青瓦台を眺め、国民を踏みつける
[2009.06.12第764号]
[表紙物語]集会許可制示唆・ソウル広場封鎖・弔問テント撤去など、「ブレーキのない疾走」を続ける警察
▣チョン・ジョンフィ
言語は存在の家だ。従って、ある人の言葉はその人がどこに座り、何を眺めているのかを伝えてくれる。アン・ギョンファン国家人権委員会委員長が、6月4日に出した声明を見てみよう。彼は「国民の基本権は政府の善心で保護されるものではありません」と言った。この一文でアン委員長は、集会・結社の自由を国家に乞わなければならない凄惨な大韓民国の現実を、胸を痛めながら暴露した。彼は視線の先の対象を権力ではなく、国民に設定したのだ。これと同じ日、姜熙洛(カン・ヒラク)警察庁長も、京畿地方警察庁を訪ねて一言いった。「集会を開くと政治集団化することもあるし、多くの人が集まれば道路まではみ出る不法暴力デモになる憂慮がある。ソウル広場の開放は、集会を開くデモ主催者側がどんな人物であり、どんな性格なのかによって判断する」警察の総帥が、記者たちの前で言った言葉だ。警察が集会の性格や、集まった人たちの性向を恣意的に判断した後、集会を承認するかどうかを決定するという超憲法的発言は、彼が視線を合わせようとしているのが国民ではなく、青瓦台であることを明確に示している。警察が振り回す言語の暴力だ。
»5月30日夜7時頃、ソウル徳寿宮大漢門前で開かれた汎国民大会で、ある参加者が道路を行進していた途中に連行された。右側に色素を入れた水銃を噴射しようとしている姿も見える。この日、連行された72人は暴力を振るったわけではないが、警察署で48時間近く拘束されて調査を受けた。写真=ハンギョレ/タク・キヒョン記者
カン・ヒラク警察庁長、「集会許可制」運用示唆
似たような例を見つけることは難しくはない。代表的なのは「常習デモ屋」という言葉だ。憲法に根源を置く「デモ」という言葉に、警察は前後に否定的な臭いが強い単語を付けることで、デモを国民の意識の中で米びつに押し込めようとしている。デモによく参加する人に「常習」という侮辱的な単語を付け、そのような者に「屋」という卑下的な語をつける警察は、どこに目線を合わせているのだろうか?カン庁長の話のように、集会・デモを「常習」的に禁止する警察の首脳「屋」たちが、隙さえあれば投げつける「不法暴力デモに広まる憂慮」という表現も同じことだ。「デモ」の前に「不法」と「暴力」という否定的なニュアンスの単語をつけた後、やはり良いことには使われない「広まる」という動詞で傍点を打つのだ。ところで、その「憂慮」をする本当の主体は青瓦台だろうか、国民だろうか?
警察は、その言語によって暴露された自分たちの正体を、路上で暴力的に具現化している。盧武鉉前大統領の告別式の翌日である5月30日、ソウル大漢門前にある焼香所のテント撤去事件は、警察の暴力が組織的に表出、または隠蔽されている現実を示していた。この日の早朝、警察はしばらく解除されていたソウル広場のバスの壁を再び囲む過程で、数十万人の市民が通っていた大漢門前の焼香所の黄色いテントを戦闘・義務警察を動員して破壊してしまった。チュ・サンヨン・ソウル警察庁長は「作戦地域を離れた義務警察のミス」と釈明した。責任転嫁だと非難する世論が起きると、カン・ヒラク警察庁長は観察調査を指示し、その結果、警察は当事の現場にいたファン某機動1団長とチャン某機動本部長の「偶発的ミス」があったことが明らかになったと発表した。それで終わりだ。ちゃんとした謝罪や弁償については言及されず、チュ庁長がなぜ嘘をついたのかは釈明されなかった。
警察のテント撤去は、盧前大統領が逝去した5月23日にも同じ場所で起きていた。この日の午後4時頃だった。最初のロウソク常勤職を自任しているネチズン「ダインパパ」がテントを広げようとした瞬間、大漢門前を
