7月末の参院選で自民党が惨敗してもぜんぜん喜べずに鬱になり、今回の安倍退陣でもそれ自体は喜ばしいことでも先を考えるとぜんぜんうれしくなくて鬱になる。こんな日々ですが、いかがお過ごしでしょうか。あ、私はちゃんと
犬などを見て癒されておりますが。
あ、さてこちらは9月16日のハンギョレに掲載された高橋哲哉教授のコラムです。安倍が退陣しても、日本の右傾化の流れは止まっていないという警告を発しておられます。あぁ、これだなぁ、息が詰まりそうな気がしてしまうのは。
安倍退陣と日本の右傾化/高橋哲哉
安倍晋三首相が退陣を表明した。その辞任方法は、あまりにもひどいものだった。彼は7月末の参議院選挙で「私と小沢(民主党代表)、どちらが総理にふさわしいかを判断する選挙」だと大声で叫び、戦った。そして歴史的惨敗をすると「政策は間違っていなかった」と強弁し、辞任を拒否した。第二次安倍内閣を発足させたが、農林水産相がスキャンダルで辞任し、再び窮地に追い込まれると、テロ対策特別措置法の延長に「職責を賭けて遂行する」と宣言した。国会の所信表明演説でも「改革継続」に不退転の決意を示し、ついに野党と全面対決をするのではないかと国民が注視したとたんに政権を投げ出してしまった。内政と外交面のあらゆる約束は、紙くずになってしまった。世論調査では、このような辞任表明は「無責任だ」と考える国民が70%前後に至ることが明らかになった。当然のことだと思う。
安倍という政治家が年若くして首相候補に浮上したのは、2002年の小泉純一郎前首相の訪朝のときからだ。日本人拉致事件と関連し、対北朝鮮強硬論を象徴する存在になったのが契機だった。メディアが“戦う政治家”などと彼を持ち上げ、彼自身もそれを宣伝戦略に利用した。彼は△“戦後レジームからの脱却”を打ち立て、平和憲法と教育基本法改正の推進、△歴史歪曲の旗振りをしてきた“あたらしい歴史教科書をつくる会”に近い歴史観の堅持、△東京戦犯裁判の批判などで右派勢力の期待を一身に受け、最高権力者の地位にのし上がったのだ。
そのような意味では、安倍首相の電撃辞任でもっとも裏切られたと思っているのは日本の右派勢力かもしれない。安倍首相の勇ましいスローガンが実は口だけにすぎなかったということや、戦う政治家とはメディアと自分たちが作り出した虚像にすぎなかったということが白日の下にさらされたためだ。
安倍政権の崩壊により、憲法改正の流れも止まるのではないかという意見も出ているが、まったくそうではなさそうだ。参議院選挙で憲法改正を争点にしようとした安倍首相の計算は、失敗に終わった。しかし、彼は1年にも満たない短い在任期間中に教育基本法を改正し、国民投票法を通過させて平和憲法の外枠を攻撃することに成功した。これらは小泉首相が置き土産とした与党絶対多数という数字の力で達成されたもので、実際には安倍首相の成果だと言うことは難しい。それでも現実的には3年後に国民投票法が施行されれば、国会議員の3分の2の賛成で改憲発議が可能になった。
第一野党の民主党内には、憲法9条を変えて自衛隊を正式な軍隊として認識し、新しい日本軍が国外で武力行使をする道を開くことに自民党議員以上に熱心な議員も多い。安倍首相のような口だけの“愛国”政治家を首相に担ぎ上げた現代日本の民主主義的空気と、それを作り出した構造的要因はまったく変わっていない。ポスト安倍がアジア外交重視の福田康夫元官房長官のような人物がなったとしても、あるいは民主党が政権を奪って小沢一郎代表が首相になったとしても、その部分が変わらない限り、右傾化の流れは簡単には止まらないだろう。
特に憂慮されるのは、小泉首相以降の新自由主義政策により格差の社会化が進んだ日本の“ワーキングプア”という経済的弱者たちの間で、「現状を一気に変えてくれるなら、戦争も構わない」という“戦争待望論”まで出ている現象だ。経済的・社会的な不平等により心の底に累積した不満をナショナリズムや排外主義に向かわせるような回路を遮断するためにも、グローバル化や新自由主義に対抗できる政治的構想が切実なものとなった。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学