» 戦闘警察が29日午前0時20分頃、ソウル太平路の韓国言論会館前で警棒と盾を振り下ろしながら市民たちに向かって襲いかかっている(左側写真)。
驚いて逃げまどう市民たちを警察が地下道入口まで追いかけ、盾で攻撃している。 キム・ジョンホ記者
私は週末にソウル市庁周辺で行われているロウソク集会に参加しながら、先日このブログでも紹介した映画『
光州5・18』を思い出さずにはいられませんでした。警察側はデモの参加者が減った時間を見計らったかのように、深夜12時を回ってからデモ隊に対して一方的な暴力で鎮圧していったのです。
警察(光州の場合は軍隊)に強硬鎮圧される武器を持たない無力な市民、国民の声に耳を傾けようともしない政権、自らの暴力行為を正当化する警察当局と、その受け売り報道しかしない保守系大手マスコミ、頼みの綱は外国メディア・・・などなど、1980年5月に起こった光州事件当時の市民たちもこんな状況に追い込まれたのだろうか、と思いを馳せました。
今の時代はネットがあるため、1980年当時の光州市民のように孤立はしていませんが、デモの参加者や賛同者は公権力に弾圧され、分断されかかっています。
その光州事件の当事者である全斗煥元大統領が退陣に追いやられた‘1987年よ、再び’という意味で、‘Again 1987’ということが言われていますが(
「2008年版ロウソク集会の10のキーワード」参照)、‘Again 1980’とならないことを祈るばかりです。鎮圧する警察側からするとすでに‘Again 1980
s’となっているようですが・・・。(←シャレになってね~!)
それでは今日のハンギョレの社説です。警察の強硬鎮圧を1980年の光州事件と重ね合わせる人は少なくなかったようです。
[社説]‘6・29’未明に‘5・18’を見た
盾と鎮圧棒で完全武装した警察が押し寄せてきた。悲鳴を上げながら逃げまどっていた市民たちが相次いで殴られ、倒された。倒れた若い女性に戦闘警察たちが跳びかかり、軍靴で踏みつけ、盾で殴りつけた。歩道に立っていた還暦近い女性は、警棒で顔と肩を殴られて気絶した。人々を治療していた30代の医師まで戦闘警察に集団で殴打された。警察の集団暴行を止めようとした24歳の女性会社員も、逆に戦闘警察に殴られ、頭部を負傷した。雨具が血に染まった女性、気を失った50代の男性、唇を切った高校生・・・
6月29日未明、ソウルの中心部にある太平路の現状だ。銃剣がないこと以外は、1980年‘5・18’の光州そのものだ。その5・18の蛮行を犯した全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事政権が国民の民主化要求に降伏した1987年‘6・29’からちょうど21年後、国家権力による無差別暴力が再び横行した。歴史の時計が数十年遡り、過去にもどってしまったのだろうか。
このような事態が起こる数日前の26日、魚清秀(オ・チョンス)警察庁長は記者に対して「80年代式の強硬鎮圧を一度やってみようかとも思う」と発言したそうだ。偶発的なものではなく、緻密に計画されたものだということだ。その意図も推測できなくはない。デモ隊と警察による鎮圧の衝突を激化させてロウソク集会を孤立させてしまえば、容易に国民の口を塞ぐことができるという計算なのだろう。
警察と政府は、このような暴力鎮圧を正当化してはならない。どちらの暴力が先だったのかを問うことも難しいが、どのような場合であっても警察が合法性と適切性の枠を超えて過度の暴力を行使することが免責されてはならない。軍と同様、警察は高度に訓練された物理的力を持った集団であり、その乱用の危険性が高いためだ。5・18当時も新軍部は権力簒奪に抗議する市民たちを過剰鎮圧し、抵抗と虐殺の悲劇に追いやったにも関わらず、正当な法執行を行ったと主張した。そのような事態は繰り返してはならない。
ロウソク集会は、警察との衝突のみで終わらせてはならない民心の尊い叫びだ。耳を閉ざした政権が、今度は警察を前面に立てて国民を排除しようとしたことに激怒したデモ隊の心境を理解できないわけではないが、だからと言って興奮しやすい戦闘警察の若者たちを敵に回すべきではない。多くの市民が傷ついたが、デモ隊の鉄パイプや角材などで負傷した戦闘警察も一人や二人ではない。残念なことだ。本当に責任を問われるべき人物は他にいるのではないか。