一連のロウソク文化祭に対する弾圧に関して、この度、晴れて(?)
国際アムネスティから「人権侵害」認定された韓国の警察・司法組織(もちろんその大元締めは李明博政府ね)です。これに関連する記事を読めば読むほど、背筋が寒くなってしまいますね。
いや~、恐ろしい国に住んでしまったもんだ。私が韓国に来たのは2001年ですが、今頃になって80年代が味わえるとは。ふ~、やれやれ。ま、日本も五十歩百歩(目くそ鼻くそ?)のような気がしないでもありませんが・・・。
それでは『ハンギョレ21』の記事です。どうぞ~。
口を閉ざして突進する政治検察?
‘逆襲の急先鋒’の役割を担い、ロウソクに強硬対応-政権が代わる度にうるさかった平検事たちも沈黙で一貫
▣イ・スンヒョク記者
李明博(イ・ミョンバク)大統領が牛肉交渉と関連し、対国民謝罪会見を開いて一週間もたたずして‘帝国の逆襲’が始まった。‘逆襲の信号弾’は米国産牛肉輸入告示の強行であり、‘逆襲のターゲット’は‘悪’の根源である文化放送の『PD手帳』とロウソクデモに参加した市民たちだった。この過程で注目された者がいた。それは‘逆襲の急先鋒’としての役割を果たした大韓民国検察だ。
△6月24日、李明博大統領が青瓦台で開かれる国務会議に先立ち、キム・ギョンハン法務部長官と話をしている。(写真/青瓦台写真記者団)
急先鋒が撃った‘逆襲の信号弾’は、6月25日に検事5人で『PD手帳』捜査チームを構成するという発表だった。‘逆襲の司令部’である政府と与党で『PD手帳』に対する一罰百戒に言及した直後の措置だった。「検事一人に任せて2、3カ月捜査する性格のものではない」(チェ・キョイル/ソウル中央地検1次長検事)という親切な説明が付け加えられた。
実際、検察の強硬ドライブは以前から予告されていた。キム・ギョンハン法務部長官が5月26日早朝に法務部局・室長たちをソウル世宗路分室に緊急招集した後、検察に「不法集会の背後勢力を探し出し、厳罰に処すべし」と指示したことが代表的な事例だ。しかし、このような厳罰意志は続いて数十万の市民たちによる自発的なロウソク合流により、‘当て外れ’であることが証明され、戦局は‘逆襲の総司令官’である李明博大統領まで窮地に追いやられる側に急転した。
大検察庁掲示板に実名による非難の書き込みが3000件以上
身を伏せて事態をうかがっていた検察は、6月10日にロウソクデモが頂点に達した後、政府と保守言論が牛肉追加交渉を指して‘成功作’だとして世論操作に出ると、動き始めた。6月16日、ロウソクデモを生中継して人気のあったサイト‘アフリカ’を運営するナウコムのムン・ヨンシク代表取締役を著作権法違反の容疑で拘束し、20日にはキム・ギョンハン法務部長官の特別指示で朝・中・東広告掲載企業の不買運動を展開するネチズンたちに対する捜査方針を発表した。このような流れを見ると、25日に警察のデモ隊強制連行に続く26日の『PD手帳』捜査チーム構成発表は、‘牛肉デモの元凶’を確実にやっつけるという宣戦布告だった。また別の元凶であるDaumの‘アゴラ’は、国税庁という別働隊に捕らわれてしまい、税務調査というひどい目に遭っていた。
しかし、引き伸ばし作戦の末にロウソクの力が弱まるのを待っていたが、鋭い爪を表に出し始めた検察に対して一般市民たちが見せた反応は冷たかった。6月20日、検察が広告掲載拒否運動をした人々を捜査すると発表した後、大検察庁ホームページの自由掲示板が炎上したことから、民心の一面を把握することができる。
