弁護士を現行犯で、その蛮勇に敬意を!
『ハンギョレ21』[2009.07.17第769号]
[表紙物語]グォン・ヨングク弁護士の逮捕・捜査体験記-弁護士も弁護士が弁護してくれるので、不安感がなくなりますね
私は「民主主義のための弁護士の会」(民弁)労働委員会委員長として今年の6月26日、双龍(サンヨン)自動車平沢(ピョンテク)工場の正門前で開催する予定だった「双龍自動車リストラ事態の望ましい解決のための労働法専門家による共同記者会見」に参加するために、バリケードが設置された平沢工場前に行った。工場の周辺に見えるのは、制服に身を包んで盾を構えている警察と戦闘警察隊員だけだった。
»5月14日、グォン・ヨングク弁護士がソウル瑞草洞のソウル中央地検前で、竜山惨事における「真実の隠蔽、偏頗歪曲捜査を行った検察糾弾大会」を終えた後、警察に連行されている。グォン弁護士はそれから40日余りが過ぎた6月26日、京畿道平沢の双龍自動車前で再び連行された。弁護士が時を構わず連行される国、大韓民国の人権の現実だ。写真=ハンギョレ/キム・ミョンジン記者
ミランダ原則にサインしろという警察
予定された時間が過ぎ、会見参加者たちを待っていたところ、工場から歩道に移動していた数人の双龍自動車支部の組合員たちが、何の逮捕理由も知らされないまま、戦闘警察隊員に取り囲まれて抑留された。私は弁護士として、警察の現場の指揮官と思われる人物に、逮捕理由が何なのか告知することを要求したが、彼は「指名手配者なのか、逮捕令状が出ている者なのか確認するためのもの」だと答えただけで、逮捕理由を説明できなかった。
検事または司法警察官が被疑者を逮捕する場合は、逮捕に先立って被疑事実の要旨と逮捕理由、弁護人を選任できるという事実を告知し、弁明する機会を与えなければならない(刑事訴訟法第200条の5)。これを「ミランダ原則」と言う。ところが警察の指揮官は、かなり時間が経ってから上部との無線交信をした後に、抑留された組合員たちに「退去不応罪の現行犯で逮捕します。弁護士を選任する権利があります」とだけ告げて組合員を連行しはじめた。私は警察の告知内容(弁護士を選任できること)に従い、警察の護送車両の前に立ちはだかって弁護士として連行者へ接見することを要請した。ところが警察は、弁護士資格で弁護人接見を要請した私を「公務執行妨害罪の現行犯」で逮捕し、またかなりの時間が経った後に、先に連行された7人の組合員が乗っている警察の護送バスに押し込めた。
私と仲間は、警察の指揮官と警察官に対して激しく抗議したが、物理的に力不足だった。李明博政権が発足して以来、日常的に行われている警察の恣意的な法執行、その現場を見せ付ける一つの断面だ。弁護士の正当な接見要請さえ、公務執行妨害罪の現行犯として逮捕してしまう警察の蛮行、その蛮勇に敬意(?)を表する。しかし、不法逮捕・監禁に対する刑事責任は、決して消滅しない。
警察官はバスの中で、私に「警察からミランダ原則を告知された」という事実に対して署名するように要求してきた。私は逮捕されたとき、犯罪事実に対してのみ告知された記憶があるだけだったので、確認書に署名することを拒否した。警察が要求してくる確認書に、むやみに署名してはならない。後で警察の逮捕を適法に変える主要な証拠になりうるからだ。
私は警察の護送車両に乗せられてすぐ、民弁のソン・サンギョ弁護士に電話で逮捕・連行事実を伝えた。そして一緒に連行された組合員には、弁護士が接見に来るまで陳述を拒否することを話した。弁護士の助力を得る前に口を開くことは、とても危険だからだ。すべての国民は自分に不利な陳述を強要されず(憲法第12条第2項)、検事または司法警察官は被疑者を審問する前に必ず陳述を拒否できることを知らせなければならないため(刑事訴訟法第244条の3)、陳述を拒否することは被疑者の憲法的権利だ。そのため、弁護人の助力を得るまで陳述しないことを明白に伝えなければならない。
映像録画をしようという「知能犯罪1チーム」の巡査部長
我々は水原西部警察署の知能犯罪1チームに護送された。しばらくしてソ・ボヨル弁護士が接見に訪れ、他の組合員には別の弁護士が接見に来てくれた。捜査官の調査を受ける前に弁護人の助言を聞くことは、絶対に必要だ。捜査をどのように受けるのかを聞いてから、応じなければならない。そうしないと被疑者は自分を守ることが事実上、不可能になることもある。
かなりの時間が経ってから、事件発生の管轄署である平沢警察署から送られてきた犯罪事実と被害者の陳述を根拠に、私の組合員たちに対する調査が始まった。私を担当した捜査感は、水原西部警察署の知能犯罪1チームの巡査部長だったが、まず人的事項について質問してきた。私は身分証明書を見せて人的事項を確認させた。彼は調査(被疑者審問)の前に私に「一切の陳述をしなかったり、個々の質問に対して陳述をしないことも可能で、陳述をしなくても不利益を被ることはなく、弁護人の調査参与など、弁護人の助力を得られること」を告知してくれた。検事または司法警察官は、被疑者の審問に先立って陳述拒否権と弁護人の助力権について告知した後に、その権利を行使するかを質問し、これに対する被疑者の答弁を調書に記載しなければならないからだ(刑事訴訟法第244条の3第2項)。万が一、捜査官が陳述拒否権と弁護人の助力権について告知せずに調査をした場合には、調書にその事実を必ず記載しておかなければならない。裁判の際に、陳述の任意性(強要による陳述なのか、そうでないのか)を争うことができる有力な証拠になるからだ。
