<韓国>米国産牛肉輸入反対デモが過激化…メディア襲撃も
6月28日19時3分配信 毎日新聞
何度見てもムカつく記事です(←じゃあ読むなよ)。ごくごく一部の逸脱行為を書き立てておきながら、何十万人もの人々が平和的なデモを行っていることや、何百人もの市民が警察の暴力鎮圧によって負傷したことについてはまったく触れていないのですから。
もちろん、このような暴力行為を行った人に対する支持は決してしませんが、そのような行為に至った心境は理解できます。私もこの東亜日報の社説を読んだとき、心の中の黒ハムニダが「誰か火炎瓶もってこ~い!」と叫びましたから(今のところ優勢を保っている白ハムニダが「非暴力!非暴力!」と叫びながら阻止しています)。
[社説]「暴徒と化したデモ隊」にいつまで踏みつけられるのか
東亜日報(日本語版)2008年6月28日
ネタバレすみませんが、光州事件を扱った映画『
光州5・18』の最後の方のシーンで、
道庁に篭城していた主人公が軍から「銃を捨てて投降すれば命は助けてやる」と投降を呼びかけられます。そのときに「暴徒」という言葉が使われたことに逆上した主人公が
「俺たちは暴徒なんかじゃねえ~!」(←日本語字幕はどのようになっているか知りませんが、私の脳内変換でのセリフはこうなっています)と叫び
、銃を構えために、軍の一斉射撃にあって無残な死に方をします。この東亜日報への怒りは、その主人公の叫びそのものですよ。
しかも東亜日報といえば、朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった1936年に行われたベルリンオリンピックのマラソンで、金メダルを獲得した
孫基禎(ソン・ギジョン)選手の胸の日の丸を塗りつぶした写真を掲載し、発刊停止処分になった反骨精神を持つ新聞社ではなかったのか。今ではその気概もすっかり失い、“権力の提灯持ち”に成り下がってしまったようです。
今のところ政府の広報紙と化している“朝・中・東”(朝鮮日報・中央日報・東亜日報)しか日本語版がないため、日本に伝わっている韓国の情報はどうしても李明博政権にとって都合のいいものに偏ってしまいがちです。そしてその政権寄りの報道手法は、独裁政権下の80年代からほとんど変わっていません。
こちらは
韓国の言論学会からもっとも「信頼できる新聞」に選ばれたハンギョレの6月29日の記事です。それではどうぞ。
朝鮮日報、80年の光州事件当時も‘逸脱行為’にのみ重点
80年光州・6月抗争当時もデモ隊の暴力のみ強調
各記事の見出し(左から)
1980年5月25日付朝鮮日報7面
バリケードを越え、ガラガラの路上には不安感のみ
「無政府状態の光州」1週間
1987年6月16日付朝鮮日報1面
全国45の大学生、激烈デモ
街頭進出-派出所襲撃・車両放火も
2008年6月28日付朝鮮日報1面
‘人民裁判’にかけられた警察官
“無法地帯・人民裁判”-ロウソクデモ激化‘猛爆’
『朝鮮日報』が‘ロウソクデモの変質’を強調し、デモの暴力性と不法性を連日特筆大書している。しかし、朝鮮日報はロウソクデモ隊の暴力性を精密に描写することばかりに埋没し、人々が過激な行動をとるに至った過程には眼を閉ざしていると専門家たちは指摘している。キム・チャンリョン仁済大教授(新聞放送学)は29日、「朝鮮日報のロウソク報道には‘なぜ’が抜けている」と言及した。キム教授は「言論が‘なぜ’と問わなければ、ロウソクを手にした市民と‘暴徒’は同一視され、人々の過激な行動は法の秤にかけなければならない逸脱行為となる」と語った。
朝鮮日報は、ロウソクデモが過激化する兆しを見せはじめた6月中旬から、デモ隊の暴力性に重点を置く記事を相次いで報道してきた。23日付1面のトップ記事のタイトルは「法の上のデモ隊」で、25日付1面のトップ記事のタイトルは「不法デモ分水嶺」だった。27日1面に載せられた「青瓦台だけを守る政権」というタイトルの記事では、「1カ月以上ソウル都心が毎晩デモ隊によって占拠されて無法地帯*になっており、市民たちの不満や不安感はピークに達している**」と書かれていた。28日付1面では、40代後半の男性の顔写真と共に「人民裁判にかけられた警察官」というタイトルが付けられていた。
‘ロウソク’を見つめる朝鮮日報の視点は、3つの前提上にある。1、ロウソクは‘デモ隊’と一般市民に区分される。2、主導勢力である‘デモ隊’は、親北・左派たちだ。3、従ってロウソク集会は純粋性を失ってるため、法の規制を受けなければならない。
現場でロウソクを見つめてきた専門家たちは、「このような前提は間違っている」と語った。ホン・ソンテ尚志大教授(社会学)は、「ロウソクの火が消えないのは、李明博政府が打ち出した謝罪の真偽性と追加交渉の実効性に関して市民が納得していないからだ」と語った。ロウソクはこの50日間、平和集会を続けて政府に時間を与えた。怒りが暴発したのはロウソクの要求が受け入れられないまま‘告示強行’に至った後だ。
問題は、朝鮮日報の報道姿勢が政府の方針に反映されているということだ。朝鮮日報に「法の上のデモ隊」の記事が掲載された翌日、李明博大統領は「国家のアイデンティティに挑戦するデモや不法・暴力デモは厳格に区分し、対処する」と話した。その翌日の25日から警察の強硬鎮圧が始まり、デモ隊と警察の衝突が本格化した。
27日、「青瓦台のみを守る政権」というタイトルの1面トップ記事が出た後、警察の阻止線は世宗路の交差点から太平路のソウル市議会前まで前進した。まるで朝鮮日報・東亜日報の本社ビルを守るためであるかのように見える。ハンナラ党のホン・ジュンピョ院内代表の‘色彩論’発言は、13日付朝鮮日報の社説「政府退陣国民抗争も辞さないという狂牛病対策会議の正体」をそのまま読んだかのようだった。キム・ユジン民主言論市民連帯事務局長は、「朝鮮日報はデモ隊を暴徒に追い立て、鎮圧しようとしている政府に正当性を与えている」と話した。
朝鮮日報のこのような報道姿勢は、今回だけではない。5・18光州民主化抗争が起きた1980年5月25日付の朝鮮日報は、7面の現場ルポで光州市民たちを「銃を手にした乱動者」と表現した。数日後の27日付1面では「市民は理性を取り戻すべき-銃器変換-対話で解決」と書き、責任を市民側に押し付けた。87年の‘6月抗争’当時も「緊迫状態、深夜の都心で激烈デモ-あちこちで催涙弾投擲・放火」、「派出所、14カ所で放火などの被害」(6月10日付1面)、「殺傷・略奪を排撃する」(6月23日付社説)などでデモ隊の暴力と市民の不満を強調した。
ギル・ユニョン記者
* 無法地帯ィ~?市民がやってるのはロウソク“文化祭”ですぜ。デモや集会が行われている一帯はそれぞれロウソクを手に歌を歌ったり、疲れたら道路わきに出ているおでんや焼き鳥の屋台で腹ごしらえしたりと、きわめて牧歌的な雰囲気でしたけどね。戦闘警察が強硬鎮圧している場所以外は。
** 不満や不安感にしても、その大多数はデモ隊に対してじゃなくて、警察当局に対してじゃねえの?