Like a rolling bean (new) 出来事録さんのところで紹介されていますが、来たる7月12日に花のお江戸で築地市場汚染地域移転反対デモが行われます。私は残念ながら参加できませんが(誰か時間とカネくれ~)、微力ながら応援したいと思います。
さて、日本語の報道ではまるで収束したかのような印象の、韓国の米国産牛肉輸入反対デモ。まだまだ火種はくすぶってます。李明博(イ・ミョンバク)大統領は、「国家の正統性に挑むデモや不法行為」に対する厳格な対処を指示したとのことですが、え”~、大多数の市民は平和的で非暴力のデモをやってますよ~。
ということで、2008年の韓国の市民社会を反映しているようなロウソク集会・デモを表す10のキーワードが、前回のハンギョレ21の記事と同じページに載っていました。ご参考までにどうぞ~。
2008年版ロウソク集会のキーワード
清渓村の人々が生きる方法
▣シン・ユンドンユウク記者
2008年5~6月、ソウル清渓村。毎夜7時くらいになると、ロウソクを手に‘運動’をする人々がいる。ベビーカーに乗せられて参加した子供から白髪の老人まで、老若男女、市井の人たちが続々と集まる。その中に元々ここで‘運動’をしていた人々はそれほど多くはいない。民主労総の組合員でも、韓総連*の大学生でも、運動団体の会員でもない‘新しい’住民がほとんどだ。デモ行進は初めてだとか、集会には本当に久しぶりに出てきたという人が大多数だ。
村の住民の構成は、韓国社会の歴史を反映している。1991年のときの声を覚えているお母さんたちはベビーカーを押して参加し、1987年の6月抗争の主役だったお父さんたちは青少年になった息子が心配になって一緒に参加した。そして20代の大学生や会社員は、ヒョスン・ミソン**との約束を思い出した。このようにそれぞれの切迫した理由で、一つにまとまった声ではなく、お互いに異なる記憶によってみんなが集まった。
村の助け合いもスムーズにいっている。10代が抵抗をしはじめると、20~30代が‘恥ずかしくなって’参加し、40~50代は子供を守るために立ち上がった。平和の象徴である花を手にして参加した女性たち、命を意味するパンを分かち合う人々もいる。デモ行進に参加すると十匙一飯(10人が一匙ずつ持ち寄れば一膳の飯になるという意味)の募金をし、‘生命水’も分け合って飲む。だからここは清渓村。こうして1ヶ月以上にもわたって毎晩現れる村を理解するためのキーワードを1から10まで紹介しよう。
1. 住民の二重生活?
彼らの広場は2つだ。夜は清渓広場、昼はポータルサイトDaumの掲示板‘アゴラ’。会社では忙しいが、合間合間にアゴラや自分のネットサークルにログインして牛肉輸入反対のロウソク文化祭関連の記事を確認し、退社時間を知らせる時計が鳴れば一目散に清渓広場(最近はソウル広場)へ向かう。気が向けばコメントを書き、のってくれば請願もアップする。アゴラは村の新聞であり、清渓広場はソウルの民主広場だ。清渓広場に座っていると、時々こんな錯覚もする。ここはアゴラなのか、清渓広場なのか?あちこちで手作りの印刷物を配る各種のネットサークル会員、カメラを手にユーザー制作コンテンツ(UCC)を作る見慣れた顔が目につく。
2. 女性たちが立ち上がった
運動経験20年以上のパク・レグン人権運動活動家も驚いた。「女性が男性よりも多いなんて!」と。おそらく韓国社会運動の歴史上、初めての事件、あるいは快挙だ。男女の性比が逆転したのだ。10代のロウソク少女がマスコットを前に行進すれば、20~30代の女性はハイヒールを履いてデモ行進に参加した。食べ物の問題は命の問題だ。当然、女性たちがより敏感になるという分析だ。しかし女性上位現象は、ヤヌスの顔を持っていた。女性たちの社会的成就が高まったという傍証でありながら、女性が依然として社会的弱者として社会問題に敏感にならざるを得ないという証拠でもある。
3. スパイが現れた!
