スミマセン。と、しょっぱなから謝っておきます。
残業代不払い法案だの、植草さんのことだの、夫婦別姓キイキイだの、玉川大学だの、共謀罪だの、アパだの、国民投票法案だの、「生む機械」発言だの、やっぱりイジメ問題だの、「美しい国」の話題がてんこ盛り(←古い表現?)ですが、私一人ではフォローしきれません。でもいろいろ気にはしていますのよ。
まぁ、できることからボチボチやっていきますわ。と、いうことで(ぜんぜん脈絡がありませんが)、今日は1月28日のハンギョレ新聞に掲載されていた高橋哲哉氏のコラムです。どうぞ。
“創られた伝統”と政治的意図/高橋哲哉
安倍晋三首相は今月4日、伊勢神宮を参拝し、6日には明治神宮を参拝した。現職首相の明治神宮参拝は、森喜朗首相以来6年ぶりだ。当初「靖国神社参拝は総理の責務」と主張してきた安倍首相だが、メディアは中国首脳の日本訪問を前にして靖国神社参拝はしばらく無理だから、代わりに明治神宮を参拝して保守派の心をつなぎとめようとしているのではないかと報道した。
伊勢神宮、明治神宮はかつて靖国と共に国家神道の3つの核心を形成した神社だ。首相の今回の参拝は靖国参拝と同じように、日本国憲法の政教分離原則に違反したという憂慮がある。しかし首相が伊勢神宮や明治神宮を参拝しても“憲法違反”という批判はそれほど強く起きてはいない。特に伊勢神宮の場合、首相の年頭参拝がまるで“初詣で”のように受け取られ、年中行事化している。
“創られた伝統”という言葉がある。我々が昔から自然に“伝統”だと思っていたものが多くの場合、実は比較的新しく意図的に“創られた”ものだということを表す言葉だ。“創られた伝統”の中でも最大のものは神話だろう。敗戦前、日本では『古事記』や『日本書紀』の記述によって神武天皇の建国神話をまるで歴史的事実であるかのように学校で教えていた。1940年は神武天皇建国からちょうど2600年の年に当たるとして政府主導で“紀元2600年祭”の祝典行事が大々的に行われ、翌年から太平洋戦争に突入した。しかし神武天皇の建国神話は紀元4世紀頃に成立した大和朝廷が自らの統治の正当性を表すために“伝統”として創り出した話であり、事実として実証されたものではない。
神社は日本人にとってもっとも近い“伝統”の一つだ。由緒正しい有名な神社であれば必ず“古い伝統”があるのだろうと日本人は考える傾向がある。例えば平安神宮(京都)や橿原神宮(奈良)もその由来を知らない人にはまるで古代から連綿と続いた伝統の精華という雅趣を漂わせる。しかし実際の創建年度は平安神宮は1895年、橿原神宮は1870年だ。どちらも“近代”の発明品だ。
安倍首相が参拝した明治神宮は毎年、初詣で客が300万人に達するなど、一般人に慣れ親しんだ場所だ。しかしこの場所が明治天皇を神として祀る神社であるということを知らない若者も少なくないだろう。首相の伊勢神宮参拝も、戦後かなり経ってから“創られた”伝統だ。戦後の1955年、鳩山一郎首相が行ったのが最初だ。“恒例化”は1967年の佐藤栄作首相以降のことに過ぎない。
安倍首相は保守政治家らしく“伝統文化の尊重”を打ち立てている。昨年末に発効した新教育基本法にも「伝統と文化を伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養うこと」が教育の目標として定められている。しかし為政者が国民に向かって伝統の尊重を打ち出すとき、その伝統が政治的意図で“創られた”ものであるかどうかをちゃんと見破ることができなければ、完全にやられてしまいかねない。
最初に言及した政教分離の観点から言えば、首相が伊勢神宮や明治神宮に連続参拝したことは、靖国神社に一度参拝したことよりも性質が悪い。連続参拝は、首相が神社神道という特定宗教と特別な関係を持っているという印象をより強化するためだ。安倍首相が今年、靖国神社も参拝すれば、国家神道の3つの核心的神社に参拝したことになり、深刻な憲法違反になると言わないわけにはいかない。
高橋哲哉/東京大学教授・哲学