今日、気付いたのですが、ハンギョレ新聞がポスト小泉として有力視(っていうか、出来レース、っていうか、その出来レースすらもしないのではないかという噂もあり…)されている安倍晋三官房長官の集中特集を一昨日からはじめていました。
16日は安倍がいかに改憲志向が強いかを祖父の岸信介元首相にからめながら書いております。で、17日の記事では、安倍がどれだけアメリカのネオコンとべったりかが書かれています。
おお、他の保守系3紙が安倍ヨイショしているので、それに対抗しているということなのでしょうか。その主旨や目的はナゾですが、おもしろそうなので翻訳してみました。以下は昨日、8月16日(紙上ではおそらく17日)の記事です。それではどうぞ。
軍事大国を夢見て“憲法改正”を叫ぶ
“独立回復の象徴”を主張、任期内に紐を解く
初代改憲論、岸元総理の孫…根っからの改憲論者
[ポスト小泉の安倍を集中研究]
安倍晋三官房長官が“理念的・先天的極右”と呼ばれる理由は、彼の歪んだ歴史認識と共に平和憲法改正に対する人並みはずれた執着心に起因する。
軍事力保有と戦争を禁止した憲法9条は、“侵略国家、日本”の再登場を防ぐ最後の安全弁だ。改憲は日本を実質的に軍事大国に変貌させる起爆剤になりうるという点から、“パンドラの箱”を開けることになるだろう。
安倍は先月28日、自民党総裁選の事実上の初遊説戦である東京地域大会で、先頭に立って改憲を叫んだ。次期総裁候補3人が揃った席で彼は「改憲について確実に議論したい。まず、政治課題としてあげることが重要だ」と話した。就任後は憲法改正に総力を挙げ、自分の任期内に紐を解くという彼の決意を見出すには充分だ。安倍の熱烈な支援者である山本一太参議院議員(自民党)は、「安倍政権が発足すれば、改憲問題が確実に弾力を得るだろう」と壮語した。小泉純一郎首相は改憲に賛成するとしながらも、次期政権の課題として後回しにするという消極的姿勢を見せてきた。
安倍は著書『美しい国へ』の第1章「私の原点」で、「平和憲法草案は連合軍総司令部のリベラルで若い参謀たちが10日余りで作ったものであり、“敗戦国として連合国に謝罪する文書”のような部分がある」と批判した後、“自主的憲法制定”を力説した。彼は「1955年の保守勢力の自民党結成目標は高度成長と自主憲法の制定」だとし、「憲法改正こそ独立回復の象徴」とまで主張した。
改憲を主張する政治家の中でも、安倍はもっとも過激な方だ。他の国に対する攻撃を自国に対する攻撃としてみなして反撃に出られるようにする集団的自衛権行使は、今の憲法でも可能だというのが安倍の見解だ。彼は改憲案に集団的自衛権を行使できるという内容を明示することを主張している。自民党は昨年11月、改憲草案を発表したが、この問題に対する強硬派と穏健派の見解の大きな隔たりは、狭めることができずにいる。
安倍は陣笠議員のころから改憲論議で大活躍してきた。自民党が分裂後、アイデンティティーの危機に直面した1994年、党理念・綱領を再検討して打ち出した“自民党新宣言”の草案に改憲の項目が抜けていることを知った安倍は、若手の右派を集めて改憲を宣言の中に盛り込むように、穏健派の党指導部を圧迫して貫いた。
日本の戦後世代の右派政治家は、大部分が改憲支持派だ。それにしても、改憲に対する安倍の執着は異色である。それは、彼の“精神的支柱”である岸信介元総理にルーツがある。 改憲は岸のなし得なかった課題であり、祖父の遺言のようなものだ。安倍は性格は父の安倍晋太郎元外相、政治性向は祖父から受け継いだというのが彼の母親をはじめとする周辺の人々の共通した評価だ。彼は「幼い頃から祖父についてA級戦犯だとか“保守反動の化身”などの言葉を頻繁に聞き、その反発で保守という言葉に逆に親近感を覚えるようになった」と打ち明けた。
1953年、自民党の前身である自由党に改憲を条件に入党し、戦後初めて設置された憲法問題調査会の会長を務めた人物が岸だ。彼は57年に首相に就任すると、まず内閣に憲法調査会を設置し、自らが改憲論者であることを公然と明かした。岸は79年に政界を引退したときも、今現在の“改憲派の大父”である中曽根康弘元総理の手を握り、自分のあとを継いで“憲法調査会議員連盟”の会長になるように頼むなど、最後まで強い執念を見せた。
岸の夢が50年余りの歳月を超えて孫の手により達成されようとしている。中曽根は「岸のDNAを受け継いだ安倍の骨髄には、憲法改正という鋼鉄の心が入っている」と話したそうだ。
東京/パク・ジュンオン特派員