム・ドヒョン特派員
コメント欄で「日本を批判してばかりで、韓国を持ち上げるなんて、
キイキイ」という匿名さんからのご指摘があったからというわけではありませんが、韓国の独裁政権時代の反省を促すハンギョレ新聞(1月31日)の社説を翻訳してみました。
以前の
死刑廃止リレーエントリーでも少し触れましたが、朴正煕の独裁政権時代は一般犯罪者のみならず、政治犯もがんがん死刑にしていました。そしてその政治犯として死刑が執行された人(まだごく一部)に対して、
再審裁判で無罪判決が言い渡されました。
まだまだ過去の負の遺産を数多く抱えている韓国社会ですが、清算のための努力は続けているようです。
裁判所が率先すべき
朴正煕政権時代に緊急措置を根拠にした裁判所の判決を分析し、昨日、真実和解委員会が報告書を出した。不当な公権力を行使したことによって生じた人権侵害事件を明らかにし、再びこのようなことが起こらないようにしようという努力の現われだ。裁判官の名前を明らかにすることをめぐって激しい論争が行われたが、公開するのは当然のことである。裁判官は一人一人がすべて国家機関なのだ。判決文に出ていた名前をすべて除いたのであれば、それがまた卑怯ということになっただろう。当時の行動が公正だと主張していながら、名前は明らかにするなというのは辻褄が合わない話だ。
今回の件をめぐって激しい論争があったのは、まだ韓国社会の公職倫理が確固としていないことの傍証だとも言える。「緊急措置は維新憲法を基にした実定法の地位を持っていたため、法官がそれに従って判決を下したことを問題視してはならない」という主張は、国民が法官に求めている倫理意識とは大きな隔たりがある。人権の最後の砦でなければならない法官が無辜の人々に苦痛を与える判決を下したことは、どのような論理をもってしても正当化することはできない。そのようなことが再びあってはならないが、万が一そのような状況に再び置かれれば法官たちはどのような行動をとらなければならないのか、確固とした規範を打ち立てる契機としなければならない。政治権力から司法部の独立を守るためにも必要なことだ。
判決に参与したからといって、すべての法官に同じ道徳的責任を問うことは難しい。同席しただけの場合もあるだろうし、無理な適用を避けようと密かに努力した場合もあるだろう。このような事情は十分に酌量しなければならない。本当の和解に至れば、該当する法官たちがまず先頭に立って被害者たちに心から謝罪をし、許しを請うべきだ。無理な論理で正当化しようとすれば、むしろより大きな反発を招くだろう。
裁判所がすべきことも多い。今現在の裁判所に対する国民の不信感は、大革新が必要なほどに大きい。最初のボタンのかけ間違いは過去の過ちを正すことからやり直さなければならない。今回の調査結果について最高裁判所が「司法部の過去を反芻する契機にする」と明らかにしたのは最初の一歩を踏み出したことになる。しかし他の部門における現代史の整理と比べれば、裁判所の速度はあまりに遅い。今回の報告書発行も事実、裁判所がしなければならないことを真実和解委員会が代わりにしたという指摘を肝に銘じなければならない。現代史の整理やこれに必要な後続の措置を急ぎ、法官の疎明意識や倫理意識を高めることを裁判所が率先すべきだ。
*資料
韓国の死刑制度はどうなっているんだろう?