「私の方から自首します。逮捕してください」という書き込みから、「検察よ、お前らは権力の犬だ」、「国民を抑圧するマフィア、本当にとんでもない」、「むしろ自決しろ。病んだ検察め」など恨みのこもった非難に至るまで3000件余りに達する書き込みがあったのだ。「検察は大韓民国のSRM(特定危険物質)」、「(前大統領に)あれだけ食ってかかってエラそうにしていた検事たちはどこに行ったんでしょう?」「大検察ではなく、鼠検察に名前を変えたらどうですか?」「正門に‘朝鮮日報に忠実にお仕えします’と書いたらどうですか。そうすれば言行一致で国民の信頼を回復できますよ」など皮肉のこもった書き込みも多かった。
△検察と警察はロウソクデモが最高潮に達したときはさっと身を伏せて情勢をうかがっていたが、ロウソクデモの参加者数が減りはじめると‘逆襲’を開始した。6月16日、光化門の交差点で警察の連行に抵抗する市民。(写真/ハンギョレ21パク・スンフェ記者)
このような書き込みがさらに重みを増す理由は、これらはすべて実名で検察を非難しているからだ。大検察庁のホームページに書き込みをするには、住民登録番号の入力など本人実名確認手続きを経なければならない。このため書き込んだ人々のIDは、その人たちの名前だった。
ロウソクデモ政局で検察の動きに向けられた一般市民たちの批判を、検察内部ではどのように考えているのだろうか?ソウル瑞草洞にある検察庁に勤務するある部長検事は「以前の検察に比べれば、ロウソクデモの対処などに関して悠然と眺める幹部が少し増えた。しかし、まだ大多数は‘ロウソクデモは過激分子が主導したものであり、子供たちがそれに影響されてしている’と見なす雰囲気」だとし、「一言で言うなら(青瓦台と長官の)意志を受け入れようという雰囲気」だと話した。検察首脳部は政権とほとんど同じ考えを持っており、これ以上期待することはないということだ。
ならば平検事たちはどのような雰囲気だろうか?実際、大検察庁のホームページにあげられた書き込みの中には、2003年‘堅持との対話’で平検事たちが当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に噛み付いていた記憶に言及しながら「平検事たちは何をしているのか」という内容を書いたものが相当数あった。しかし、平検事たちは静かだ。ソウル地域に勤務するある部長検事は、「平検事たちはまったく意見の開陳がない。特別な指示が不当だとか、もしくはこのようなことを捜査しなければならないのかとか、まったく意見が聞こえてこない。理由は私にもわからない」と語った。過去、平検事たちは検察と関連した敏感なイシューに対して個人的意見を内部掲示板に上げ、意見を集めたりもしていた。2006年、大検察庁に勤務していたクム・テソプ元検事がサムスンの捜査に関連し、チョン・ジョンベ法務長官(当時)を批判する書き込みをしたのが代表的な事例だ。
単なるロウソク民心ではなくても、平検事たちがこのように静かなのは、過去とは違う異例的な姿だ。首都圏に勤務するある部長検事は、「政権が代わったのに検察がこのように(内部的に)静かなのは初めてだと思う」と話した。実際、政権交代の度に検察内部では人事や政策をめぐってあらとあらゆる波乱が起き、その渦中で平検事たちが自分の声を上げる場合が少なくなかった。1998年の金大中大統領の就任直後は突然、全羅道出身の検事たちが大挙して躍進し、内部から多くの批判が出た。シム・ジェリュン大邱高等検察庁長(当時)の抗議波動の渦中には、平検事たちが検察首脳部の態度を批判する連判状を回したりもした。2003年に参与政府(盧武鉉政権)が発足した直後には検察人事制度改革と関連し、平検事たちが集団で反発の動きを示したため、‘検事たちとの対話’が開かれた。
△警察の強硬鎮圧を主導している魚清秀(オ・チョンス)警察庁長。(写真=聯合ニュース/ハン・サンギュン)
政治的独立性が再び俎上へ
それならば、今の検事たちはなぜこのように静かなのか?しかも検察自らが果敢に政権と保守言論の尖兵を自任する状況で、平検事たちはなぜただ沈黙を守っているのか?
