米軍の車両に轢き殺された愛弟子の“恨”を癒す
“沖縄民衆の受難史”100mに及ぶ大型彫刻群を展示する金城実
第二次世界大戦中の集団自殺~米軍基地反対闘争“連作”
解放直前に処刑された韓国人徴用者の追慕作も含む
全住民の3分の1が亡くなるほど壮絶だった沖縄戦(1945年3月26日~6月23日)と、戦後沖縄の民衆の生活と闘争を描いた100m規模の大型彫刻の連作“戦争と人間”が11日から翌月24日までの46日間、沖縄県読谷村で展示される。
米軍の飛行場返還地であり、旧日本軍の飛行場滑走路とされていた展示空間に10年間心血を注いで作品を展示する主人公は、白髪の彫刻家、金城実(67)。縦横3~4mの彫像20数個と実物大の彫像20数個で構成された大型彫刻作品は、1980~1990年代に韓国社会を風靡した民衆美術を連想させる。沖縄戦でもっとも凄惨だった住民たちの“集団自殺”、本土復帰(1972年)、米軍の土地収用に反対して闘争した農民たちと現地の政治指導者、ブルドーザーや銃剣でこれを阻止する米軍など、沖縄の痛ましい歴史がパノラマのように展開される。
先月28日、沖縄現地で会った彫刻家、金城実からは作品に充満する歴史意識がそのまま滲み出ていた。「10年前、私の跡を継ぐと言って彫刻を学んでいた19歳の弟子が、米軍の車両に轢かれて死ぬという事件をきっかけに、制作に着手した」
今回の100mの作品群は、植民地時代に沖縄に連れて行かれ、強制労役につかされ、空腹の余り穀物を盗んで1945年4月22日に無惨に処刑された韓国人徴用労働者を追慕する彫刻作品も含まれている。日本の市民団体、“平和実現のための会”の要請を受け、99年8月に当事者の故郷である慶尚北道の英陽(ヨンヤン)に建立した追慕作品をモデルに再び制作したものだ。彼は日本人も“恨(ハン)”の意味を知るべきだとして、昨年5月に同じ作品を自分が住んでいる村に建立した。
彼は独学で彫刻を学んだ。高校の英語教師だった33年前、アメリカの軍政が敷かれていた沖縄で米軍に対する住民たちの怒りが爆発した事件を目の当たりにし、彫刻に対する夢が現実に近づいた。その後、沖縄戦、原爆など社会的なテーマを作品の主題にしてきた。
彼は首相の靖国神社参拝に対する抵抗運動家としても有名だ。彼は85年の中曽根康弘首相(当時)の靖国参拝に対する違憲訴訟を起こした原告団の一人であり、小泉純一郎首相の参拝の時は原告団の団長として訴訟を主導した。第二次世界大戦で亡くなった父親の名簿が靖国に安置されている戦争遺族ではあるが、「訴訟を起こさなければ沖縄人としてのプライドが傷つく」と彼は語った。
読谷(沖縄)/キム・ドヒョン特派員
(5月11日ハンギョレ新聞)
* 参考 *
「辺野古の闘い」…市民運動阻止のため自衛隊投入!!?
(dr.stoneflyさん)