あぁ、12月ですね~。
クリスマスで華やいでいたり、師走でせわしなくなっている今日この頃、5年前の今頃のことを思い出します。
5年前といえば2000年。
私は韓国留学を決意し、11月いっぱいで仕事をやめて広島の実家で留学準備という名目でブラブラとした生活を送っておりました。
ある日、父が忘年会でおよばれ。
夜遅く千鳥足で帰ってきた父は、バタンキューと床に入った。
翌朝、父が起きてこない。
母や私が呼んでも
「二日酔いじゃ。寝ときゃあなおる。」
という返事であった。
晩酌がいつも5合のとーさんが二日酔いなんて珍しいと思いながらも、その時はほうっておいた。
しかし、次の日も父は寝込んでいた。
あまりにもおかしい。
しかし父は
「ただの風邪じゃ。寝ときゃあなおるんじゃ!」
とムキになるだけであった。
それでも3日目も父の容態は変わらなかった。
母が病院に行くように言ったが、父は
「こんなん寝ときゃあなおるんじゃ!」
と頑固ジジイというか、ワガママな子供状態であった。
父は被爆者手帳を持っている後ろめたさからか、なぜかはわからないが、とにかく病院が大嫌いのコマッタちゃんである。それでも母はどうにか父を説得し、近所の町医者に連れて行った。
そして、町医者では手に負えないということで、舟入病院に緊急入院ということになった。検査の結果は、「進行性の大腸がん」ということだった。
父は幼い頃、さつまいも、かぼちゃ、だいこん、といったものしか食べるものがなかったため、今ではこの3種の野菜は絶対に口にしない。汁物に細かく切って入れても、器用にそれだけ避けて食べる。めちゃ高いフレンチ・レストランでパンプキン・スープが出たときも、まったくそれに手を出さなかった。
そんな食生活がたたったのか、それとも晩酌の日本酒5合の影響なのか。おそらくその両方だろう。とにかく、父が大腸がんという現実に、母と私は打ちのめされた。
シャレになってないよ。がんっつーたら寝ときゃなおるもんじゃねーだろ。
家で留守番していたハスキー犬も、家主の異変に感づいたらしく、その日から情緒不安定になった。犬は社会的な生き物で、とくに家父長的傾向が強いらしいが、そのことがよくわった。
数日後、手術が行われた。
手術が終わってすぐ、母と私は執刀医の説明を聞いたが、私はその医師が言っていることがまったく耳に入らなかった。今となっては何を言われたか思い出せない。
ただ、摘出された大腸がホルマリンに浸けられているのを見て、「あぁ、これがとーさんの体を蝕んでいた“がん”なんだ」と思ったのだけは覚えている。
幸い、手術後の経過は良好で、正月には一時帰宅もできた。
2001年の正月の父は、“おとなしいジィジ”をしていた。
数週間後、本退院してからもしばらくは、おとなしくしていた。
クスリもちゃんと飲み、お酒は飲まず、定期健診にもちゃんと通った。
しかし、いつの間にやら酒は再開している。
しかも酒量はまた5合に復活している。
商売柄(大工だし、祭りの世話人などもしている)、およばれも多い。
父よ…、
かーさんに気苦労をあまりかけんさんな。
私はもう、すぐにかけつけて『ドンマーイン』とのどかに言ってあげれる場所におらんのんじゃけぇね。