60年間‘返還’を待ち続けた名前-‘朝鮮人労務者’イム・ソンヨル
‘朝鮮人’被害者に日本政府は素知らぬ顔、‘遺骨’も故郷へ返される目処立たず
東京大空襲で26歳のときに死亡、いつの間にか63年
8日午後、東京都墨田区の横綱町公園にある東京都慰霊堂。公園事務所の職員が、慰霊堂内部の隅にある納骨堂の陳列台から小さな骨壺の一つを取り出した。その骨壺には、‘イム・ソンヨル’という名前が書かれている小さな紙が貼られていた。
第二次世界大戦も行き詰まった1945年3月10日未明、米軍による東京大空襲で犠牲になった‘朝鮮人労務者’イム・ソンヨル(死亡当時26歳)氏の遺骨が、死後63年ぶりに確認された。東京大空襲で犠牲になった朝鮮人の遺骨が確認されたのは初めてのことだ。2月末現在、日帝植民地支配下強制動員被害真相究明委員会が認めた東京大空襲の被害者63人(軍属60人、労務者3人)のうち、遺骨が確認された事例はないと委員会は明らかにした。イム氏の遺族は2005年7月20日、イム氏に対する強制動員被害者申請をしたが、未だに判定を受けられずにいる。
東京都慰霊堂の納骨堂には、東京大空襲で犠牲になった朝鮮人の遺骨が相当数安置されていると推定されている。イ・イルマン東京朝鮮人強制連行真相調査団事務局長は、「2006年に‘東京都慰霊塔戦災死者(東京大空襲被害志望者)遺骨名簿’から朝鮮人の名前を見つけ出し、49人いることが確認された」と明らかにした。しかし、本籍地が記載されておらず、30人は創氏改名しているために遺族を探すことが非常に難しいのが実情だと彼は話した。
10日で東京大空襲は63年になる。今年は東京大空襲関連のドラマ2編とドキュメンタリー1編が制作・放送されるなど、例年よりも日本人の被害を浮上させる雰囲気がかなり高まっている。しかし、東京大空襲のさらなる主要被害者が朝鮮人だったという事実に対しては、ほとんど関心が向けられていない。8日、東京都慰霊堂で在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関連の団体が主催した追悼行事を報道するメディアは皆無だ。
そのうえ、朝鮮人被害者は遺骨返還どころか、正確な実態すら把握されていない。10万人以上と言われている全死亡者のうち、1万人以上が朝鮮人であると推定されているだけだ。当時、米軍のB29爆撃機300機余りが2時間半にわたって焼夷弾1700発を集中投下した墨田区、江東区などの主要被災地域は、軍需工場や一般庶民の住宅が密集していた。軍属や労務者として連れて来られた朝鮮人のうち、この地域の軍需工場で働いていた人が多く、被害が大きくなったと伝えられている。特に真相究明委員会が東京大空襲被害者として認めた63人のうち、軍属60人は遺族も知らないうちに靖国神社に合祀されていることが明らかになった。死んでも日本の‘軍神’として祀られているのだ。
2004年12月の盧武鉉大統領と小泉純一郎首相による首脳会談で合意され、現在進められている遺骨返還作業も、日本政府の消極的な姿勢のために遅々として進んでいない状態だ。今年の1月、東京の祐天寺に安置されていた強制徴用朝鮮人の遺骨のうち、本籍が韓国であると判明した遺骨101柱がようやく故郷に返されたのみだ。労務者として炭鉱などに強制動員された民間人の遺骨は、名簿すらまともに確保されていない状態だ。真相究明委員会の関係者は「李明博(イ・ミョンバク)大統領は4月の訪日の際に、遺骨返還問題について日本側の誠意ある態度を促していただきたい」と語った。
東京/キム・ドヒョン特派員
(ハンギョレ 2008年03月09日)