包囲していた戦闘・義務警察が近づいてきて、「手伝ってやろう」と言った。ダインパパが「親切にありがとう」と思った瞬間、戦闘・義務警察はテントをひったくり、光化門方面に持って行ってバラバラにしてしまった。去年のロウソク会員たちの会費30万ウォン余りで買った、大事なテントだった。暴雨が吹き荒れた8・15集会で、明洞聖堂前でロウソク参加者に韓国牛のスープをふるまったときに雨をよけてくれた、ロウソクの歴史と共にあったテントは、このように撲殺された。ダインパパは「余りにもひどい仕打ちをされ、腹が立つというよりは非常に悲しい」と語った。
警察のこのように無茶苦茶な公務執行に対して、警察内部でも批判の声が出ている。ソウルのある警察署に勤務している警部級の幹部は、「いくら警察だからと言っても、判事が発布した礼状もなく他人の財産をむやみに奪ったり、破壊することは、特殊強盗や財物損壊に該当する」として警察の措置が違法だと解釈した。
»カン・ヒラク警察庁長が3月9日、李明博大統領から任命状を受け取っている。写真/青瓦台写真記者団
手伝うフリをして奪った後、バラバラに破壊
視線を国民に合わせない警察の目に、障害物として映るのは物ばかりではない。警察は市民をむやみに連行し、丸二日拘束した後、釈放する慣行にも味をしめた。汎国民大会が開かれた5月30日夜、ソウルプラザホテル前の路上での市民連行状況と、その後の釈放過程もそうだった。この日に連行された72人の1人である大学生のキム・オクソン(仮名)さんは、警察が連行のための落とし穴を掘ったと考えた。夜の6時20分頃、大漢門前側で警察による最後の解散警告放送を聞いた7時頃、ソウル広場とプラザホテルの間の道路を数百人が通った瞬間、警察が取り押さえにきたためだ。キムさんは「当事、市民たちが組織されたものではないので、警察が警告放送を一度しただけでもみんな歩道に上がる状況だった」「シュプレヒコールを叫んだり、隊列が別途にあるわけではない状況だったのに、警察が突然捕まえにきた」と話した。
警察は「緊急逮捕の際に拘束連行を申請しなければ、48時間内に釈放しなければならない」という刑事訴訟法上の規定も悪用した。キムさんをはじめ、大部分の連行市民たちを48時間近く過ぎた6月1日の午後4、5時になってようやく釈放した。人々が警察署にいる間、実際に調査された時間は2回にわたり3、4時間に過ぎなかった。あとの時間はただ食べて寝て、ただ座っていた。「民主社会のための弁護士の会」のソン・サンキョ弁護士は、「みんな現行犯逮捕なので警察署に閉じ込めておいて(調査される時間は除いて)、別にすることもないのに45~46時間を過ごさないと釈放されない」と批判した。
警察がこのような強硬基調を示す背景は何だろうか?広場とロウソクに対する恐怖は、思った以上に警察首脳部に幅広く広まっている。湖南地域のある警察署長(警視)の言葉によって、首脳部の認識を知ることができる。「昨年、私たちは本当に大変だった。昼も夜も関係なかった。ソウル広場を今(デモ隊に)奪われれば、その後は本当に警察の手に負えなくなる。今は去年の狂牛病政局よりももっと恐ろしい状況だ。前大統領の死に対して、誰かがスケープゴートを要求しているんじゃないか。(集会禁止に関しては)ちょうど5月8に大田貨物連帯が過激デモをした。警察としては「一つかかったな」というようなものだ。ソウルで集会・デモを阻止できる名分になったということだ」
「厳正な法執行」と「勤務綱紀の確立」を繰り返す李明博政権になってからは、警察内部の矛盾も徐々に過去へ退行しているというのが、現場の警察の証言だ。参与政府(盧武鉉政権)の時、地方警察庁と警察署でたびたび行われていた現場の警察との対話、実務者懇談会など、内部討論文化が消え、厳格な上命下従の雰囲気のみが広がっているという指摘がある。以前は警察首脳部に向けて、批判のはばかりのない書き込みが、警察庁のサイバー掲示板や内部掲示板にあげられていたが、最近は見ることができない。参与政府の時は大統領がとにかく討論を好んだので、警察庁で政策を推進する際は自発的な参加を導き出すという名分で第一線の話を多く聞くことができたが、政権が替わってからは、ただ公文書で指揮部の意志を伝達することが多くなった。現場では「部下の話は聞かない方式に指揮部のスタイルが変わったため」という話が出ている。