ところが捜査官は、不意に映像録画室で調査をすると言った。捜査過程での手続き的な是非を遮断するためのようだった。私は接見権を侵害された被疑者として、犯罪者扱いをされることが非常に不快だったので、映像録画を拒否した。当惑した捜査官は、捜査過程で報告した後に、映像録画なしで捜査することとした。参考までに、被疑者の審問の際に映像録画は必ずしなければならない義務事項ではない。映像録画の実施の是非について、被疑者が同意権を持てなくても、映像録画をする場合には事前にその事実を知らせなければならず、調査開始から終了までの全過程を録画しなければならない(部分的に録画すれば法的効力がない)。そして完了したら、被疑者または弁護人の前で遅滞なく封印して被疑者に説明しなければならない。被疑者または弁護人が要求した場合、必ず映像録画物を視聴させなければならず、その内容について異議を陳述すれば、その趣旨を記載した署名を録画物に添付しなければならない。被疑者ではなく、参考人は、映画録画を拒否することができる。
調査段階で国選弁護人が導入されなければならない理由
どうにか映像録画なしで調査が進められた。ソ・ボヨル弁護士が調査に参与することになり、調査されるその場所で弁護人選任書を作成して提出し、私の横に座った。海千山千の弁護士である私にさえも弁護人が横にいるので、不安感が消えて心強かった。一般人にとってはさぞや心強いことだろう。重要な事件や、警察との利害関係がかかっている事件の調査では、弁護人の参与が切実に見える。捜査過程では、弁護人の参与だけでも警察による脅迫や誘導性の質問を牽制することができ、被疑者の容疑に対する実質的な防御を準備することができるようにするという点でも必須となる。被疑者として調査される段階から、国選弁護人を置く制度が必ず導入されなければならない理由でもある。
私は財産や家族関係、病歴など、事件と関係のない部分についてはすべて黙秘権を行使し、事件関連の質問に対してだけ性格に陳述しようと努力した。3時間に渡る調査が終わった。そして私は被疑者審問調書をじっくりと読んだ。捜査官から鉛筆を借り、私の陳述と違ったり、漏れた部分を一々修正して追加した。被疑者審問調書は裁判で有力な証拠として使われるため、必ず隅々まで精読し、必要な場合は本人が直接修正したり、調査官に修正や補完を要求しなければならない。万が一、捜査官が修正や補完の要求を拒否した場合、被疑者は被疑者審問調書に捺印することを拒否しなければならない。後で調書の真実性を争うことになりかねないからだ。
夜10時35分、他の組合員に対する調査も終わり、留置場に収監された。所持品とベルトを預け、金属探知機で身体検査をする手続きを経た。20年以上前に、慶州(キョンジュ)刑務所で素っ裸で身体検査を受けた恥辱がよみがえった。もし今でも警察官が人権侵害的な身体検査を試みるのなら、当然、抗議しなければならない。通常、容認できる範囲を超えた身体検査を強制しようとするなら、押収捜査令状を出すように要求することができる。
身体検査を終えた後、「宗教1室」と記載された部屋に入った。本当に罪人になったような気がする。先に入っていた他の一般被疑者3人は、暗い表情で眠っていた。部屋のトイレの仕切りは昔よりもかなり高くなっているが、薄暗い証明、冷たい床は20年前とそれほど変わっていないようだ。警察官に歯ブラシを要求し、簡単に洗顔と歯磨きをしてから薄い布団を敷いて横になった。警察の不法逮捕に抗議するつもりで食事に手を出さなかったので、ひどく腹が減った。ようやく眠りについたが、世の中が逆戻りして1980年代の路上でいきなり警察から追い回される夢を見た。
恣意的逮捕・拘禁を阻止するための最小限の処置
翌日の朝7時に起き、一日中あぐらを組んで田舎で医師をしているパク・ギョンチョルが書いた『美しい同行』を読んだ。本を読む余裕(?)ができるなんて…。午後3時頃、ソ・ボヨル弁護士が接見に訪れ、逮捕適否審査を請求するための請求書を準備してきた。私も同意した。逮捕適否審査とは、逮捕された被疑者に対して検事が拘束令状を請求する前に、裁判所に逮捕の適法性と継続必要性の有無について審査を要求し、釈放を求める制度だ。
午後4時頃、事件の管轄である平沢地方裁判所で逮捕適否審査請求書が受け付けられた。夜9時頃に私は私服刑事2人に連れられて窓格子のついたボンゴ車に乗り、平沢地方裁判所に向かった。夜10時、平沢地方裁判所で審理が始まった。ソ・ボヨル、イ・ジェホ、カン・ムンデ弁護士が参与してくれた。若い判事の審問に、私は逮捕された経緯について詳しく陳述した。弁護人の弁論を最後に30分余りの審問手続きが終了し、決定が下されるまで建物の中で待たされた。
結局、日付が変わった28日の午前12時20分頃、「被疑者の釈放を命じる」という内容の逮捕適否審査決定文が伝達され、私はようやく警察から解放された。拘束から解かれるというのは、やはりうれしいものだ。しかし釈放の喜びは後回しにして、急いで逮捕の経緯を整理した。不法逮捕に加担した警察官の法的責任を問うためだ。これは警察の恣意的な逮捕や監禁を阻止するための最小限の措置なのだ。
グォン・ヨングク弁護士