韓国が朴正煕大統領の軍事独裁政権下にあった1970年代当時に起こった人民革命党再建委員会事件。この事件により23人が逮捕され、「人革党再建委員会を設立して人民党を再建し、民青学連の国家転覆活動を指揮した」として起訴されました。そして1975年4月9日、最高裁判所は7人の被告人に死刑判決を宣告し、他の被告人には禁錮15年の有罪判決を下しました。死刑囚の死刑執行は、判決からわずか18時間後に執行されるというスピード執行でした。
そのような韓国現代史の汚点に対する再審裁判が行われ、今月22日に無罪判決が言い渡されました。もちろん死刑が執行された被害者はもどっては来ませんが・・・。以下は1月23日のハンギョレ新聞の社説です。どうぞ。
“人民革命党無罪”判決、道はまだ遠い
“人民革命党再建委員会”(人革党再建委)事件の関係者8人に対して無罪が言い渡された。維新独裁に抗い、刑場の露と消えた犠牲者が32年ぶりに司法的真実を取り戻したのだ。再審裁判部が無罪を言い渡した瞬間、法廷は歓呼と涙に包まれた。遺族や関係者の数十年にわたる苦痛や悔恨はどれほどのものだろうか。司法的な名誉回復に続いて国家レベルの謝罪と、それ相当の賠償がなければならないだろう。
再審裁判部は被告人たちの内乱予備・共謀、反国家団体の構成、全国民主青年学生連盟(民青学連)の背後操作など、核心的な嫌疑をすべて認定しなかった。捜査機関の審問調書はもちろん公判調書の証拠力や任意性もないと判断した。暴圧政治の道具に転落した国家機関の不法な拷問・操作行為ばかりでなく、当時の軍事法廷の誤りを総括的に認めたのだ。裁判部は維新憲法や緊急措置の合法性は「審査権限のみ」であり、判断は留保した。しかし民青学連の維新反対運動が政府を転覆させたり国憲を乱したりする行為とは言えないとした。当時、維新体制に反対するあらゆる行為を不法とした緊急措置と、これを裏付ける維新憲法の正当性を事実上否認したという点では意味がある。
人革党事件における加害責任の半分は司法部にある。最高裁判所は軍事法廷の死刑宣告をそのまま確定し、このため“司法殺人”という払拭しがたい汚名をかぶった。しかし再審判決文のどこにもそのような間違った過去を反省する文章を見つけることはできなかった。当時の軍事法廷の誤りは認定しながらも、これを追認した裁判所の誤りを告白しなかったのだ。もちろん裁判部が異例的に公判調書の証拠力を否認し、無罪を宣告したこと自体が、過去を清算する前向きな意志の表れだとも言える。しかしイ・ヨンフン最高裁裁判長は、再審判決文に裁判所の過去の過ちを明示すると公言したことがあった。今回の判決を、司法部が権力に隷属した汚辱の歴史を見直すきっかけにするためにも、さらに積極的な省察と告白を期待する。
軍事独裁政権時代に行われた数多くの人権蹂躙や拷問・操作事件の真実を究明する歩みは依然として遅く、困難だ。再審によって名誉回復に至ったのは人革党事件が2件目である。今でも100件を超える事件が再審を待っている。再審要件の緩和、国家犯罪の時効排除、再審特別裁判部の設置など、さらに多くの踏み石が必要な理由だ。
*参照
アメリカの民主主義は後退、韓国は発展、そして日本は・・・?
国連事務総長に就任した潘基文氏が、昨年末にあわただしく執行されたイラクのフセイン元大統領の死刑に対して「各国が決めることだ」などと死刑を擁護するともとられかねない発言をしたことが、韓国内でも反発を招いています。
潘基文事務総長はその後、
軌道修正を図っているようですが、今日のハンギョレ新聞にはこんな
一コマ漫画や、こんな社説が掲載されてしまいました。

死刑制度反対 -国連-
潘基文国連事務総長
フセイン処刑擁護発言
(ブッシュ)ナイス!
死刑存置国出身の国連事務総長の限界
潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が就任直後から大きな論争を引き起こした。サダム・フセイン元イラク大統領の死刑執行に対する質問に、「フセインはイラクの人たちに対する凶悪な犯罪の責任があり、われわれはこのような犯罪の犠牲者たちを忘れてはならない」「死刑は各国が法に従って定める問題」だと答え、死刑制度を擁護する意味の発言をしたからだ。
世界の主要メディアや人権団体は、潘総長の発言が人権に基づいて死刑に反対してきた国連の基本方針に反するものであり、手続き上の欠陥も多いと批判されたフセイン処刑の正当性を裏付けるものであると認識されかねないと憂慮した。初の韓国出身の国連事務総長に大きな期待をかけるわれわれとしては、彼が就任早々から論争に巻き込まれた点は遺憾に思わざるをえない。しかし、多くの難題を抱えた世界に向かって発言しなければならない国連事務総長は、“火の洗礼”を通過するしかない。そのような点で潘総長が今回の論争から教訓を得て、これからは自らの職責をちゃんと果たしていくことを期待する。
潘総長発言の問題点はいくつか指摘することができる。まず中立的見地から平和を増進させる職責にある国連事務総長として、フセインの死刑執行以降、宗派間の葛藤の高まりにより内戦状態に向かっているイラクの現実を十分に考慮しなかったという点だ。一部ではアメリカさえフセインの死刑と距離を置こうとしている状況での彼の発言は、かねてから懸念されてきた彼の親米的な性向に対する憂慮を呼び起こしたという指摘もある。さらに重要な点は、国連が人権の最後の砦であるということを、彼がまともに認識できなかったように見えるということだ。国連は反人道的犯罪者・虐殺者・戦犯も死刑にしてはならないというのが公式な見解だ。また、192の国連加盟国のうち、死刑制度を存置している国は韓国、アメリカなど70カ国に過ぎない。