ある元警察庁長は、『ハンギョレ21』との電話インタビューで「現場の後輩たちに会えば、“首脳部が硬直して負担になる”という愚痴が出てくる」と現在の警察首脳部へ対する批判的な意見を明らかにした。「(集会・デモを)警察がうかつに予断したり、源泉封鎖することは、法的に欠陥がなければわからないが、そうでない場合、大火傷をしかねない。警察が実定法を尊重しなければ、相手が感情的に対応することになる。すべてを塞いでしまえば、暴力が悪循環する。ソウル広場を開放しても、何も起こらないのではないか」
»5月30日早朝、戦闘警察が市民たちの置いた黄色い風船を踏みながら市庁広場に前進している。写真=ハンギョレ/キム・テヒョン記者
警察の内部組織文化も垂直化傾向が強まる
警察内部の雰囲気がころころ変わるのは、それこそ内部事情ということもありえる。しかし、国家権力機関の中で国民ともっとも近い現場で、常に接触する警察が、政権の性格によって法執行を変えるのは最悪だ。イ・チャンム韓南大教授(警察行政学)は「警察が前政権のときは事後対応をしていたことも、保守的で市民団体に拒否感を持つ現政権では、車の壁を設置して強硬対応するなど、可視的な変化が現れた」「警察が原則とマニュアル通り、一貫性のある警察力を執行できないでいる」と指摘した。イ教授は「警察首脳部が自ら判断せず、(青瓦台の)オーダーを受けて強硬になったり、緩和されたりしている」と皮肉った。
国民よりも青瓦台を重視する警察首脳部に対する批判が組織の内外に拡散している中で、特に最近は強硬基調を主導するチュ・サンヨンソウル警察庁長に対する非難がさらに強まっている。チュ庁長は、盧前大統領の逝去以降、「(大漢門前の焼香所を囲んだ)車壁が屏風のようで、さらに静かに感じるという方もいらっしゃった」という発言をはじめ、テントの強制撤去当事の免避性発言などでまな板の上に載せられた。現場ではチュ庁長に対して独非将軍という評価が出た。ソウルのある警察幹部は、「チュ庁長は上からの指示はよく聞くが、自分の指示は絶対に取り入れないスタイル」だとし「よく言えば指示命令の一貫性があると言えるが、率直に言うなら一方通行的に指示と命令を下す」と評価した。
警察が青瓦台を「ヒマワリ」する状態を見せる核心的原因は、もちろん人事制度だ。警視級以上の高位幹部は、青瓦台の承認を受けなければならない。青瓦台に睨まれた幹部は、出世することが難しい。警察の人事が青瓦台から独立すれば問題は解決するのに、やはり内部の独善を止めるには、警察議員の活性化のような牽制システムが必要だ。
青瓦台の治安秘書官制度も、青瓦台と警察幹部のコードに合わせて動員されているという指摘だ。第一線の地方警察庁長と階級が同じ治安監級幹部が、青瓦台の民政主席室に1年前後派遣され、青瓦台と警察庁を繋ぐ口実としての役割を果たしている。治安秘書官は、警察庁長を歴任するための必須コースの一つとして認識されている。任期制導入以降、歴代の警察庁長5人のうち、カン・ヒラク現庁長を除くチェ・ギムン、ホ・ジュンヨン、イ・テクスン、オ・チョンスなど、前の庁長4人全員が治安秘書官を務めた。代わりにカン庁長は、李明博大統領と同じ故郷(慶尚北道)出身で、同じ大学(高麗大)を卒業した。治安秘書官の代替として、ソウル警察庁長の情報をすべて管掌する情報管理部長出身を好むことも注目される。青瓦台が横に置いておきたがる警察は、首都ソウルの情報収集と分析に明るい警察だ。チェ・ギムン、オ・チョンス元庁長がこのケースに該当する。
青瓦台-警察との関係を繋ぐ治安秘書官たちが総帥に
