昨日、崔圭夏(チェ・ギュハ)元大統領が他界したというニュースが流れました。正直言って、私はこのニュースを聞くまでは、すでに鬼籍に入った人だと思い込んでいました。それにしても私は韓国の現代史に詳しいわけではありませんが、この人に関することをほとんど知らない。在任期間は短いし、特に何かしたという文献を読んだわけでもない。
そんななか、昨日から今日にかけての韓国のメディアは、チェ元大統領に関する報道を淡々と伝えていました。以下は今日(10/23)のハンギョレ新聞の社説です。参考までにどうぞ。
“不運な”大統領、チェ・ギュハ氏の他界
崔圭夏(チェ・ギュハ)元大統領が昨日、他界した。彼は1979年の朴正煕大統領暗殺直後から80年8月までの大韓民国現代史の混沌期に青瓦台の主として過ごした人物だ。彼の在任期間は12.12軍事反乱と5.18光州虐殺という愚行を犯した全斗煥・盧泰愚氏など新軍部の暴力が激しかった時期だった。チェ元大統領は新軍部に威圧され、自らの意思をはっきりと表すこともできず、光州虐殺という韓国現代史の悲劇を防ぐこともできなかった。そのため、彼は“悲運の大統領”として記憶された。
79年10月26日の朴正煕大統領暗殺当時、国務総理だった彼はすぐに大統領権限代行になり、12月6日に統一主体国民会議で大統領に選出された。しかし、6日後の12月12日には軍事反乱が起こり、チェ大統領の運命は困難を極めた。彼は長きに渡る独裁に苦しんでいた国民の民主化に対する熱望を募って新しい歴史を開く機会を逃し、5.18虐殺以降はそれ以上彼に機会が与えられなかった。
大統領辞任以降も、彼は自らの在任期間に起こった出来事について一切口を開かなかった。彼は1996年に12.12と5.18事件の再審に強制拘引された際も証言を拒否した。彼は法廷で「元大統領が在任中に遂行した国政行為に対して後日一々証言しなければならないのであれば、国家経営上の問題を惹起しかねない」という言葉を証言の代わりとした。彼はそのような意志を最期まで貫いた。
チェ元大統領の在任中に起きた事件の真相が、まったく明らかになっていない状態で彼を断定的に評価することは拙速である。だからと言って、歴史と個人の問題を真摯に考えてみないわけにはいかない。歴史の流れはあまりにも急激で、一個人がその流れをさえぎることは不可能であるように見える。しかし、民衆の熱望が後ろ盾になれば、一個人の勇気ある行動が流れを変えうることを歴史は証明している。チェ元大統領にこのような勇気と歴史認識があれば、韓国の現代史は今とはまったく違う姿だっただろう。
決定的な局面に行動できなかったことと、謙虚な姿勢で歴史に対峙しなかったこととは次元の違う問題だ。勇気がなかったことな残念なことであるだけだが、歴史にそむくことは繰り返してはならないことだ。歴史の前で最期まで沈黙する大統領が再び現れることなくすることは、チェ元大統領に対する最後の礼遇でもある。