これに関連して潘総長の発言は、死刑制度を存置している韓国の外交責任者だったせいではないかという指摘を受けることになるだろう。韓国も9年間死刑を執行せず、死刑廃止国の目前にいるが、政府は廃止の決断を下せずにいる。しかし人道的側面から見れば死刑制度と犯罪率の相関関係を立証することはできず、死刑を維持しなければならない理由はない。死刑反対を公式な方針としている国連の長を輩出した国らしく、韓国も死刑制度廃止を積極的に推進しなければならない時だ。
2006年12月31日の毎日新聞によると、「国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは(1)公正さと中立性の欠如(2)イラク政府の干渉(3)関係者の安全確保の不十分さ(4)被告、弁護団の権利侵害--などを指摘し、「裁判には深刻な欠陥がある」と批判。国連人権高等弁務官も「公正さを懸念する」との理由からイラク当局に慎重な対応を求めていた。」とのことです。
フセイン元大統領の死刑執行と自国の死刑制度廃止とを関連づけるのはハンギョレ新聞の力技だと思いますが、この文章の端々には未だに死刑存置国であることの敗北感や劣等感がにじみ出ていますね。これを機会に韓国はまた死刑廃止に一歩近づくかもしれません。
死刑執行:4人に 安倍政権で初 1年3カ月ぶり◇死刑制度の維持したい法務省の強い意思
9月末に就任してからまだ日の浅い長勢甚遠法相が25日、一度に4人もの死刑執行を命じたことは、毎年執行の実績を積み重ねることで、死刑制度の維持を確かなものにしたい法務省の強い意向を反映している。杉浦正健前法相が死刑執行命令書への署名を拒否したまま退任したことから、同省としては今月の執行を逃せば14年ぶりに「死刑執行なし」になるという事情があった。
(毎日新聞 2006年12月25日)
今日、12月25日、クリスマスの日に、日本で、4人の死刑囚に対して、死刑が執行されました。上の記事にもある通り、死刑の執行は「死刑制度の維持」を目的としたものと言えるでしょう。
しかし、よりにもよってクリスマスに執行するとは、なんのための「見せしめ」なんでしょうか。これは安倍内閣の残忍性をよく表した事例だと思います。

ところでコチラ(←)は、韓国でベストセラーになった小説、『私たちの幸せな時間』が原作の映画です。今年の秋に韓国で公開されました。
自殺未遂を繰り返す女が、カトリックのシスターをしている叔母に連れられて刑務所で死刑囚の男と週に1回会うようになり、お互いが「生きている喜び」を知るようになるというストーリーです。しかし、最後には残酷な死刑が執行されてしまいます。
この映画では、死刑が執行される過程や、死刑を執行する拘置所職員の苦悩なども描かれています。実際には韓国では98年の金大中政権発足以来、死刑は執行されていないので、映画のようなことはないハズですが、死刑という制度は未だに残っています。政権が変われば再び執行されるようになるかもしれません。現在、与党議員が中心となり、死刑廃止の法制化に向けて努力しています。
これに対し、日本では聖なるクリスマスの日に死刑が執行されました。
「美しい国、ニッポン」、メリークリスマス・・・。
*日本弁護士連合会が今日の死刑執行に対する声明を出しています。
死刑執行に関する会長声明
さて、
韓国の死刑制度はどうなっているんだろう?シリーズの最終回です。って、実はこのシリーズ、下記の通り他のブログからのリレーなんですけれどもね。
第1回「
とりあえず」
第2回「
お玉おばさんでもわかる政治のお話」
第3回「
とむ丸の夢」
第4回「
華氏451度」
第5回「
doll and peace」
第6回「
薫のハムニダ日記」
第7回「
とりあえず」(村野瀬玲奈)――リレーエントリのまとめ
第8回「
喜八ログ」――バダンテールの演説について
こっちに話題を振られたときは正直、アセりましたね。私はたまたま韓国に住んでいるわけですが、振ってきた方は明らかに韓国の死刑制度に関する話題を期待している。「韓国についてあれこれ知っているわけでもないのに、私が韓国の死刑制度について語らなければならんのかー!?」と。
あわててアレコレ調べてみましたが、身の丈以上のことはできませんでした。はい。他の方々は早々にまとめをされていますが、私なんか今日まで引きずってしまいましたし。でもこのテーマはたいへん勉強になりました。今は北朝鮮情勢などで死刑制度の議論などふっとんでしまいましたが、今後もこのテーマに注目していきたいと思います。
さて、大変遅くなってしまいましたが、こちらは2004年12月にユ・インテ議員を中心とした175人の国会議員が提出した「死刑廃止に関する特別法案」です。国民世論に受け入れられやすいように暫定的に終身刑の導入がはかられていますが、この法案に続いて2005年2月に提出された「検討報告書」によると、将来的に相対的終身刑へ変更することに含みを持たせています。
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死刑廃止に関する特別法案(ユ・インテ議員代表発議)
発議年月日: 2004. 12. 9.