中部圏で勤務するある警視級の警察幹部は、「治安秘書官は各種の大規模な集会の状況管理が核心業務であり、情報側の視覚は政権の統治基盤の強化に合わしているのが事実であるため、治安秘書官が公務員の政治的中立性を維持することは容易ではない」と指摘した。彼は「治安秘書官出身者たちが警察庁長になることは、警察組織の政治的中立性の側面では非常に脆弱な構造」であり、「青瓦台で一緒に働いていた秘書官が治安秘書官出身の警察庁長を軽く見るなど、権力構造でも警察の位置を追及する位置を縮小させる」と話した。
青瓦台が東側を眺めると、警察も東側を眺め、大統領が広場を睨むと、警察はその広場を閉じてしまう。国民は眼中にもない。警察の首脳部が政権とコードを合わせて共に踊りを踊るこの疾走に、ブレーキはない。
ある警察幹部の「苦言」
法治主義の本質は、公正性だが…
最近の状況を見守っていると、警察に対する信頼が、最近数年間で大幅に墜落していることがわかる。検察権力に問題が多いという批判と改革要求が、四方から堰を切ったように押し寄せているが、検察権に対する牽制の代案で警察が浮上されていないからだ。警察が必ず賢くて賢明な集団にならなければ、検察の代案にはならない。常識的で均衡のとれた判断さえできれば、代案勢力になれる。
法治主義の確立は、警察が所望する。警察としては強力な法秩序の確立を主張する李明博政府が援軍であるかもしれない。アメリカのようにポリスラインを超えて警察が強く処罰しても、国民には指示を得ることができる状況を作ってみたいのだ。健全な常識を持った国民の中で、法秩序の確立主体を否定する人は少ない。しかし、デモ現場のような場所で警察は、やたらに攻撃の対象になる。憤りがこみあげる状況だ。無闇に警察を攻撃する国は後進国だ。
その理由はなんだろうか?政府はついに法秩序を打ち立てながらも、民主主義の原則を後退させたと指摘されることをした。警察は法と原則に立脚し、任務遂行をするという明らかな基準を持って行動するよりも、政権の意志を明らかにその好みに合うように政権が信じるだけのことをしてきた側面が大きい。盧武鉉政府の時に青瓦台386を極端に意識し、政権が必ずそれを望むのでなくても、警察が非常に無力な時があった。今は正反対に、極端に硬直した姿を見せている。
特に昨年からロウソク事件や竜山惨事などを経ながら、警察が“オーバー”な側面がある。警察はロウソクの創始期の時は卑屈だった。その時は朝・中・東も、大統領も、怯えていたからだ。警察はロウソク中盤以降、純粋なロウソク勢力と政権反対勢力を分離し、打撃が可能だという認識を持ってからは過度な鎮圧をした。竜山惨事の時も過度な部分があった。盧武鉉前大統領逝去の局面を迎えてからは、焼香所を撤去し、ソウル広場を源泉封鎖した。国民としては「警察が考える法秩序の尺度とは何なのか」「警察は国民ではなく、権力の目線に合わせているのではないか」と批判できる。
法治主義の本質は、公正性にある。公正性を失えば、法の名を笠に着た暴力になりかねない。韓国の歴史の中の独裁政権も、ドイツのヒトラーも、法の名で公権力を執行した。しかし、当事は法の正当性確保のための公正性を失っていたため、実質的な法治主義の時代として認められてはいない。現在の韓国警察も、公正性を失ったという評価を受けている。政権交代とは関係なく、一貫した基準に従って国民の生命と財産を守り、人権を尊重しながら正義を守り抜く警察力の行使が必要だ。
現在の警察の首脳部は、警察組織が志向するべきビジョンに対する所信や哲学が足りない。そして、過剰なまでに政権の顔色をうかがうことに慣れている。政治権力に飼いならされているように見える。今までそのような態度で生きてきたからだ。
警察庁長を内部の治安正監4人の中からのみ選んではならない。今の警察の構造では、治安正監まで出世するには、政治権力に飼いならされる可能性が高い。しばらく持ちこたえれば、警察庁長になれると考えているため、警察幹部たちは国民の目線に合わそうとしないからだ。警察庁長の職位を開放し、外部からの参入が可能にならなければならない。このままでは希望がない。
現職警視
チョン・ジョンフィ記者