深夜になると対策委が訴えた。「みなさん、今日はこのぐらいにして、明日また会いましょう!」。すると市民が反発した。本当に彼らは三々五々、早朝まで道を練り歩いた。そして誰も知らない。彼らがどこへ行くのかを。対策委も主導できないので誰も主導しようともしない。事前に決めておいたコースなどもない。もし誰かが‘伝統的’な方法で参加者を‘指導’しようとすれば、どこからかこんな声が聞こえてくる。「スパイだ!」と。拡声器を手にした人も、このような疑惑を受けた。幸い、後で誤解は解けたのだが。
4. 運動家も戸惑う
市民は運動家よりも過激だ。むしろ運動家が当惑している。「あ、そんなことをしてケガでもしたら!」しかし協議する指導部もなく、市民一人一人を説得することもできない。運動家は「実際、ヒョスン・ミソン追悼闘争のときは汎対委が集会・デモを主導しましたが、今は本当に違います」と告白した。2004年の弾劾反対集会のときのデモ隊が‘組織化された個人’だったとすれば、今の参加者は本当に個人、あるいは個人中心のネットワークだ。彼らはネット上のサークルで討論して決定し、自分たちの‘戦術’を組み立てる。そのため時には活動家たちが当惑し、さ迷うことになる。
5. 存在は意識よりも強い
清渓村の住民たちに意識化は必要ない。彼らは体感している。李明博政権が彼らの安全を脅かしたためだ。0時間目授業で中高生の朝を脅かし、医療保険の民営化云々で患者の気持ちさえも踏みにじった。そのため、‘小児病の子供を持つ親の会’のようなネットサークルの会員たちは、その痛みを心に刻んでロウソク集会に参加した。ノ・ミョンウ亜州大教授(社会学)は、「1カ月間、平日でもロウソク集会の参加者が減らない理由は、存在を脅かされた人々がまるでバトンタッチするかのように交代で集会に出ているため」だと分析した。こうして雨が降ろうと、風が吹こうと、リレー・ロウソク集会はず~っと続く。意識化した大学生よりも、存在から出発した母親の方が当然ながら根気強い。言い換えれば、韓国社会が李明博政権の100日間で新自由主義の危険性に気づき、悲鳴を上げているということだ。
6. シンデレラは12時に戦闘警察バスに乗る
シンデレラは12時に馬車に乗るが、市民は戦闘警察バスに乗って行く。いわゆる‘鶏舎車***ツアー’。一部の市民は自ら進んで戦闘警察バスに上がる直接行動を起こし、アゴラ掲示板では‘週末、1万人で戦闘警察バスに乗り込もう!’という書き込みをして好評を博した。ついに市民の不服従は戦闘警察バスに乗って朝鮮半島に到着したのだ。イ・ウォンジェ文化連帯事務署長は、「10~20代は公権力に対してクールな態度を見せている」と指摘した。狂牛病に対する恐怖心は強いが、公権力に対する恐怖心は弱い新世代の登場だ。直接対峙した経験のある30代には公権力に対するトラウマがあったとしても、経験のない10~20代にはトラウマがない。そこでノ・ミョンウ教授の指摘をもう一つ。「自分たちを阻む警察も、牛肉問題については内心デモ隊が正しいと思っているはずだから、若者たちはこの問題に対して自信を持っている」
7. カメラは火炎瓶よりも強し
最近、政権や警察、虎やママよりも恐ろしいものはな~んだ?それは投石でも火炎瓶でもなく、カメラだ。そして「ネット上でばら撒くぞ」という言葉だ。だから怒りが頂点に達したとしても、火炎瓶を投げつける理由はない。最新の非暴力兵器、カメラがあるからだ。さらに携帯電話も。おまけに自分が夜撮ってきた写真を昼にブログへ載せる面白さもある。だからデモ行進は抵抗を超えた遊びだ。警察の車の上にロウソクを灯し、番号板の上に‘李明博OUT’のプラカードを載せた写真はカメラ遊びの象徴だ。
8. 清渓川だけが集会現場ではない
オヤジ連中が驚いた。ノートパソコンを使う人が1人、カメラを使う人が1人。この2人さえいればネット生中継が可能だ!そして‘アフリカ’のようなネット放送サイトを通じて集会現場を生中継できるので、どこからでも、誰でも集会に参加できる。だから時間さえあれば参加し、都合がつかなければネット中継を見る住人は少なくない。おまけに彼らは一種の5分待機組だ。5月25日の早朝にもネットで人々が連行される様子を見て、路上に現れた人たちがいた。どこかで誰かに何かが起これば、間違いなく現れる、清渓川のリーダー!
9. 朝鮮日報・中央日報・東亜日報~
あのときはまだ気づかなかった。なぜ朝鮮・中央・東亜日報が悪いのかを。でも今ならわかる。ノ・ミョンウ教授は「政治問題に関する朝・中・東の歪曲報道を見抜くためには、鋭い観察力と政治的見識が必要だった」、しかし「あまりに常識的な牛肉問題に関しては、0.1秒見るだけで朝・中・東が何を隠して歪曲しているのかが見える」と指摘した。こんなにわかりやすい例が提示されたのだから、アンチ朝・中・東は拡散するしかないだろう。
10. Again1987?
キム・ジョンヨプ韓神大教授(社会学)は、「2度の政権を経れば市民的常識が形成されるが、李明博政権はこの常識線に抵触した」と指摘した。何度言っても聞こうともせず、むしろ市民を連行し、ついには“独裁政権”という批判まで出てくるようになった。1カ月以上も集会が続き、6月抗争のことを思い出す季節がやって来た。1987年から2008年まで、時代は違っても抵抗の性格は似ている。時間が経過するほど参加階層や年齢が広がり、国家権力を‘正常化’させる闘争の性格も持ち合わせている。そのため、‘Again1987’とも見られている。しかし1987年は組織から始まって組織を上回る大衆へと発展したが、2008年は個人から始まって個人を越える大衆へと発展しつつある。新しい民主主義だ。
* 韓国大学総学生会聯合の略。80年代に学生運動を主導していた全大協を継承し、1993年に作られた韓国の学生運動団体。
** 2002年6月に米軍の装甲車に轢かれて亡くなった女子中学生2人の名前。
*** 韓国の戦闘警察(日本の機動隊みたいなののもっとコワイお兄さんたち)を運ぶバスが鶏舎のような外観なので、市民からはこのように呼ばれています。