発議者: ユ・インテ議員(以下略/計175人)
提案理由 わが国の憲法第10条は「人間としての尊厳と価値」を明らかに宣言しており、このような人間としての尊厳と価値は生命権を前提としている。また、人間の生命は人間実存の根拠であるため、絶対的な価値を持っており、したがって他の目的のための手段になってもならず、他の価値との比較対象になってもならない。
それにもかかわらず国家が犯罪予防と鎮圧の手段として死刑制度を維持することは、国家社会の構成員である人間としての尊厳と価値を毀損するだけでなく、人間の存在自体を根本的に否定する結果になる。また、国家が生命の絶対的価値を前提として殺人行為を犯罪としていながら、一方では犯人の生命を剥奪することは、それ自体が矛盾である。
今日、刑罰の目的が犯罪人の改善と更正によって社会復帰を図ることだとすれば、死刑はこのような目的にまったく符合しない刑罰であるばかりでなく、たとえ刑罰の目的が応報と犯罪の予防だとしても生命を剥奪する刑罰である死刑はこのような目的達成に必要な程度を超えたものであり、目的の正当性、その手段としての適正性、被害の最少性、法益の均衡性などの諸原則に反する「残酷で非人道的な刑罰」だとの非難を免れることはできない。
また、死刑が犯罪者に対する一般予防的効果もないということは、今までの行刑経験や今日の犯罪的状況が鮮明にしており、世界的な趨勢も死刑制度自体を廃止する傾向にある。
従って、このような反人権的で非人道的な刑罰だといえる死刑を廃止することで国民の人権を保護・尊重する刑罰体系を樹立し、人権伸張国家として生まれ変わろうとしているのだ。
主要内容 イ. 刑法およびそれ以外の法律で規定されている刑罰のうち、死刑を廃止してこれを終身刑に代替する(案第2条)。
ロ. この法における“終身刑”とは、死亡まで刑務所内に拘置し、仮釈放できない終身懲役と終身禁固をいう(案第3条)。
死刑廃止に関する特別法案第1条(目的)この法律は国家刑罰から死刑を廃止することで人間としての尊厳と価値を尊重し、犯罪者の人権保護および更生を志向する国家刑罰体系を樹立することを目的とする。
第2条(死刑の終身刑代替)刑法およびその他の法律で規定している刑罰のうち死刑を廃止し、これを終身刑に代替する。
第3条(終身刑の定義と種類)①終身刑とは死亡時まで刑務所内に拘置し、刑法による仮釈放はできない刑を言う。
②終身刑は終身懲役と終身禁固に分類する。
付則第1条(施行日)この法律は公布した日から施行する。
第2条(経過措置)この法律の施行前に死刑の確定判決を受け、その執行がなされていない者は終身刑の確定判決を受けたものと見なす。
第3条(他の法律の改正)①行刑法を次のように改正する。
第13章の題目「死刑の執行および死亡」を「死亡」とし、第13条および第57条をそれぞれ削除する。第63条の「未決収容者と死刑が確定した者が」を「未決収容者が」とする。
②軍事法院法を次のように改正する。
第506条から第512条をそれぞれ削除する。
③刑法を次のように改正する。
第66条を削除する。
④刑事訴訟法を次のように改正する。
第463条から第469条をそれぞれ削除する。
⑤軍行刑法を次のように改正する。
第3条、第11条および第54条をそれぞれ削除し、第13章の題目「死刑執行と死体処理」を「死体処理」とする。
先日の
韓国の死刑制度に関するエントリーで朴正煕(パク・チョンヒ)政権下の政治活動の弾圧について少し触れました。
下にあるのは当時の韓国に在住していたアメリカ人神父が、その時代の韓国の様子をインタビューで語ったものです。死刑制度と民主主義が両立し得ないことを訴えると同時に、まるで共謀罪が成立した後の日本社会を予見するかのような内容になっています。
この神父が語っている「食べていくことだけを考えていれば、同じことが再び起きかねない」という警鐘は、日本にいる人々にも当てはまることではないでしょうか。
2006年 4月 20日 ノーカット・ニュース
「朴正煕はヒトラーのように胃袋のみを満たしてあらゆる自由を奪った」
今月24日、人民革命党事件の再審2次公判を目前にした1975年当時、この事件の真相を国内外に伝えたジェームス・シノット神父(78)がCBS TV「チョン・ボムグの時事トーク、誰かが!?」に出演し、人民革命党事件の真実と31年間の所感を明らかにした。
朴正煕時代が懐かしいだって?