これと関連し、ソウル中央地検のある平検事は「一部には気に病んでいる検事もいる」としながら平検事たちが沈黙する背景に関連して次のように説明した。「以前の参与政府(盧武鉉政権)は、青瓦台や法務部長官が‘親検察’ではなかった。それに大統領も手をのばしたため、そのような状況下で(検事たちが)自分たちの声を上げたのだ。しかし、今は青瓦台も法務部も、検察に友好的な人材でうまっている。不満があっても、そのような状況では発言できない。そのような発言自体が‘反検察’となってしまうからだ」。つまり事案の重要性よりも検察組織に対する政権または外部の‘不純な’態度如何によって、検事たちの動きが決まるということだ。どれほど汎国民的事案であっても、組織の利害関係がかかわっていなければ変数にならないと言える。
2003年、‘検事との対話’に参加したある検事は、それよりも少し‘正直な’意見を表した。「広告掲載拒否運動をするネチズンに対する捜査方針は、‘政治検察’に退行する動きではないのか」という質問に、彼は「政治的中立性はあのときのあの対話で多く確立され、朝・中・東の広告掲載拒否運動に対する捜査を政治的独立性の後退と見る視点にも同意しない」と話した。「政治的中立性は、政治的事件に対して捜査をしろ、するなという干渉を排除することだ。信頼事犯に対する長官の特別指示が政治的中立性の毀損に値するとは見なさない」という説明が付け加えられた。
結局、検察首脳部は青瓦台と長官の顔色だけをうかがい、平検事たちが同調・傍観で一貫している間に検察の政治的独立性と中立性が再び俎上にあがった。検察のこのような歩みが後世にどのような評価を受けるかは、歳月がもう少し過ぎなければわからないが、あるネチズンは大検察庁のホームページに次のような書き込みをした。「盧武鉉大統領とケンカした平検事たちはみんなどこに行ってしまったのですか?みんな弁護士になってしまわれたのですか?恥ずかしくないのですか?もう検察の独立、こんな言葉を使わないでほしいものです」。
ロウソクデモに関連した法務部・検察の歩み
5月26日
キム・ギョンハン法務部長官、早朝6時30分にソウル世宗路分事務室へ室・局長を招集。検察に「不法集会を扇動し、背後で操っている人物を末端まで検挙し、厳正に処理せよ」と指示。
6月16日
ソウル中央地検、ロウソクデモのオンライン中継サイト‘アフリカ’を運営するナウコムのムン・ヨンシク代表を著作権法違反の容疑で拘束。ナウコムは「ムン代表の拘束は政治的弾圧」だと主張。検察は「拘束と‘アフリカ’は無関係」と主張。
6月20日
大検察庁「法務部長官の特別指示により、インターネットを媒介にした企業の広告中断要求事犯を捜査する」と発表。全国の検察庁へ‘信頼阻害事犯専門捜査チーム’を構成して集中取締りに着手するよう指示。
6月27日
チェ・キョイル/ソウル中央地検1次長検事、米国牛の狂牛病の危険性を報道した文化放送に対する捜査に関連し、「検事1人に任せる捜査ではない」と発言。検事5人で捜査チームを構成。
警察庁人権委員会瓦解の背景
退行的雰囲気、委員たちの意図的な無視
「戦闘警察ではなく、首脳部が問題だ。政権の手下と化しているのに、何が人権警察だ。この状況では辞退しなければ。そうでなければどうしろと?」
6月26日、警察庁人権委員を辞退したパク・スニ/カトリック正義具現全国連合代表は、記者との通話で声を高めた。「政権が代わった後、警察が1000%、2000%完全に変わってしまった。我々がどんな意見を出しても何の回答もない。(オ・チョンス警察庁長は)基本的に人権のない×だ。就任して数ヶ月になったが、まだ一度も会えていない。今さら何を言えというのか」
2005年に警察が人権警察に生まれ変わるという意志を誇示し、発足させた警察庁人権委員会が事実上、瓦解した。形式的には委員たちの自主的な辞任だが、その背景にはオ警察庁長が就任した後に示した警察の退行的な態度や人権委員会に対する考査作戦があった。
まず警察は、李明博大統領の当選直後に‘白骨団(警察官機動隊)’復活の方針をほのめかし、戦闘・義務警察廃止案反対、不信検問に応じない者の拘留・逮捕の推進など、人権と逆方向へ行く政策を相次いで打ち出した。今となってはやっかいな存在になってしまった警察庁人権委の力を奪う実務的な作業も共に進められた。2005年に創設以降、毎月人権委会議が開かれる度に警察庁長または次長が参加し、治安監・刑務官である警察庁局・管が陪席していたが、政権が代わった後、首脳部はただの一度も人権委員たちと向かい合って話さなかった。また、今年3月の定期人事の際は人権委の事務方を務める人権保護センター所属の職員たちがただ1名を除いてすべて交代になり、警正級のポストが2つから1つに減らされるなど、組織も縮小された。警察官の中から人権分野の有功者を選抜し、特進させる制度も廃止された。
警察庁人権委員たちの活動は、意図的に無視されはじめた。オ・チャンイク委員(人権実践市民連帯事務局長)は、「意見も出し、警視庁長との面談も要請したが、何の返答もなかった」とし、「事実上、1980年代の警察に回帰するということだが、このような状況で委員としての選択の余地がなかった」と語った。
人権委員たちの自主的な辞任についてキム・グムソク警察庁人権保護センター長(総警)は、「ほとんどが1次に次いで昨年の2次まで歴任した方たちなので、お疲れのようだ」、「委員会の再構成や後続の措置については漸次検討する」と話した。
(『ハンギョレ21』 2008年07月03日 第717号)