「そんな言葉を聞くと腹が立つ。朴正煕時代にもそんな人たちがいた。黙っていろと。朴正煕のおかげで暮らしがよくなったと。しかしそれは人間の暮らしではなく、動物の暮らしだ。ヒトラーと同じことをしたんだ。人々に金を与えて道路を整備し、腹を満たしてやった。しかしあらゆる自由を奪った。それがナチス・ドイツだ」と話した。
彼は「まったく同じことが(当時の)韓国でも起こった」、「食べていくことだけを考えていれば、同じことが再び起きかねない」と強調した。
1973年に反維新*体制運動が全国的に拡散すると、朴正煕大統領は翌年“緊急処置4号”を発動し、国家転覆と共産政権樹立を試みた疑いで“民青学連**”を捜査し、その背後勢力として“人民革命党再建委員会”に注目した。関連者23人が拘束され、8人が死刑判決を受けた。そして18時間後に電撃的に死刑が執行された。
アメリカの民主主義は後退し、韓国は発展した
当時、シノット神父は人民革命党事件に抗議したことから韓国から追放されたが、2002年に民主化運動記念事業会議の招請で韓国にもどり、永住することとなった。人民革命党事件での拷問の事実が国家機関により公式に認められ、再審公判が進められている現在、彼はどのような心情なのか。
「まるで別の国のようだ。安心して暮らすことができる。当時は言いたいことも言えず、とてもつらかった」と話した。彼は続いて「特にアメリカと比べれば(韓国の民主主義は)大きく発展した。アメリカはブッシュ政権が拷問も行い、嘘がはびこり、民主主義が大きく後退した。しかし、その間に韓国はかなり成長した。だから私はアメリカよりも韓国で暮らすことを選んだ」と明らかにした。
そして彼は「これまで韓国は民主主義のために多くの苦難を味わった。若い人々は注意し続けなければアメリカのように民主主義を失うかもしれないという事実を知るべきだ」と忠告した。
ブッシュ兄弟、非人間的・非民主的な死刑制度を執行
シノット神父は死刑制度の例を出してアメリカ政府の非民主性を指摘し続けた。「私が住んでいたテキサス州では毎週、死刑が執行されている。テキサス、フロリダ州は死刑執行がもっとも多いが、奇しくもこの二つの州はブッシュ兄弟が州知事を務めたところだ。韓国にも死刑制度はあるが、実際には執行されていない。貧しい人々や黒人、精神異常者のような社会的弱者層が多く死刑になっている。社会の安全にも実効性がない。死刑は間違っている」と主張した。
当初、5.16クーデターはよくやったと思った
シノット神父は1960年に韓国に司祭として入国し、仁川永宗島などで10年以上過ごしたころ人民革命党事件と関わることとなった。彼は「当初、5.16クーデター***が起こったときはよくやったと思った。戦わずして国が安定するように軍人がちゃんとしてくれるだろうと思った」とこぼした。彼は「緊急措置が始まり、プロテスタントの若い牧師が監獄に入れられたときも、私は外国人であるために話もせずに黙っていなければならないと思った。しかし74年4月、緊急処置4号を聞いて驚いた。学生を死刑にするなんて。そのときこそ真実を知った」と話した。
ネズミ捕りのポスターに首相の顔を描いた
シノット神父はそのとき本格的な朴正煕反対闘争に立ち上がった。それに関する逸話も紹介された。彼は「真夜中に仲間の神父とこっそりネズミ捕りのポスターに、当時の首相だった金鍾泌(キム・ジョンピル)と申稙秀(シン・ジクス)中央情報部長の顔を描いたりもした」と回想した。その日は彼の生涯最悪の日、1975年4月8日だった。人民革命党事件の最高裁判決を見守っていたシノット神父は「老いぼれた13人の最高裁判事が座っていた。うつむいたまま、まったく表情も感情も表さずに10分で裁判を終えた。私は宣告内容を聞き取ることはできなかったが、夫人たちが立ち上がって『やめてください。私たちの話を聞いてください。お願いです。待ってください』と叫んでいた。彼らはそれに目もくれず、出て行ってしまった」と当時の光景を鮮明に覚えていた。
翌朝、シノット神父は彼らの死刑執行の知らせを聞いた。彼は「アメリカ大使館に行く途中、タクシーの中で『人民革命党・・・』という単語をチラっと聞いた。不吉な予感を抱きながら家に帰ると『夫人たちが西大門刑務所で待っている』という電話の知らせを聞いた。
友人から、彼らがすでに死刑になったという話を聞いた。イエス・キリストが亡くなったときのような最悪の出来事だった。なぜなら、われわれは人民革命党事件がすべて嘘の証拠で固められていたことを知っていたからだ。その日は私の生涯最悪の日だった」と目頭を濡らした。
チリに比べれば韓国の国家暴力は幼稚園のレベルだった
シノット神父は韓国から追放された後もアメリカで平和運動に積極的に参加し、チリなどの南米各国でも反独裁闘争に参与した。彼は「チリのピノチェト政権は韓国よりもひどかった。(国家)暴力の面でこの二つの国を比較すれば韓国は幼稚園のレベルにすぎない。韓国ではアメリカの神父としてある程度は話すことができたが、チリは話すことすら危険なことだった」と恐ろしい過去について言及した。
われわれが歴史において勝利した
平凡だった一人の神父の人生をことごとく変えてしまった人民革命党事件。シノット神父は「それでも私は幸せだ。彼らが死刑になったとき、強い挫折感を味わったが、彼らのために必死になって活動し、彼らの夫人とは盟友となった。そして30年が過ぎた現在、われわれが歴史において勝利した」と感慨深く話した。
CBS TV本部/チェ・ヨンジュンPD
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十月維新:1972年10月17日、朴正煕大統領が長期政権維持を目的として断行した超憲法的非常措置。この措置により維新体制が成立し、1979年19月26日に朴正煕が殺害されるまでの7年間続いた。1961年の5.16軍事政変で政権をつかんだ朴正煕は軍部内の反対勢力を排除するだけでなく、ナンパー2だった金鍾泌を無力化することで長期独裁政権の足場を築いた。しかし、権力集中に対する野党や国民の批判が強くなり、1970年11月に全泰壹(チョン・テイル)焼身自殺事件など社会経済的危機が表出した。
一方、国際情勢は東西平和共存(デタント)時代に入り、1969年にはアメリカのアジアからの後退を暗示するニクソン・ドクトリンが発表され、アメリカと中国の和解が達成されるなど変化をもたらした。このような情勢変化は朴正煕の政権維持への脅威要因として作用した。さらに1971年の大統領選挙で新民党の金大中候補に僅差で迫られると、朴正煕は反対勢力を除去し、独裁体制を樹立するために非常措置を発表した。
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民青学連事件:1974年4月、全国民主青年学生総連盟を中心に180人が拘束・起訴された事件。1973年8月、金大中拉致事件に国内外の世論が強く刺激され、反維新体制運動が起こった。9月の開校と共に大学生のデモは徐々に反独裁・反体制の動きに性格を変えていき、全国の高校にまで波及・拡大した。一部の野党議員・知識人や宗教関係者は民主憲政の回復および共和党政府の人権弾圧を糾弾し、本格的な改憲署名運動を展開した。
事態に対処するために当時の大統領、朴正煕は1974年1月8日、緊急措置1、2号を公布し、あらゆる改憲論議を禁止して違反者を審判する非常軍法会議を設置した。これにより、学生たちの運動は校内での地下新聞発行や同盟休学などの方法で続き、宗教界のでは一部の知識人と共に教会で時局宣言文を採択するなど、秘密改憲署名運動を推進した。
4月3日、朴正煕は「反体制運動を調査した結果、全国民主青年学生総連盟という不法団体が不純勢力に操られていたという確証をつかんだ」と発表し、緊急措置第4号を発動、学生たちの授業拒否と集団行動を一切禁止した。
中央情報部は緊急措置第4号が宣布された後、1024人の違反者を調査し、非常軍法会議検察部は180人を拘束・起訴した。起訴状によると、これらは1973年12月から暴力で政府を転覆するための全国的な民衆蜂起を画策し、その過程で人民革命党系の地下共産勢力、在日朝鮮総連系列、不純学生運動で処罰された容共勢力、国内の反政府主義者およびキリスト教徒の一部反政府勢力と結託、4月3日を期して政府を転覆し、4段階革命によって労働者と農民による共産政権樹立を試みたという嫌疑だった。
拘束された180人は非常軍法会議で人民革命党系23人のうち8人が死刑を、民青学連首謀者級は無期懲役を、そして残りの被告人は最高で懲役20年から執行猶予までそれぞれ宣告された。しかし、1975年2月15日、大統領特別措置により、多くが刑執行停止で釈放された。
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5.16軍事政変:1961年5月16日、少将朴正煕の主導により陸軍士官学校8期生出身の軍人が第2共和国を暴力的に崩壊させ、政権を掌握した軍事政変。5.16軍事政変は当時の政治・社会的問題と軍内部の問題という二つの背景を持っている。 政界は与党である民主党が新・旧派間の葛藤で分裂し、多様な社会勢力はそれぞれの政治的欲求を主張して政局は不安定な状態にあった。 特に革新系政治勢力の浮上と学生勢力の進出は、民族自主化運動、統一促進運動へ展開され、反共分断国家の根本を脅かすに至った。
一方、朝鮮戦争以降、韓国社会における地位向上と共に権力に対する欲求が充満していた軍部内では、陸士8期生を中心に高級将校の不正腐敗と昇進の滞積現象を攻撃する“下克上事件”が起きた。 これを契機に朴正煕少将と金鍾泌中佐を中心にした8期生は1960年9月、クーデターを謀議した。
1961年5月16日早朝、第2軍副司令官である朴正煕少将と8期生の主導勢力は、将校250余人および士官3500余人と共に漢江を渡り、ソウルの主要機関を占領した。 軍事革命委員会を組織して政権を掌握し、軍事革命の成功と6カ条の“革命公約”を発表した。
その6カ条とは、①反共を第一の国是とし、反共体制を再整備・強化する、②アメリカをはじめとした自由友邦との紐帯を強固にする、③あらゆる腐敗と旧悪を一掃し、清廉な気風を振作させる、④国民の生活苦を早急に解決し、国家自主経済の再建に総力を傾ける、⑤国土統一のために共産主義と対決できる実力を培う、⑥良心的な政治家に政権を移譲し、軍は本来の任務に復帰する、というものだった。
軍事政変は初期に米8軍司令官C.B.マグルーダー、野戦軍司令官イ・ハンリムなどの反対により一時期難関に直面したが、アメリカ政府の迅速な支持表明、 張勉内閣の総辞職、尹潽善(ユン・ボソン)大統領の黙認などにより成功した。 軍事革命委員会は“国家再建最高会議”で再編され、3年間の軍政統治に着手した。
軍政期間中、軍事革命勢力は“特殊犯罪(反革命、反国家行為)処罰法”、“政治活動浄化法”など法的措置によって政治的反対勢力と軍部内の反対派まで排除した。 また、核心権力機構として“中央情報部”を設置し、“民主共和党”を組織した後、大統領制復帰と基本権の制限、国会に対する牽制を骨子とする憲法改定を施行した。 1963年末に大統領選挙、国会議員選挙を勝利に導き、第3共和国は正式に発足した。
反共分断国家の危機状況から権力を志向した軍部勢力が不法な手段で合法な政府を征服し、権力を掌握した事件である。 これ以降の国家主導の急速な経済発展により、肯定的な評価を受けてはいるが、軍事文化の社会拡散、軍の脱法的な政治介入の前例をつくり、民主的政権交代の遅延、産業化の地域・階層間の不均衡などの否定的結果を残した。
(NAVER百科事典より)